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愛人なんていりません


 乳姉妹、病弱なグレアム様に近い位置にいたとはいえ、グレアム様は第四王子。

 グレアム様から直接、メリック前伯爵夫人を愛人にしたいとは聞いていない。ということは、彼には愛人にするつもりはないということだ。政略結婚の条件もあり、わたしとの結婚を維持しながら彼女とも上手くやろうなんて考えてもいないはずだ。


 家令に案内されたガゼボには二人の姿が見えた。メリック前伯爵夫人は未亡人であるにもかかわらず、独身者が着るような明るいピンク色のフリルの多いドレスを身に纏い、茶色の髪を下ろしている。


 その姿に思わず顔をしかめた。

 すでに喪が明けているから喪服を着ろとは言わない。だが未亡人らしく落ち着いた色と意匠のドレスにするべきだ。髪型も煩い貴婦人なら、顔をしかめるだろう。既婚者は髪を結い上げた方が印象がいい。


 二人きりにならないように側に控えている護衛と侍女たちは表情を殺しながらも、どこか心配そうに見守っていた。


「ねえ、再起不能まで追い込んでいいの?」

「はい、お願いします」

「でも彼女、乳姉妹でしょう?」

「わきまえない人間は必要ありません」


 ゆっくりと歩きながら、そんな会話を交わす。徐々に距離が近づいているのだが、二人は会話に夢中で、わたしたちに気が付いていないようだ。


「――何度でも言おう。僕は君を愛人にするつもりはないし、いつまでも面会を申し込まれるのも迷惑だ」

「殿下、何故そんなことを言うのです? いつだってわたしを頼りにしてくださっていたじゃないですか」

「頼りにしていた? そんなこと、一度もない」


 二人の会話を聞き齧って、足を止めた。わたしが足を止めたことで、家令も立ち止まる。


「熱が出た時に看病しましたわ。もしかしたら覚えていないかもしれませんが、ずっと側にいたのです。殿下はわたしがいなくては駄目になってしまいます。だから、いつまでも一緒にいられるように愛人で我慢しようと……」

「頼むから、話をちゃんと理解してくれ。熱が出た時は乳母が側についていた。無理やり居座ったのは君の勝手だ」

「誤解ですわ。無理やりではありません」


 想像していた女とは全く違う。


 贅沢をしたくて愛人になりたい女なら撃退するのは簡単だ。だけど、これは何か違う。

 グレアム様一人では何もできないと言われていることが不愉快だ。会話も同じことの繰り返しで、彼女はグレアム様の話を一切受け入れていない。


「ごきげんよう。気がすむまでお話しできましたか?」


 聞いているのも限界になって声をかけた。二人は弾かれたようにわたしの方へ顔を向ける。グレアム様がわたしたちを見て目を丸くした。


「エリノア、どうしてここに?」

「先触れもせずに訪問した客がいると聞いたので、少し注意をしようかと」

「まあ! わたしは殿下にとって特別なんです。注意なんて必要ありませんわ」


 頭が悪いのか、この女は。

 イラッとしたが、対外的な笑みを浮かべた。


「どなたかしら。名前も名乗らず口を挟むなんて、どういう育ちをされているの?」

「殿下、どうか説明をしてくださいませ」


 わたしのきつい言葉に困惑したように首を傾げ、グレアム様に訴える。その様子は保護欲をそそらなくもないが、絶対に守ってもらえると思っている態度が鼻につく。


「いい加減にしろ! ずっと乳母が困るだろうからと思っていたが、これ以上は我慢がならない」


 グレアム様がとうとう怒鳴った。その怒鳴り声に、辺りがしんと静まった。

 グレアム様が怒鳴るなんて思っていなかったため、呆気に取られた。それはメリック前伯爵夫人も同じだったらしく息を呑んで固まった。その様子から、怒鳴られたのは初めてなのかもしれない。


「そもそも君は侍女でもなかった。乳母が夫を亡くして子供を預けられないと知った母上が気の毒に思って後宮に親娘で入るのを許しただけだ。いつまでも自分が特別なような態度を取るのはやめろ」

「そんな……でも、殿下にとってわたしは側にいてほしい人でしょう? わたし、殿下を心から愛しているのです」


 また堂々巡りが始まってしまった。どうやらこの女はこうして繰り返して訴えていればいずれグレアム様が折れることを知っているかのようだ。

 実際、結婚前まではこうして自分の意見を通してきたのだろう。わたしでも処罰できないのなら面倒で頷いてしまいそうだ。家令がグレアム様では断り切れないから、と言っていた理由がよくわかった。


