はしたないことに興奮してしまいますわ
「今日の模擬戦、楽しみだったのよ」
騎士団副団長の案内で訓練場を見渡せる席に着くと、隣に座ったベアトリス姉様がこっそりと囁いた。
艶やかな黒髪を美しく結い上げ、首まで品よく覆ったドレスを纏ったベアトリス姉様は女のわたしの目から見ても非常に美しい。わたしよりも5歳年上で二児の子供を持っていても、その華やかさは衰えることはない。
わたしもベアトリス姉様と同じく黒髪に新緑のような緑の目だけれども、華やかさはやや欠ける。こればかりは仕方がないが、もう少し色気がほしい。
ベアトリス姉様は不満でしかないわたしの結婚を誰よりも心配して、少しでも息抜きができる様に、こうして騎士団の模擬戦にもよく誘ってくれる。騎士団の模擬戦は訓練の一環だから、普通なら見ることができない。ベアトリス姉様がいるからここに来ることができるのだ。
わたしもベアトリスお姉様に負けないぐらい上品に扇を広げ、柔らかい笑顔で答える。
「わたしもです、ベアトリス姉様。前回からだいぶ時間があいていますから。補給しないと死にそうですわ」
「本当よね。もっと頻繁に模擬戦をしてくれたらいいのに。ねえ、エリノア。左で準備している彼の筋肉、素敵じゃない。うっとりするほど逞しいわ」
「そうですか? わたしには少し大きすぎます。もっと細身の方が好みです」
そっと視線で促された先にいる騎士を見る。顔を見てもよくわからないが、筋肉を見れば誰だかすぐに分かった。子爵家の4男で、鍛え上げられた体が服の上からもよくわかる。騎士の制服は紺色で、がっちりとした体を包み込んでいるが、わたしたちにとって服など障害にはならない。
胸板の厚さや腕の太さが服の下の筋肉は手に取るようにわかる。好みの筋肉ではないがその逞しい筋肉の形や動きを想像して、どくりと心臓が鳴った。顔が熱くなったが、すぐに気合を入れて温度を下げる。
ここで下品にも赤らめてしまっては、変な噂が立ってしまう。あくまでわたしたちは視察なのだから、優雅に見守らなくてはならない。
ベアトリス姉様は流石に少しも表情を揺るがせなかった。いつものように優し気な笑みを浮かべ、どこか楽しそうだ。
これからの模擬戦を楽しみにしているとわかるような笑顔。
さらりとこれぐらいの表情を作りたいものだ。
「あら、だったらあちらの彼は? 以前訓練の後に休んでいるところを見たけれど、大きすぎず艶と形がいいわ。一度じっくり側で見てみたいものね」
「ふふ、お姉様ったら側で見てみたいなんて。色とか形とか口にしたら、はしたないですわ。母が聞いたら、間違いなく怒ります」
ベアトリス姉様は慈愛の笑みを浮かべたままだが、この会話を聞いた人は卒倒してしまうだろう。わたしの小言に彼女は少しだけ悲しそうな色を浮かべた。
「沢山の筋肉を堪能したいのに、こうして盗み見る程度で抑えているのよ。多少のはしたなさは見逃してほしいわ」
「お姉様はここに来なくても、王太子殿下がいるではないですか。剣術は騎士団団長と互角だと聞きましたわ。筋肉も素晴らしいのでしょう?」
「そうね。剣の腕は素晴らしいわ。体も硬い筋肉で覆われているし。でも違うのよ、わたくしはもっと……」
どこか遠い目をしながら、ベアトリス姉様はため息をついた。そして憂いを含んだ目をわたしに向ける。
「本当に伯母様が羨ましい。わたくし、伯父様が理想なのよ。あの太い腕に抱き上げられて、厚い胸筋に寄りかかるのが好きだったわ。そんなわたくしに優しい笑顔を向ける伯父さまは本当に素敵で。幼い頃、自分が姪だということを大いに呪ったわ」
「……本当にいつまでたっても、わたしの父が好きですわね。わたしはどちらかというとムキムキし過ぎた暑苦しい父が苦手です。もっとしなやかでスレンダーな筋肉がいいですわ」
「あの良さがわからないなんて、本当に贅沢な子」
ぽつりと零れた本音に、わたしは苦笑した。
「鬱陶しいぐらいに毎日どれほど父の筋肉が素晴らしいか自慢されますのよ? 接しすぎてお腹がいっぱいというのか」
「やっぱり贅沢よ。わたくしだったら、一緒になってあの素晴らしさを語ることができるわ」
「そうとも限りませんよ。一度、経験してみたらよいのです。あれだけ毎日鬱陶しいほど自慢されたら、実母ですけど殺意しか湧きませんわ」
母親のうっとりとした夢見るような顔を思い出したら、しかめっ面になる。両親のスキンシップは貴族ではありえないような様相なので、娘としては見ていたくない。
「そうだわ。グレアム殿のいい噂を聞かないけれど、大丈夫なの?」
「乳姉妹の女のことですか?」
「ちゃんと知っているのね」
さりげなく確認されて、頷いた。ベアトリス姉様は先ほどとは違う笑みを浮かべる。優しい感じではあるが、冷ややかさが見えた。
「え、ええ」
「どうするつもり?」
「どうするも何もないのですけど……。グレアム様はそもそも愛人なんて持てませんし。メリック前伯爵夫人はグレアム様の愛人になれば贅沢に暮らしていけると思っているかもしれませんが、愛人を持った時点で離縁が決まっていますから。基本、放置です」
冷静に説明すれば、ベアトリス姉様は頷いた。
「そう。もしグレアム殿が愛人を持ったのなら、真っ先にわたくしに相談しなさい。もっと条件を吊り上げてあげるわ」
「……ありがとうございます」
ベアトリス姉様は手を伸ばしてそっとわたしの頬に触れた。瞳を至近距離で覗き込まれる。
「貴女が悲しい思いをするのは許せない。貴女には心から愛した筋肉を持った男性と結ばれて欲しかった」
「ベアトリス姉様」
その優しさに嬉しくなって思わず笑みを浮かべた。頬に添えられた手に自らの手を重ねる。
「心配してくださって嬉しいです。でも、陛下の決められた結婚ですもの。仕方がないのですわ」
「エリノア、なんてかわいそうなんでしょう。わたくしに力がないばかりに。貴女の大好きな筋肉が全くない男との結婚がどれほど酷なものなのか、陛下にも王太子殿下にもしっかりと言葉を尽くしてお伝えしたのに……」
ベアトリス姉様の言葉から持論を展開したのだと、びっくりする。さりげなく性癖を暴露されて、狼狽えた。
「え? 陛下と王太子殿下はわたしたちの性癖をご存じですの?」
「もちろんよ。殿下は鍛えた後に卵を食べるようになったわ」
「……愛されておりますのね」
「ふふ、そうね。筋肉は好みのタイプじゃないけど、愛する理由はそれだけじゃないのよ」
そう言って恥ずかしそうに頬を染める。
――羨ましい。
ぽつんと思ってはいけない言葉が胸の中に落ちてきた。
――わたしだっていつか筋肉よりも……。