それはあなた達が選んだ結果
父の親友の娘だというフルーフが我が家へやって来たのは、私が十五歳のときでした。
彼女が義妹となって三年が経ち、気がつくと我が家の娘は私ではなくフルーフになっていました。ラウレンツ王太子殿下の婚約者も彼女のようです。
それでも、せめて聖女として国を護ろうと努力していたのですが、真の聖女はフルーフでした。
私はこれまで聖女を騙っていた罪と、義妹であるフルーフを虐げていた罪で、王国を囲む森へと追放刑を受けました。
魔物の蔓延る危険な森です。
それは──いつのことだったでしょうか。
はっきり思い出すことが出来ません。
酷く頭が重いのです。体も石のようです。全身が眠りに包まれています。
いいえ、これは本当に眠りなのでしょうか? 眠りによく似ていると言われている『死』なのかもしれません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……コンスタンツェ」
だれかが私を呼んでいます。
どこかで聞いたことのある懐かしい声です。
ふっと瞼から重さが消えて、私は瞳を開きました。ベッドに横たわる私の周りには、見覚えのある人達がいます。
「良かった、気がついたようだな」
「ああ、心配したのよ」
「無事で良かった」
「コンスタンツェ?」
彼らの顔を確認して、私は後退りました。
私を取り囲んでいたのは父母と兄、そしてラウレンツ王太子殿下だったのです。四人の後ろには、幼いころから仕えてくれていたメイドの姿もあります。
よく見ればここは、私の部屋ではありませんか。王国の都にあるリシャール公爵邸です。そんなことあるはずないのです。私は森で、森で──
「お前は高熱を出して寝込んでいたんだよ」
「まあ汗びっしょり」
「悪夢でも見ていたのか?」
「もう大丈夫だよ」
私は両手で口元を押さえました。
吐き気がします。
わけがわかりません。この人達が私を案じることなどないのです。私はベッドから飛び出しました。寝間着姿だったのでガウンを纏おうかとも思いましたが、この家に私のものなどありません。泥棒扱いされるのはごめんです。……寝間着を着たままなのは許してもらいましょう。
「どうしたんだ。そんな恰好でベッドから出るだなんてはしたないぞ」
「今さらなにをおっしゃっているのですか? 私は恥知らずなのでしょう?」
私は父を睨みつけました。
聖女を名乗っていたのは自分の意思ではありません。幼い日に、神殿から認定されたからです。
なのに父は、聖女を騙る恥知らずだと私のことを罵りました。
「あなた。コンスタンツェは熱で頭が朦朧としているのよ。ほら、ガウンを羽織りなさい」
「触らないで。私を産んだことを後悔していらっしゃるのでしょう? フルーフが本当の娘なら良かったとおっしゃって、実際そうなさったのではありませんか」
私は母の手を振り払いました。
「コンスタンツェ、フルーフはもういない」
「ええ、そうでしょうとも。彼女が真の聖女だったのですから。私が穢した神殿を浄化していらっしゃるのでしょう?」
兄は知っていました。
私が苦しんでいたことを。
聖女と呼ばれながらも聖女に相応しい力を示せず、苦悩していたことを。それを公衆の面前で明かし、昔から無能な役立たずだったのだと嘲ったのはあなたではないですか!
