これからもずっと君だけを【永遠】
「なにが真実の愛だというのです? ただの不貞ではありませんか!」
この王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティで、婚約者のアムレート王太子殿下に婚約破棄を告げられた私は、殿下の隣に立つ男爵令嬢イコーナ様に掴みかかりました。
理想的な貴族令嬢と称賛されてきた侯爵令嬢の私が、そんな暴挙に出るとは思っていなかったのでしょう。彼女は無抵抗でした。
私はイコーナ様がいつも装着していた白い陶器の腕輪を奪い取りました。
「きっとこの腕輪に魅了の魔術がかけてあるのですわ! これさえ砕いてしまえば……」
「やめてッ!」
イコーナ様が私に飛びかかるより早く、アムレート殿下が私の肩に手を置きました。
その手の大きさと重さ、温もりに私の動きが止まります。
幼いころからの婚約者でした。初めてダンスを踊ったときの相手は、父ではなく殿下でした。私はだれよりも殿下の手の温もりを知っていたのです。
「マルタ嬢、公衆の面前で婚約破棄をして傷つけてしまってすまなかった。君の言う通り、私とイコーナの関係は不貞に過ぎない。でも、それでも真実の愛なんだ。変えられない運命なんだ。私は魅了などされていないよ、証明しよう」
気がつくと想い出よりも低くなった声でおっしゃって、殿下は私の手から奪ったイコーナ様の白い陶器の腕輪を握り潰しました。
「あ!」
イコーナ様が悲痛な叫びを上げて、真っ青になって殿下を見つめます。
一瞬、私が正しかったのではないかと思いました。あの腕輪には本当に魅了の魔術がかけてあったのではないかと。
けれど、殿下は彼女に優しく微笑みました。その瞳は甘く、愛に満ちています。
「ほら、この腕輪が無くても私のイコーナへの愛は変わらない。……イコーナ、ごめん。君のお婆様の形見を壊してしまった」
「お婆様の形見だったのですか?……ごめんなさい、イコーナ様」
私は彼女に謝罪しました。
自分が恥ずかしくてなりません。
不貞は恥ずべきことです。でも私の言動も褒められたものではありませんでした。
「あ、いえ、良いんです。マルタ様が怒るのもわかります。だけどアムレートが今言ってくれたように、アタシ達は真実の愛なんです」
私にそう言った後で、イコーナ様はアムレート殿下に微笑みかけました。
「気にしないで、アムレート。お婆ちゃんはアタシが幸せになりさえすれば、形見なんかなくても喜んでくれるわ」
「そう言ってくれると嬉しいよ、イコーナ」
抱き合うおふたりを前に、私は俯きました。
愛し合うおふたりを引き裂くことは出来ないでしょう。諦めるしかないのです。
少なくともアムレート殿下は謝ってくださいました。
会場の床に転がる白い陶器の腕輪のかけらが骨のように見えたのは、私の心から醜悪な感情が消えていなくて、どこかでおふたりの不幸を願っていたからかもしれません。
★ ★ ★ ★ ★
イコーナは生まれながらの男爵令嬢ではない。
父親は確かに男爵だったが、母親は愛人だったため下町で囲われていたのだ。
男爵令嬢と呼ばれるようになったのは、父の正妻と嫡子が流行り病で亡くなってからだった。
父に引き取られた最初は喜んでいたイコーナだったけれど、正妻の実家と縁の切れた男爵家は急速に貧しくなっていった。
これなら下町で犯罪組織の幹部の愛人にでもなっていたほうが良かった、と思い始めたころに学園へ入学して、イコーナは決意した。
絶対玉の輿に乗ろう、と。
(だから下町の裏通りへ行って、盗品や呪いの品が集まるという闇市で……)
魅了の魔術がかかっているという白い陶器の腕輪を買ったのだ。
深々と頭巾を被った売人の顔は見ていない。
そう、侯爵令嬢マルタの嫉妬から来た言いがかりは的を射ていた。祖母の形見というのは嘘である。少なくともイコーナ自身はあの陶器の腕輪に魅了の魔術がかかっていると信じていた。
(だからアムレートは、初対面のときからアタシに夢中だったんだと思ってたのに)
陶器の腕輪が壊された後も、アムレートはイコーナを溺愛している。
彼は王子としての身分や権力は失っていない。王太子の座を弟に譲っただけだ。
少し王都を離れた場所に広い領地を与えられて、新しい家を興して公爵となった。
公爵夫人となったイコーナに大きな不満はない。
豪奢な調度品が飾られた公爵邸は広く、イコーナが望めばどんなものでも用意してもらえた。使用人達も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
新公爵となったアムレートは多忙で今も館にいないけれど──
(使用人に色男さえいれば、なにひとつ文句がなくなるのになー。今度王都へ行ったとき、下町を覗いてみようかしら)
