今日は貴方を愛していません。【白紙撤回】
王都のロッシ子爵邸にて──
「初めまして、ルチア嬢。ロッシ家とヴィッラ家の共同事業のためのこの婚約を僕は歓迎している。でも……僕は君を愛することは出来ない。君が悪いんじゃない。僕が、その、恋愛というものを感じられない人間なんだ。だけど婚約者として未来の夫として、君のことを大切にしようと思っている」
ロッシ家のジュリオ様のお言葉に、私は思いました。
嘘つき、と。
彼と会うのは三回目です。一回目と二回目の記憶を今思い出したのです。
今とは違う時代と場所に生まれた一回目のときの彼も、婚約者として初めて会ったときに同じようなことを言いました。
そのときの私は彼を愛していたので、どういうことかと問いただしました。
彼は教えてくれました。本当は恋愛を感じられないのではなく、彼の唯一の愛はすでに別の女性に向けられているのだと。
彼が愛していたのは兄嫁でした。
自分の兄と不仲な義姉を支え続けた彼に、私は尽くし続けました。
所詮許されない関係です。いつかは諦めて私のことを愛してくれるようになると信じていたのです。
そんなある日、彼の兄が事故で亡くなり、それまで兄の補佐だった彼が当主として家を継ぐことになりました。
彼は私と離縁して遺された兄嫁と再婚しました。
私は実家へ戻り、しばらくしてから首を吊りました。
二回目、前とは違う時代と場所に生まれた私は、前と同じように彼の婚約者となり妻となりました。
初めて会ったときの彼は、やっぱり同じようなことを言いました。
そのときの彼は幼馴染の使用人の娘を愛していました。
はっきりとではなかったものの、二回目の私はうっすらと一回目のことを覚えていたのかもしれません。
私は彼に尽くしたりはせず、嫉妬する心のままに彼の幼馴染を罵り排除しようとしました。
幼馴染は自殺して、私は彼に殺されました。
三回目の今回も前とは違う時代と場所に生まれた私は、今回も彼の婚約者となりました。
今回は尽くすつもりも嫉妬するつもりもありません。
前と同じようなことを言う彼は、これまでと同じように立場や身分差で簡単には結ばれられないだれかを愛しているのでしょう。
「お義兄様! その方がお義姉様?」
「ああ、ロントラ! そうだよ、ヴィッラ家のルチア嬢だ。……ルチア嬢、義妹のロントラです」
「……初めまして」
当たり前の話ですが、この国では親子兄妹の結婚が禁止されています。
血がつながっていない義理の兄妹であっても、あまり好ましくないこととされています。
これまで私に向けていた憂鬱そうな表情が嘘のように眩しい笑顔になった彼は、そういう禁忌に酔いしれる魂の持ち主なのかもしれません。
一回目の私は、彼のその笑顔を自分のものにしたいと思っていました。
二回目の私は、彼のその笑顔を幼馴染から奪いたいと思っていました。
三回目の私は、何度か会ったら適当な理由をつけて、彼との婚約を解消してもらおうと思いました。
そして、そうしました。厳密にいえば解消ではなく、私達の婚約は白紙撤回となったのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ルチア嬢」
聞き覚えのない声に振り向くと、ロッシ家のジュリオ様でした。
「お久しぶりですね。新しい婚約者の方とお茶会に来られたのですか?」
「う、うん……」
最愛の方と婚約出来たはずなのに、ジュリオ様は暗い表情です。
「私も新しい婚約者と来ているのです」
「ああ、聞いているよ。……とても素敵な方だそうだね」
何度かジュリオ様と会った後で、私は父に報告いたしました。
婚約者同士の交流お茶会にも、ふたりで外へ出かけたときにもジュリオ様の義妹のロントラ様が一緒なのですが、どうしたら良いですか、と。