「私達はフルーフに騙されていたんだよ、コンスタンツェ。彼女は嘘をついて君を貶めていたんだ」
「王太子殿下ともあろうお方が、ご自分の言葉を翻してはいけませんわ。嘘をついていたのは私なのでしょう? みんなを騙していた恥ずべき女は私なのでしょう? 私の言葉などだれも聞いてくださらなかったくせに!」
「……」
私はラウレンツ王太子殿下と一緒に、彼の後ろにいるメイドを睨みつけました。
いつも私に苛められていた、私は酷い女だと言い触らした娘です。
そんなことをした覚えはありませんでしたけど、彼女にとってはそうだったのでしょう。ええ! フルーフに装飾品をもらって言いなりになっただなんて、あるはずがないですよね。
息が出来なくなりそうなほどの激しい怒りに包まれて、私は思い出しました。
私は王国を護る、精霊王様に選ばれた聖女ではありませんでした。邪悪な魔女だと言われました。
実際、私は森で使い魔を得たのです。闇に溶ける漆黒の烏の姿をした魔物です。
「シャッテン!」
私は彼の名前を叫びました。
「シャッテン! シャッテン! シャッテン! 来て! 約束してくれたでしょう? 私を守ってくれると言ってくれたでしょう?」
叫んだ私の前に現れたのは、漆黒の烏ではありませんでした。
色は同じですが、美しい青年でした。
一瞬怒りが消え失せて、彼に見惚れてしまいました。
「シャッテン……なの? どうして人の姿に?」
「これは夢の中だからな。どんな姿でも取れる」
「夢……」
私は五人を見つめました。
みんな苦しそうな悲しそうな顔をしています。
さっき私が浴びせた言葉のせいでしょうか。でもそんなことはありません。あの程度の言葉で心を動かされるくらいなら、追放される直前の裁きの場で私の話を聞いてくれていたでしょう。石を投げつける人々から守ってくれていたでしょう。
「……酷い夢だわ、シャッテン」
「君が望んだ夢だ」
「ええ、そうね。私が望んでいた夢だわ。みんなが私を案じてくれる、愛してくれる、フルーフよりも私を選んでくれる。……そんなことあるはずがないのに」
「コンスタンツェ聞くんだ。確かに夢だが、ただの夢ではない。精霊王様がお前を……」
「精霊王様がお選びになった聖女はフルーフでしょう?」
私は父の言葉を遮りました。
自分の浅ましさに涙が出ます。
夢だとわかってもなお、私は愛されたいと望んでいるのです。ただの夢、自分の作り出した妄想ではなく彼らの本心が混じっているのだと思いたがっているのです。
「それはフルーフに誑かされた神官の嘘だったのよ」
「だからなに? あなた達はそれを信じる前から私よりフルーフを選んでいたのじゃありませんか。私よりもフルーフの言葉を信じていたのではありませんか!」
フルーフは儚げな美少女でした。
彼女に私の言葉で傷ついたと言われたら、私自身でさえ言い方が悪かったのかと反省せずにはいられませんでした。
だけど、どんなに私が心を砕いて努力しても彼女を満足させることは出来ませんでした。私がなにをどのように言っても、彼女は傷つき私が責められるのです。距離を置けば置いたで、冷たくしていると怒られました。
「悪かったと思っている」
「そうですか! 私も思いましたわ。自分の言葉選びが悪かったのかと、話し方がきつかったのかと、だけどどう言葉を尽くしても許してはいただけませんでしたよね」
「すまない。君が努力していたのを知っていたのに、酷い言葉で傷つけた」
「気になさることはありませんわ。聖女として力不足だったのは事実ですもの。フルーフが聖女になって、王国はさぞや素晴らしい国になったのでしょう? 私が……血反吐を吐きながら聖女としての役目をこなしていた間、ラウレンツ殿下と睦み合っていたフルーフこそが真の聖女だったのですから」
「ごめんなさい、お嬢様、ごめんなさい。私は嘘をつきました。お嬢様に苛められたことなどありません。フルーフ様がくださる装飾品目当てで嘘をついたのです」
「今言われてもどうにもなりませんわ。これは夢ですもの! 本当の私は森の中で、森の……」
そこで、私はシャッテンを見つめました。
魔物蔓延る恐ろしい森で、私は死にませんでした。シャッテンと出会ったからです。彼は魔物達から私を助け、安全な場所へ連れて行ってくれました。
そう、昨夜もその安全な場所で眠りに就いたのです。
「シャッテン、もうやめて。こんな夢見たくはないわ」
「そうか? 少なくともこの人間達はお前を愛し許しを乞うているぞ」
「夢だもの」
本当の彼らが私を愛するはずはないのです。ましてや許しなど。
これは、未だ愛されたいと望んでいる愚かな私の夢に過ぎません。
父が叫びました。
「コンスタンツェ、夢ではない!」
