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豆狸2024読み切り短編集  作者: @豆狸
謎めいて(ミステリ風味)
34/85

捨てた恋【執着】

 今日も視線を感じながら、衛兵見習いのアンソニーは見回りをしていた。

 王都の下町は薄汚れてはいるものの平和に見える。

 隣を歩く衛兵隊長が口を開いた。


「アンソニーはまだ下宿を借りているのか?」

「はい」

「衛兵の宿舎に移ったらどうだ? 無料とまでは言えないが、余所に借りるよりは安く済むぞ」

「……そのうちに」

「まあ元伯爵家のお坊ちゃんに、いきなりの集団生活は難しいよな。学園へも王都の伯爵邸から通っていたんだろ?」


 アンソニーは無言で頷いた。

 確かに学園で寮に入っていれば、衛兵宿舎での集団生活にも馴染めたかもしれない。

 しかしアンソニーが衛兵宿舎へ移らないのには、べつの理由があった。


(また視線を感じる。……やっぱりバーバラなのか)


 伯爵家の次男坊だったアンソニーは、見た目が良く文武に秀でていた。

 そこを買われて、とある侯爵家の令嬢に婿入りする予定だったのだ。

 その侯爵令嬢がバーバラである。


 バーバラは美しく礼儀作法に()けた令嬢だった。

 彼女に足りなかったのは愛だった。

 早くに母親が亡くなってから、侯爵家当主であり王城でも重要な役目を与えられている父親は仕事漬けだった。どんなに使用人達が優しく尽くしてくれても満たされるはずがない。彼女は婚約者のアンソニーに足りない愛情を求めた。


(付き纏い、束縛し、支配しようとした……)


 少なくともアンソニーにはそう思えた。

 一緒に通っていた学園では、いつも彼女の視線を感じていた。

 アンソニーが男爵令嬢ディザィアに救いを求めたことで、バーバラとの婚約は解消された。実家の伯爵家は侯爵家との関係を選んで、婿入り先の無くなったアンソニーを勘当した。とはいえ、今の食事付きで防犯の行き届いた下宿の家賃は、アンソニーが退校した学園の卒業までのぶんは実家が支払ってくれている。


(……新しい婚約者が出来たら、バーバラは僕を諦めてくれるだろうか)


 男爵令嬢ディザィアとは、侯爵令嬢との婚約が解消されてから会っていない。

 癒しの代償はアンソニーが侯爵家からの援助で購入した贈り物だったのだ。

 もちろん伯爵家も侯爵家からの支援を受けていた。それを失ったにもかかわらず下宿の家賃を支払ってくれて、この衛兵隊への就職までお膳立てしてくれた実家には、感謝してもし足りないと思うアンソニーだった。


(でも……バーバラとの婚約が解消されたことを後悔はしていない。彼女は異常だった)


 やがて見回りが終わり、アンソニーは隊長に詰所で余っていた古い焼き菓子をもらって帰路に就いた。

 本来なら学園在学中の年齢であるアンソニーは、まだまだ食べ盛りなのでとても助かる。下宿の食事だけでは足りないのだ。

 衛兵隊の隊員は平民と実家を継げなかった貴族子息がほとんどなので、莫迦なことをして婿入り先を失ったアンソニーにも同情的だった。もっとも必死で婿入り先を探しても見つからず、騎士にもなれず衛兵をしているような隊員には、面と向かって莫迦と罵られたこともあった。


「……」


 視線を感じながらアンソニーは下宿へ向かう。

 衛兵隊の詰所と下宿、それだけが安心出来る場所だ。

 業務で先輩達と行動しているときも安心だけれど、家まで送ってくださいなんて頼めない。遊びに誘えるほど親しい相手もまだいない。


 アンソニーはひとり歩き続ける。

 今日は不思議と人とすれ違わない。物音もあまり聞こえない気がする。

 アンソニーはバーバラの青い瞳を思い出した。優秀だからこそ仕事漬けにされた侯爵家当主は強大な権力と財力を持っている。


(僕の帰り道から人を消すことくらい出来るのか?)