父は笑顔で彼との婚約を白紙撤回にして、私に新しい婚約者を見つけてくれました。報告したときは、こめかみの辺りが少々引き攣っていた気もします。
……一回目と二回目のときにも、彼と会うときは兄嫁と幼馴染がついて来てたんですよね。
ジュリオ様はこれまでの彼と同じように好きな女性の頼みを断れない方で、好きになる女性が寂しがり屋の愛されたがりなのも同じでした。
ロントラ様もこれまでの女性と同じように、自分を好きな男性に四六時中チヤホヤされたい方でした。
前の私も家族に相談すれば良かったのに、と今なら思います。
一回目はいつか報われると信じていて、二回目は嫉妬による言動が酷過ぎると家族にまで注意されたことで、だれにもなにも言えなくなっていたのです。
とはいえ、前の私達を愚かだと切り捨てる気はありません。今回の私はジュリオ様を愛していなかっただけなのです。さすがに三回も同じような言葉を投げつけられたおかげで、ありがたいことに百年の恋も冷めてしまったのでしょう。
「いい加減にしてくれっ!」
ジュリオ様と内容のない会話を交わしていたら、どこからか聞き覚えのある声が響いてきました。
人混みをかき分けて、ひと際目立つ美麗な男性が近づいてきます。
私の新しい婚約者、侯爵家のご令息アンドレア様です。太陽の光を紡いだみたいな黄金の髪に大空を思わせる青い瞳、整った彫りの深いお顔は人形のように冷たいと称されることもありますが、今、私を見つけて甘く綻びました。
「ああ、ルチア。ここにいたのか」
「待って、アンドレア様!」
彼を追って現れたのは、ジュリオ様の義妹にして新しい婚約者のロントラ様です。
私の父は嫌味のつもりで、ひとときも離れられないほど仲が良いのなら、いっそふたりを婚約させてはどうか、と言ったのですが、人の良いロッシ子爵はそれを真に受けて、義兄妹のふたりを婚約させてしまったのです。
ロントラ様を見るジュリオ様の顔が苦痛に歪みます。
アンドレア様はおそらく、一回目の彼の兄です。
二回目は美貌で知られた人気役者でした。
幼馴染は役者に貢ぐ金欲しさに彼の愛人をやっていたのです。正直まだ本気で彼を愛して愛人をされていたほうが良かったと思います。どうして私が彼女の作った借金を返すために働かなければいけなかったのでしょう。
兄嫁が自分の夫と不仲だったのは、彼女が美し過ぎる夫の愛を確かめようと、ほかの男性と仲良くしてみせるという試し行動をしていたからです。
ええ、一回目の私の夫は当て馬に過ぎませんでした。
兄の死後に再婚しても営みを断られて、離縁した私に子どもだけ産んでくれと手紙を寄越してきたのです。実家の家族に支えられて新しい人生を歩み始めていた私は、どんなに尽くしても都合の良い女でしかなかった自分に絶望して、首を吊ったのです。病気が治りかけているときの再発が心配なように、立ち直りかけているときの心への打撃が一番危険なのです。
二回目の幼馴染は金欲しさに私の夫と関係を持っていましたが、自殺したのは私の嫉妬のせいではありません。
入れ込んでいた人気役者が劇場火災に巻き込まれて亡くなったので、後追い自殺をしたのです。
夫が私を殺したのは、幼馴染が自分と生きるよりも役者と死ぬほうを選んだことを受け入れられなかったからでしょう。一回目は当て馬で、二回目は金蔓を経て妻殺し……もしかしたら私よりも残念な人生だったのかもしれませんね。
アンドレア様がジュリオ様を睨みつけます。
「ロッシ子爵子息! 君の義妹で婚約者なのだろう? 妙な真似をしないように言い聞かせておいてくれ!」
「お義兄様との婚約はお義父様が勝手に決めたことよ! アタシは認めてないわ。アタシが愛しているのはアンドレア様よ!」
一回目のときに試し行動なんかしなければ、愛し愛される幸せな夫婦として生きられたんじゃないでしょうかねえ。
夫も兄嫁を諦めて、私に振り向いてくれたのではないでしょうか。