「はい、そこまで」


 大きく手を叩いた。二人の会話が止まる。


「貴女は今、グレアム様の侍女ではありません。身分は元伯爵夫人というだけ。そこをわきまえなさい」

「ちゃんと話を聞いてください!」


 悲鳴のような声を上げるが、鬱陶しいばかりだ。わたしはわざとらしくため息をついた。


「聞いているわ。貴女こそちゃんと現実を理解しているの?」

「現実?」

「そう。ここは王族の離宮よ。グレアム様は王族、わたしはその妻よ。こうしてわたしの言葉を否定している、それだけで処罰対象になるわ」


 冷ややかな声で言えば、彼女はあっと声を上げる。うろうろと視線を彷徨わせて、最後にグレアム様に縋るような目を向けた。


「僕には君は必要ない。愛人もいらない」


 そう言ってグレアム様はわたしの方へと近寄る。何をするのかと思えば、腰に腕が巻きつき、そっと抱き寄せられた。わたしに頬を寄せながら、彼女を見つめた。


「僕たちの関係は色々言われているが、この通り、とても仲がいい。これほど美しい妻がいるのに愛人なんて必要ない」

「でも」


 必要ないと言われたことがショックなのか、やや顔色を悪くする。それでも反論しようとするのだから神経は図太いのかもしれない。それにしてもどうしてそんなに愛人に拘るのか。

 メリック元伯爵夫人の態度から贅沢をしたいからという理由ではない気もしたが、とりあえずはっきりさせておきたい。もし本当に愛しているなら、喜ぶだろう。


「グレアム様が愛人を持つと、わたしとは離縁になって、与えられた辺境の地に行くことになるわ」

「え?」

「かなり有名な話だから社交をしている貴族ならだれでも知っている話よ。グレアム様本人を愛しているのなら、お金なんて関係ないかしら?」


 嫌味を混ぜて言えば、彼女は信じられないと言った顔になった。少しはお金のこともあったのかもしれないとその様子を見て思う。


「お話も終わったようですので、玄関までお送りいたします」


 話が途切れたタイミングで、家令が静かに申し出た。護衛騎士も一人、メリック元伯爵夫人の側に寄る。エスコートするように手を取り、引っ張った。呆然とした彼女は何も言わずに促されるまま歩き始める。

 その後ろ姿を見送りながら、首をひねった。


「結局何だったのかしら? 贅沢をしたかったの?」

「さあ? いつでもさり気なく自分の要望を口にして実現させてきたから。やはり楽に生きていきたかったのだと思う」

「愛していると言っていたわよ?」


 ちょっと当て擦るように言えば、グレアム様が項垂れ、わたしの肩口に額を当てる。彼の香りがふわりと鼻腔を擽った。


「あれは支配欲だろう。子供の頃は確かに病弱で、いつも熱を出して寝ていたから」

「ふうん」


 不機嫌な声を上げれば、小さな笑い声が聞こえた。グレアム様が少しだけ顔を上げて、わたしの顔を優しい眼差しで見つめた。


「嫉妬している?」

「はい!?」


 想像外の言葉に、突拍子のない声を上げた。確かに彼女の存在は不愉快だったけど、だからといって嫉妬と繋がるわけではなくて。


「そうだったらいいな。僕は君のことが好きだから」


 突然、好きと言われて言葉を失った。信じられない気持ちの方が大きくて、素直に嬉しいと思えない。


「でも、この1年、そんな素振りはありませんでしたわ。ずっと避けられていて、嫌われているものだと」

「……自信がなかったんだ。僕は年下だし、体が弱くて、筋肉はない。少しでも筋肉をつけてから口説こうと思って」


 何故、筋肉のことを知っているの!?


 予想外のことを囁かれぴきりと固まれば、優しく抱きしめられた。


「実はエリノアと結婚したいと希望したのは僕なんだ」

「は、い?」

「結婚できると知って浮かれていたら、王太子妃殿下が君が理想の筋肉を持った相手と結婚できないのは可哀想だと陛下たちに訴えているのを聞いた」


 ああ、なんとなく理解したような?


 考えることを放棄したわたしは少しだけグレアム様から距離を取った。彼はわたしの手をぎゅっと握りしめた。逃がさないと言っているような握り方に目を瞬いた。じっと綺麗な瞳に見つめられて、次第にドキドキし始める。


「期待するような筋肉はしていないのが恥ずかしいが……これから期待に応えて育てていくつもりだ。だから、少しでもいい。好きになってほしい」


 気持ちが舞い上がるようなことを告げられて、わたしの体は一気に熱を持った。恥ずかしさに思わず目を伏せたが、すぐに顎を持ち上げられた。まっすぐに見つめるその目は気弱なところは全くない。間違いなく王族の目だった。


「やっぱり可愛い。ずっと近くで見つめてみたかった」

「グ、グレアム様。今日は突然すぎます。ちょっと冷静になる時間が欲しいですわ」

「冷静になったら逃げるだろう?」


 逃がすつもりはない、といった目を向けられて息が詰まる。

 突然距離を縮め始めた彼にどんな顔をしたらいいのか、全くわからなかった。



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