 アンソニーは足を止めた。

 進行方向にある路地から影が延びている。

 夕方の光のせいで長く見えるが、本体はアンソニーより小柄な人間のものではないだろうか。


(バーバラ? いや、だとしても僕のほうが……学園では未来の侯爵家の婿として騎士の勉強もしていたし、今は衛兵見習いとして鍛錬を欠かしていない)


 大きく息を吸い込んで、アンソニーは一歩踏み出した。


★ ★ ★ ★ ★


「……昔の私、滑稽だったでしょう?」


 楽しいお茶会の席でそんなことを言ってしまったのは、公爵令嬢のベティー様がお優しい方だと知っているからでしょう。

 彼女は優しく微笑んで、ゆっくりと首を横に振ってくださいました。


「貴女は恋をしていただけよ。私だって女性に優し過ぎる婚約者のことを考えると、嫉妬でおかしくなりそうになるわ」

「でもそれを抑えていらっしゃいます。私は……」

「うーん。状況にもよるのではないかしら。婚約者が決まったひとりの女性とだけ仲睦まじくしていたら、私だって問い詰めずにはいられないと思うわよ。手紙を出しても返していただけないのなら、学園で追いかけてお話するしかないですし」

「……ありがとうございます」


 慰めてくださるとわかった上で、愚かな質問をしてしまいました。


「殿方は殿方で面倒くさいところがありますものね。こちらが嫁ぐとしても、変に気負って尊大に振る舞おうとなさったり! 生家を離れて婿入りなさるともなれば、いろいろと拗らせてしまう方がいらっしゃるのも仕方が無いのではないかしら」

「私が彼を理解して、思い悩む気持ちを受け入れていれば良かったのかもしれませんね」

「そこまで殿方を甘やかす必要がありまして? バーバラ様はアンソニー様との恋はもう捨てたのでしょう? いつまでも彼のことを考えていないで、私のお兄様のことを気にしてくださいな」

「あ、ごめんなさい。私……」


 私バーバラは侯爵令嬢です。ひとり娘で跡取りなのです。

 伯爵家次男との婚約が解消されたからといって、生涯独身で過ごすわけにはいきません。

 新しい婚約者候補として紹介されたのは、こちらのベティー様のお兄様でした。公爵家を継がれる長兄様ではなく、王宮で文官として働いていらっしゃる次兄様です。


「……なんてね。良いのよ、すぐに受け入れてくださらなくても。我が兄ながら、あの方の仕事莫迦には呆れていますもの。貴女が婚約者候補として真摯に対峙してくださっているだけでありがたいですわ」

「ふふふ。ベティー様のお兄様は素敵な方ですわ。……なんとなく私のお父様に似てらっしゃいますし」

「あらあら」


 侯爵家当主である父は相変わらず仕事漬けですが、アンソニー様との婚約解消で私を責めることはありませんでしたし、たまに館へ戻ってきてお菓子をくださったりするようにもなりました。

 子どものときから私の印象が変わっていないのでしょう。

 母を亡くした私が泣いているのを見るのが辛くて逃げていた、と謝ってくださいましたので、多少は許して差し上げようと思っています。


 ベティー様のお兄様は父の部下です。

 でもそれだけで婚約者候補に選ばれたわけではありません。

 といって大した理由でもありません。彼が選ぶお菓子と私が喜ぶお菓子が同じだったことが決め手だったのだそうです。でも……お菓子の好みが同じだということは、なかなか悪くない共通点だとも思うのです。