彼の心が動いたように感じると、すぐに兄嫁が泣きついてきて元の木阿弥になっていたのです。試し行動云々だけでなく、自分を好きな男性に四六時中チヤホヤされたいという彼女自身にも問題があったと思います。
「ロ、ロントラ……」
名前を呼んでも無視されて、ジュリオ様が助けを求めるように私を見ます。
一回目と二回目のときもそうでした。いつも彼女を優先するくせに、なにか困ったことがあると私に頼るのです。
だから愚かな私は、彼が本当に愛しているのは自分だ、などと思い込んでいました。
そんなわけありません。
結局ジュリオ様とロントラ様は似た者同士なのです。
想い人への愛に酔いしれながら、自分を好きな相手を利用したいのです。
「ルチア。知り合いにはもう挨拶したから、今日はもう帰ろう」
アンドレア様に言われて、私は彼の美しいお顔を見つめました。
──ジュリオ様との婚約が白紙撤回される前のことです。
婚約を解消したいから、彼らがこれまでと同じことをしてくれたらちょうど良い、と思ってはいたものの、本当にジュリオ様と会うごとに同行してくるロントラ様に私は苛ついていました。
なにか話そうとするたびに遮られたりもしましたからね。
そんなとき、父の仕事関係の集まりに連れて行かれて、アンドレア様と会ったのです。
すぐに一回目の夫の兄、二回目の人気役者だとわかりました。
前の私の不幸は彼のせいではありません。彼を責めるのは間違っていますし、なにより今の私も彼も一回目や二回目とは別人です。そうわかってはいたのですが、
『女性は私の顔だけ見て愛していると言う』
なんて悲劇の主人公を気取ってひとりごちているアンドレア様に、なんだかカッとなってしまったのですよね。……愛されているのなら良いではないですか。
『お顔しか取り柄がないからではありませんか?』
真実だけど、本人に言ってはいけないことを言ってしまった私は、なぜか彼に気に入られてしまいました。
その後、婚約を白紙撤回した私に、真っ先に釣り書きを送ってきたのがアンドレア様だったのです。
ちなみに解消ではなく白紙撤回になったのは、父が私の経歴に傷をつけたくないと思ってくれたからです。
「ええ帰りましょう、アンドレア様」
私が頷くと、アンドレア様は嬉しそうに微笑みます。ふたりで馬車へと向かいながら、彼が私の手を握りました。
今回の出会いが三回目だと気づいているのは私だけです。
だから、一回目と二回目のことでアンドレア様を責めるのは間違っています。
カッとなって酷いことを言ってしまいましたが、彼は本当は顔だけではなくお仕事にも優れた方です。私以前に彼に近づいた女性達は、彼の中身まで知ろうとしなかった愚かな方々だったというだけです。
「……ルチアは、少しは私を好きになってくれたかな? 今日も妙なのに絡まれて、上手くあしらえなかったから減点だろうか」
「そうですね。まだ今日は貴方を愛していません」
「そうか」
「……でも昨日よりは好きですよ」
「そうか!」
ジュリオ様とロントラ様は近々ご結婚なさって、ロッシ家とヴィッラ家の共同事業のため、王都を離れた辺境の地へ出す支店の責任者として派遣される予定です。
最初は私とジュリオ様が結婚して、支店の責任者になる予定だったんですよね。
なにはともあれ、後しばらくしたらアンドレア様がロントラ様に付き纏われることもなくなるでしょう。
一回目と二回目のときも、夫を捨てていたら幸せになれていたのかもしれません。
でも今考えても仕方がないことです。
明日は今日よりアンドレア様を好きになっているかもしれませんし、いつかはアンドレア様を愛するようになって、愛し愛されて幸せになれるかもしれません。
結局のところ、どんな記憶があろうとも、今を精いっぱい生きるだけなのです。
もっとも記憶があったからこそ、ジュリオ様に見切りをつけられたとも言えるのですけれどね。
<終>