Your Song
Your Song
どこかの誰かがワタシのために歌ってくれるのではないか
どこかの誰かのことをワタシが歌うことがあるのではないか
そんなことは けして起こらない この世界にはそういうルールがあるから
いつか最愛だった男は、自分の未来とワタシの恭順を天秤にかけた。
天秤はどちらにも傾かなかった。ワタシがその場から退出したからだ。
どこにでもある朝、どんな人間にでもあると思える朝、忙しさのなかに埋もれるワケでもなく、空疎な時間にまみれた怠惰のなかに浸ったワケでもなく、ほんの平凡な光のなか、いつもの太陽がいつもの流れでただ地表を照らすだけのすこし薄曇りの光線の下、ワタシは新宿御苑のなかをただ漂っていた。なぜか入り口で入園料を求められなかった。たぶん説明が面倒な外国人だと思われたのだろう、そのときワタシは旅行用のトランクを引きずっていたから、片手に地図を手にしていたから。ワタシはその頃、旅客機なら機内持ち込みができそうなちいさいサイズのトランクを引っ張って歩くことが多かった。渋谷の宮益坂をすこし先に見る場所の会社で働いてたけど、そこで必要なものは何年も使い古したトートバックで事足りていた。それでもトランクを引きずって何度もいろんな場所を歩いていた記憶。そしてワタシには地図が必要だった。都心に生まれ育ち、地下鉄にはいつでも気軽に乗れ、もちろん自宅へ帰り着くことも、都内ならば見知らぬところへ思いつきで行くこともさえもできた。そんなワタシが手放さなかったあの地図。いつもそれを携えていた、その手の感触だけがいまもこの左手に。新宿御苑のなかは空疎な時間にまみれた無意味な平面でもあり、半径数メートルで明滅する人口集積区の喧騒のミスプリントでもあったけれど、そこに自分が何かを探す余地があることだけは感じられたのだろう、ワタシはほどなく、自分がひととき身を寄せられるような暗がりを見つけた。それは四阿のような場所だったのかも知れない。そこでワタシは憩い、そして感じた。左手の地図の示すところへはけして行かれないだろうと。そして、ワタシには絶対に戻ってはいけない場所があるのだと。ワタシは思い出せない、その地図にはどの場所が示されていたのかを、そして、右手でだらしなく引きずっていたトランクに、いったい何が詰め込まれていたのかを。