「夢ですわ。……シャッテン、こんな夢いらないの。私のためを思って見せてくれたのだろうけれど、過去に縋っていてもどうにもならないわ。私はもう、夢など見ません。愛してくれない人達に愛を乞うよりも、自分で自分を愛して生きていくわ」
「自分しか愛さないつもりか?」
「あなたのことは愛しているわよ、シャッテン」
「そうか。……私も君を愛している」
胸に温かいものが満ちました。
どうしてもっと早く気づかなかったのでしょう。
いいえ、シャッテンに会えたから、彼を愛したから気づけたのです。結局のところ、私自身も家族や王太子殿下を愛してはいなかったのでしょう。愛されたいと望むだけだったのでしょう。
「コンスタンツェ、たったひとりの私の娘……愛しているんだ」
「お父様の、いいえ、公爵様のひとり娘は聖女のフルーフ様ですわ」
父の姿が消えました。
悲痛な表情は私の未練でしょう。
あの人に捨てられたときに私が浮かべていた表情だったのかもしれません。
「違うの! 違うのよ、コンスタンツェ。愛しているの。あなたを愛しているの」
「こんな可愛げのない娘を愛せるはずがないではありませんか、公爵夫人」
いつも聖女であることを求められていました。
疲れて甘えようとしても母は許してくれませんでした。
自慢出来る聖女の娘しか求めていなかった女性も消え失せます。
「私に許してくれという資格はないのだろうな」
「ええ、あなたが私におっしゃったのと同じですわ」
兄への感情は少し複雑です。
公爵としての責務に忙しい父と完璧な聖女を求める母と違い、兄は私の言葉を聞いてくれていました。だからこそ、フルーフを選ばれたのが辛かったのです。
消えゆく彼が泣いているように見えたのは、そうあって欲しいという私の願いが生んだ幻影でしょう。
「コンスタンツェ、聞いて欲しい。君がいなくなってから王国では……」
「フルーフ様とお幸せに、ラウレンツ王太子殿下」
ああ、なんて愚かな私。
必要とされたいと願っているのです。本当の聖女が自分なら良いのにと思っているのです。だから、私がいなくなった王国になにか起こっているかのように殿下に言わせたのです。
なんて見苦しい人間なのでしょうか。
「お嬢様……」
「……あなたのことを妹のように思っていました。ときには頼れる姉のように感じていたこともあります。私があなたに話したことはすべて、フルーフ様に売り渡されていたのですね」
フルーフはメイドから仕入れた情報を捻じ曲げて、私の悪事を作り上げました。
反省していてほしいだなんて、我ながら莫迦にもほどがあります。
追放された私に向けたメイドの嘲笑を今でも覚えているのに!
──王太子殿下もメイドも消えて、ベッドも部屋も公爵邸も消えて、後には私とシャッテンだけが残りました。
「喜ばせたかったのだが、却って傷つけてしまったようだな」
「夢の中でだけ愛されても仕方がないわ。……早く目覚めましょう。私は現実のほうが好きよ。あなたの翼に顔を埋めていたら、どんな辛いことも忘れてしまうわ」
「この姿は気に入らないか?」
「どんな姿でもあなたは素敵よ」
しばらくして、私は目覚めました。
森の中の安全な場所、シャッテンが結界を張ってくれている小さな小屋です。
少し期待していたのですが、シャッテンは漆黒の翼を持つ烏のままでした。彼の羽に顔を埋めて堪能してから体を起こします。
「シャッテン、朝食は茸のスープでいいかしら?」
「少し肉が欲しい。森で野鳥を狩ってこよう」
一日が始まります。
夢のように愛されることはないけれど、愛する存在のいる朝です。
私が辿り着いた大切な朝なのです。
★ ★ ★ ★ ★
その夜、王国のすべての人間が同じ夢を見た。
少し前にニセの聖女として追放された女性の夢だ。彼女に代わる真の聖女だと言われていた娘はもういない。彼女を聖女に仕立て上げた神官とともに精霊王の罰を受けて死んでしまったのだ。
追放された聖女は、家族も元婚約者もメイドも許さなかった。もちろん、自分に石を投げて追い払った国民のことも許していないだろう。
夢から目覚めても空は暗かった。
どこからともなく精霊王の音無き声が聞こえてくる。
『この国に邪悪が入れなくなる結界を張った。この国から邪悪が出ることも出来なくなる結界だ。……どうやら浄化してくれる聖女がいないので、お前達の邪悪が澱み陽光を遮っているようだな』
声は怒りに満ちていた。
自分が選んだ聖女をニセモノ扱いされたのだから無理もない。
嘘と偽りで聖女を挿げ替えたのは信仰を道具としか思っていない神官の仕業だが、それに異議を唱えなかった国民に対しても精霊王は怒っていた。結界は王国民を外に出さなかった。彼ら自身が邪悪と見做されたのだ。
──その王国は烏の翼のような漆黒の闇に覆われて、二度と朝の光を浴びることはなかった。
王国に住む者達は死んだわけではない。
自分達が作り出した悪夢の中で生きている。それは彼らが選んできたことの結果なのだ。
<終>




