仮面夫婦ですの
「おはようございます。今日はいい天気ですわね」
朝食を終え、ゆっくりと日の光がたっぷりと入るサロンでお茶を楽しんでいるところに夫であるグレアム様がふらりと入ってきた。
背はわたしよりも少しだけ高いが、男性にしては体の線が細い。王族特有の明るい金髪とくっきりとした青い目をしている。色合いは王族そのものなのだが、母親の側室様に似た中性的な顔立ちで、喉仏がなければ男性なのだろうか、と疑いたくなるような繊細な顔をしている。
今日は体調がいいのか、少しだけ頬に赤みがさしていた。
朝の時間に鉢合わせする珍しさに少し首を傾げたが、それでも挨拶は大切だ。だが相手はそう思わなかったようで、目を少しだけ合わせて軽く頷いただけだった。これもいつものことなので気にすることなく、優しい口調を心がけながら尋ねる。
「今日のご予定は?」
「……母上に呼ばれている」
「まあ、側室様との茶会ですのね。ようございました。楽しんできてくださいまし」
このやろう、と内心拳を握りしめたが、その気持ちは少しも表に出さない。
義母である側室様のサロンで行われる茶会に妻を伴わない。
これがどういう意味をしているか、わからなくもないだろうが。
いや、わからないのかもしれない。グレアム様は幼いころから病弱であったため、17歳になる今も公務も社交もしていない。こちらが貴族社会の常識、と思っていても知らない可能性もある。
無神経な夫を睨みつけないように、テーブルにあるカップの方へと目を向けた。
「お前は……エリノアはどうする?」
どうやら夫婦で参加しないといけないのかもしれない、と思い至ったようで、そんな雑な誘いをしてきた。小さく息を吐いて心を落ち着けてから、再び夫の方へと顔を向けた。にこにこと気にしていないですわ、といったような笑顔を根性で貼り付ける。
「申し訳ありませんが、今日は王太子妃殿下と一緒に騎士団の模擬戦に招かれておりますの。側室様には後ほど謝罪の手紙をお送りしますわ」
「ああ、王太子妃殿下は君の従姉だったか。それなら仕方がない」
興味が失せたように彼はふらりと部屋を出て行った。完全に夫の気配を感じられなくなってから、乱暴にカップを手に取った。
温くなったお茶を一気に飲み干し、音を立ててソーサーにカップを戻す。淑女らしからぬ仕草だが、暴れたいところを我慢しているのだから見逃してほしい。
「エリノア様、よかったのですか?」
空になったカップにお茶を注ぎながら、実家から連れてきた侍女のジニーがそう聞いてきた。気心しれた彼女に肩をすくめる。
「いいのよ。どうせあの女が来ているのでしょう? 側室様は追い払いにくいのか、すぐグレアム様を頼るのよね」
私たちの結婚は政略結婚だ。
この国では側室とその子供は国王が亡くなった後、城から出される。側室様は元子爵家の令嬢で、とてもじゃないけれども実家に頼れる状態ではない。今だって実家から援助がもらえず、わたしと結婚する前は最低限の暮らしだった。
城の一角に住んでいるのだから庶民からすれば贅沢な暮らしかもしれないが、側室と言えども王妃や他の側室との交流が必要で、自然とドレスや宝石なども整えなければならない。数をまかなえるほどの予算は側室には付けられることはない。何よりも側室は陛下が亡くなったり、譲位した場合は実家に戻される。
側室様の実家に十分な資産がないことを知っている陛下が二人の行く末を心配したことがきっかけで、わたしたちの結婚は決まった。
そんな政略結婚だから、グレアム様もわたしのことが気に入らないのだろう。1年経っても清い関係だし、たまに顔を合わせても今のような上っ面だけの会話をする。
政略結婚であっても夫婦だ。できるならば、気持ちを通じ合わせて人生を共にしたい。その思いもあって初めはそれなりに交流しようとしたが、あまりにも逃げられる。ようするに、二人でじっくり話し合ったことがないのだ。
わたしだけ頑張るのはおかしい。歩み寄るつもりがないなら、もういいかな、と思った。
それにこの結婚で、わたしは念願の爵位を得ることができた。わたしが働いて、グレアム様を養う。お互いに利のある政略結婚だ。
このことを悟ったとき、子供っぽい夫婦の理想は捨てた。
「エリノア様のお考えはわかりますが、それでも放置はよろしくないかと」
「何かあるの?」
あまりにもジニーが食い下がってくるので、違和感を感じた。結婚して1年。白い結婚は今に始まったことじゃない。二人の関係の淡泊さにいつも呆れながらも口を挟んだことはなかった。
「側室様付きの侍女から先日教えてもらったのですが、メリック前伯爵夫人は愛人にしてほしいとグレアム殿下に縋っているようです」
愛人?
思わず動きを止めた。予想外の言葉には、思っていた以上に胸にずしりときた。理由のわからない苦しさを無視して、平然とした顔を作る。
「……そうなの。何があったのかしら?」
「嫁ぎ先のメリック伯爵家の世代交代が行われました。後妻でしたから、義理の息子から父親を弔うためにも修道院へ行けと言われているようだと聞いています」
なるほど。
結婚前に一度会った女を思い浮かべる。あの時はまだ彼女はグレアム様の侍女だった。
パッとしないどこにでもいる茶色い髪と茶色い目の色をした普通の女だ。一つだけ人と違うところがあるとすれば、グレアム様の乳母の娘というところ。
あの女はグレアム様の乳姉妹であることをいいことに側室様の所でそこそこいい思いをしてきている。病弱だったグレアム様を看病していたので、グレアム様とも非常に距離が近い。
だからグレアム様と、なんて甘いことを考えていたのだろうが、側室様が用意したのは伯爵家の後妻だった。わたしとの婚約が決まってから、追い出されるようにして嫁いでいった。グレアム様の乳母は男爵家の娘だったから後妻とはいえ、かなり破格の扱いなのだが、本人はもっと華やかに生きていきたいらしい。
「わたしたちの結婚の理由を知らないのかしら?」
普通に社交をしている貴族なら、この結婚はグレアム様と側室様へ援助をするためのものだと知っている。側室様は政治的には何も影響力はないし、グレアム様に愛人ができたら離縁だということも知っている人が多い。
「早いうちに心を折っておいた方が後々面倒にならないかもしれません」
「心を折るといっても……。ねえ、そもそも愛人ってそんなにいいのかしら? 結局は日陰者で、相手に捨てられたら終わりでしょう?」
「下級貴族でもっと豊かに暮らしたいと思うなら、愛人でもいいと思えるものです。働く必要がなく、高貴な身分の旦那様を自分を磨きながら待つ。そんな贅沢な夢を見る女性も多いです」
「そうなの?」
「一般的には。想像しにくいのなら、高貴な身分の旦那様を理想の筋肉に置き換えてもらえればエリノア様にも理解できるかと」
そう言われて、理想の筋肉を愛でる贅沢な暮らしを想像した。
日中は茶会をしたり観劇を見に行ったり興味のあることをして、夜は完璧な筋肉を愛でる。
確かにすごく、いい。
天国のようだ。
「……すごいわね。堕落してしまいそうだわ」
「納得してもらえたようですね。それをエリノア様のお金で実現しようとしているのです」
「絶対に嫌。許しがたいわ」
とはいえ、メリック前伯爵夫人とこれといった接点があるわけではない。愛人になりたいという話も聞き齧っただけで実際どうなっているかは知らない。
カップに手を伸ばし、どうしたものかと思いめぐらせた。