溺愛の反動か、この館には男性の使用人がひとりもいないのだった。
一度は王太子に選ばれていたほどなので、アムレートは文武に秀でた美しい王子だ。
しかしイコーナの好みではない。イコーナは下町の犯罪組織によくいた逞しくて危険な色気のある男達のほうが好きなのだ。
(まあ焦ることはないわよね、アムレートと結婚したばかりなんだもの。下町ではお金さえあればなんでも手に入るわ。裏通りに入れば、もっと……)
「……ただいま……」
いきなり声がして、イコーナは飛び上がりそうになった。
しばらくぼーっとしていたらしい。
部屋に使用人達の姿がない。なにも言わずにどこへ行ったのだろうか。
「アンタ……?」
声の主は深々と頭巾を被った人物だった。
くぐもった声に聞き覚えがあるような気がする。
戸惑うイコーナの前で、その人物は頭巾を外した。
「アムレート? どうしたの、そんな格好して」
「お忍びのときは素性を隠すために、この格好をするんだ。ほら、下町の裏通りに行くときとかにね。君に魅了の腕輪を売ったときもこの格好だったろう?」
「え?」
「君は私以外の男に近づくときもあの腕輪を着けていたけれど、どんなに媚びを売っても上手く行かなかったはずだ。それはあの腕輪がミケーレの骨で出来ているからだったんだよ」
「なに言ってるの? ミケーレってだれよ」
「ミケーレは前の私の名前だよ。何代か前の王族だったから、霊廟で死体を手に入れることが出来たんだ」
アムレートは嬉しげに、滔々と語り続ける。
「ミケーレはそれまでの婚約者との婚約を破棄してまで前の君を選んだのに、浮気されてしまったからね。死しても骸に嫉妬と憎悪が残っていて、君に自分の生まれ変わりである私以外の男は近づけなかったのさ」
イコーナは母から学んだ媚びを売っても、鼻の下を伸ばすどころか怯えたような顔になった学園の貴族令息達のことを思い出していた。
自分が入学式の日からアムレートのお気に入りだったから、王太子の不興を買うのが怖くて怯えているのだとばかり思っていたが、そうではなかったのかもしれない。
思い返してみれば、貴族令息達の視線は白い陶器の腕輪に注がれていた。魅了の魔術の効果だと考えていたけれど、彼らにはイコーナにはわからなかったなにかが見えていたのかもしれない。
「ああ、ちゃんとわかっているよ。君は私やミケーレのように線の細い男は好みじゃないんだよね? 下町の犯罪組織によくいる逞しくて危険な色気のある男達が好きなんだよね?」
心を見透かされたような気がして、イコーナの喉がひゅっと鳴る。
「ミケーレのときは女癖の悪い護衛騎士が浮気相手だったものね。私にとっての君、ミケーレにとっての前の君は真実の愛の相手で変えられない運命だけど……」
アムレートがイコーナを見つめる。
その瞳は甘く、愛に満ちていた。
愛に満ちて歪み、濁り、深淵へと続いていた。
「そうそう、実は闇市でとても良いものを手に入れたんだ、ひと口飲むだけで体が硬直して身動き出来なくなる薬だよ。だから王都から不眠不休で戻ってきたのさ! 食事が出来なくなるから、いつかは死んでしまうけれど、それまで君は私だけのものだ。ううん、人間はいつか死ぬ。今回の君と別れることになっても、私にとっての君は真実の愛の相手で変えられない運命だ。……次の私も次の君を見つけ出す、絶対に。私はこれからもずっと君だけを愛し続けるよ」
「ひっ!」
イコーナは逃げ出そうとしたが、部屋の扉には鍵がかけられていた。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていた使用人達の主人はイコーナではない、アムレートなのだ。もしかしたら、ぼーっとしていたのではなくなにか薬を飲まされて朦朧としていたのかもしれなかった。
アムレートは、扉の前で震えるイコーナを優しく抱き締めた。──愛に満ちた瞳で見つめながら。
★ ★ ★ ★ ★
新公爵としての最低限のお役目を果たす以外では、アムレート殿下はイコーナ様と領地に籠もっていらっしゃいます。
おふたりで社交界に顔を見せることはありません。
そのおかげか、婚約破棄による私の醜聞は早々に収まり、私は新しい婚約者を見つけることが出来ました。もちろん実家の侯爵家の力もあったことでしょう。
新しい婚約者の愛情によって心の傷が癒えた私は、学園の卒業パーティで自分がおこなった暴挙を反省しています。
嫉妬に狂うあまり、イコーナ様のお婆様の形見を奪い取るなんて……最終的に壊したのは殿下でしたが、だからといって許されるようなことではありません。
とはいえ、今さら謝罪の手紙を送っても自己満足に過ぎないでしょう。
だから、私は願うのです。
おふたりの永遠を。
アムレート殿下とイコーナ様の真実の愛が、変わらぬ運命がこれからもずっと続きますように、と。
<終>