「ふふふ、やっぱり」

「どうかなさいまして、ベティー様?」

「貴女、お兄様が持って来てくださったお菓子ばかり食べてらっしゃいますわ」

「え」

「貴女を招いてお茶会をすると王城へ手紙を出したら、昨日突然お菓子だけ持って来てくださったんですの。時間がなかったのか、そのまま王城へ帰って行きましたけれど」

「まあ……」


 アンソニー様への恋は捨てました。

 彼にとって重荷でしかない以上、捨てるしかなかったのです。

 新しい婚約者の方とは重荷にならない恋が出来ると良いのに、などと思いながら、私はベティー様とのお茶会を楽しんだのでした。


★ ★ ★ ★ ★


 アンソニーは衛兵隊と契約をしている病院の病室で横になっていた。

 あのとき、路地から出てきた人物に刺されたのだ。

 突撃されて倒れたところで馬乗りになられて繰り返し刺され、傷のひとつが化膿して悪化した。


 犯人はもう捕まっている。

 アンソニーが必死で捕縛したのだ。

 彼女は侯爵令嬢ではなかった。青い瞳の侯爵令嬢ではなく茶色い瞳の男爵令嬢だった。いや、元伯爵子息であるアンソニーと同じで元男爵令嬢だ。


 何日入院しているのだろうか。

 表面の傷が治っても熱が下がらない。

 今日も微熱を感じながら、見舞いに来てくれた隊長と話をしていた。


「主治医と話したが、後遺症が残るかどうかはまだわからないそうだ」

「……はい」

「衛兵としてやっていけなくなっても、お前には貴族子息として学んだ読み書き計算がある。このまま衛兵隊で、人手の足りない事務方に入ってくれると嬉しい」

「ありがとうございます……」


 隊長はほかの隊員からの見舞い品を渡した後で帰って行った。

 アンソニーを莫迦と罵った先輩のものもある。

 キツイ言葉を浴びせてきたのは心配の裏返しだったのかもしれない。


(みんな優しい……)


 元男爵令嬢ディザィアは男爵家当主の愛人の子だった。

 愛人はもうべつの男と結婚している。

 政略結婚させるために学園へ通わせると言って、当主が嫌がる正妻を説き伏せて引き取ったのだ。


 ディザィアは自分がアンソニーと別れさえすれば終わると思っていたが、周囲はそうではなかった。

 侯爵家の怒りが実家にまで及ぶことを恐れ、正妻は跡取り息子を連れて男爵家を出て夫に離縁を迫った。

 正妻の実家の援助に頼りきりだった当主は、ディザィアは自分の子ではない、自分も騙されていた、と主張して彼女を娼館に売り払った。娘の管理責任から逃れるためと、自分の生活費を得るためだ。


 ディザィアは娼館の下働きの男を誘惑して逃げ出し、実家の父親を殺した後で、諸悪の根源であるアンソニーを付け狙っていた。

 自分の意思でアンソニーに擦り寄っていたことは記憶から消し去っていたのだろう。

 アンソニーが感じていた視線は彼女のものだった。帰り道から人が消えていたのは、ただの偶然である。いや、人がいなかったから彼女は犯行に及ぼうとしたのだ。


(バーバラだって、本当は……)


 いきなりアンソニー有責で婚約を破棄しないだけ優しかったのだ。

 ディザィアと親しくするアンソニーに注意をして、少しでも話をしようと努力をしてくれただけ誠実だったのだ。

 それを付き纏い、束縛、支配、と決めつけて向き合おうとしなかったアンソニーこそが、どうしようもない莫迦だったのである。


 挙句の果てにこのザマだ。

 バーバラに狙われている自分が衛兵宿舎に入ると、ほかの人間も巻き込んでしまうかもしれないから、なんて考えずに、視線を感じた時点で隊長や先輩に相談しておけば良かったのだ。

 貴族子息だった先輩の中には、その美貌のせいで本当に付き纏いを受けて人生を失ってしまった人間もいる。


(僕は恵まれていたのに……)


 隊長は見舞いのついでに、侯爵令嬢バーバラに新しい婚約者が出来たことも教えてくれた。

 今回の犯人はディザィアだったけれど、アンソニーがいつまでもバーバラに怯えていては可哀相だと思ったからだろう。

 それを聞いたアンソニーは、解放されたという喜びよりも空虚な絶望を感じずにはいられなかった。捨てたつもりだった恋は、アンソニー本人が思うよりも重く大切なものだったのだ。


(バーバラに愛されていると思っていたから、僕は……)


 悔やんでも時間は戻らない。どんなに手を伸ばしても捨てた恋は掴めなかった。

 バーバラがアンソニーに執着するよりも、()()()()()()()()()()()()()()に対するアンソニーの執着のほうが強かった。

 アンソニーは今ごろになってそれに気づいたのだ。


<終>

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