10話 は・じ・め・て・の魔法
【10話】
『この辺りか』
「ええ、多分……」
エルナは体勢を低くして、草葉の陰に身を潜めた。
そんな彼女の首元に俺はペンダントとしてぶら下がっている。
ここは彼女が鬼猪を探知した場所。
辺りは日光が届かない程の木々が覆い繁り、薄暗く、足元は腰までの高さの雑草が繁茂していて非常に歩き難い状態だ。
魔法探知が上手く行っていれば、そろそろ気配を感じても良いはずだが……。
「何もいませんね……。やっぱり私の勘違いだったんでしょうか……」
エルナは残念そうに呟く。
だが、俺は感じていた。
二人の背後から、悠然とした態度で近付いてくる者の存在を。
『そうでもないみたいだぞ』
「……え?」
呆然としていた彼女だったが、すぐに草葉を踏みしめる音と強い殺気に気が付いたようで、慌てて腰を上げ、振り返る。
「っ!?」
エルナは息飲んで絶句した。
眼前に見上げるほどの大岩とでも言うべき巨体が存在していたからだ。
人間の頭なら簡単に踏み潰せてしまえそうな大きな蹄。
口元から上に向かって伸びる二本の鋭い牙。
針のように逆立った、見るからに硬そうな獣毛。
そして――睨んだ者を畏怖させる紅い眼光。
それは強い生命力を感じる魔物だった。
『これが魔物……鬼猪か』
俺は初めて対峙する魔物に恐れどころか、感動すら覚えた。
奴は奴で早速、俺達を獲物と捉えたのか、鼻息荒く、攻撃を仕掛けるタイミングを見計らっている。
『それにしても想像してたより、かなりデカいなあ……。さすが魔物だけあって魔力量も多い気がする。なんか雑食っぽいし、魔力を溜めやすい体質なのかもな』
俺がそんなふうに、まじまじと鬼猪を観察していると、エルナの緊張が石の表面を通して伝わってくる。
「あ……ああ……」
彼女は恐怖で言葉すら出ず、体も硬直して動けずにいた。
『おい』
「は……はい……」
彼女は固まったまま、辛うじて返事をした。
『一応返事をする余裕はあるようだな」
「で……でも……」
『そんなにビビることないぞ? 今のエルナの方が強いはずだからな』
「そ、そんなことは……。それに……まだ攻撃魔法も教わってないですよ……? ど、どうするんです……?」
『今から教える』
「いっ、今からですか!?」
彼女の驚きの声に反応するように、鬼猪がグォォォという低い唸り声を上げる。
「……ひぃっ!?」
エルナは震える足で思わず後退り、距離を取る。
『大丈夫だ。今からでも充分間に合う。それに実戦の中で覚えた方が修得し易いからな。効率いいだろ?』
「そっ、そんな……無茶言わないで下さいよぉ……」
『しかし、その無茶をやらないと目の前の危機からは逃れられないぞ?』
少し意地悪な態度で言ってみると、彼女は落ち着いた表情を取り戻す。
「アクセルは……厳しすぎます」
僅かだが強張っていた表情が落ち着きを取り戻す。
どうやら肝が据わったようだ。
『そうか? 結構、優しく丁寧に教えてるつもりなんだけどな』
「もうっ…………それより、どうしましょう。アレは待ってくれないみたいですよ」
鬼猪は、前足の蹄で地面を引っ掻く動作を頻りに繰り返している。
いつ攻撃を仕掛けてきてもおかしくはない。
さて、この硬そうな猪には、どんな魔法が対処し易いだろうか。
炎系の魔法が攻撃力が高く、比較的覚えやすいが、エルフが火炎魔法を使ってる絵面は似合わないしなあ……。
やっぱエルフと言えば、風魔法だな。
それがしっくりくるし、美しい。
よし、ここは風系魔法にしよう。
技術的には、やや高度だが、エルナなら上手くやってくれるはずだ。
それにアイテムで補助すれば、より扱い易くなるしな。
『エルナ、お前、弓を持ってたよな?』
「えっ、あ、はい。これですか?」
彼女は背中に据えていた弓を取り出してみせる。
拳五つ分位の弦しかない小さな木弓だ。
用途的にはウサギなどの小動物を射る程度のものだろう。
『そいつで、奴をやる』
「ええっ!? こ、これでですか!? ただの木弓ですよ? あの硬い毛には全く刃が立たないと思うんですけど……」
『まさか、そのまま使うとは思ってないよな?』
「あ……魔法ですか」
『そうだ。風魔法を弓矢に付与する。そうすれば、あの硬そうな体も貫けるはずだ。とにかく、矢をつがえろ』
「は、はいっ」
彼女はすぐに、背腰にある矢筒から矢を一本引き抜き、弦に宛がう。
そのまま狙いを鬼猪の眉間に定めた。
『いいか、状況が状況だから短く説明するぞ。やり方はさっきの強化魔法とほとんど同じだ。集中力を高め、イメージを具現化する感覚。この場合、矢尻を中心に竜巻が巻き起こり、その中心が真空になるようなイメージだな』
「やってみます」
『まだそれだけじゃ駄目だ』
「えっ……」
『今回は、摂理を大きく超えた魔法だからな。魔法式を組み立てる必要がある』
「式って……今から計算をするんですか?」
『計算とは少し違うな。
放つ魔法に対して考え得る限りの条件を重ねて行くんだ。
無論、エルナの頭の中でだが。
例えば、その矢はどのくらいの速度で放たれるのか?
最高速はどれくらいか?
それは終速と同速度か?
発射角度は?
減衰率は?
それ以外にも外力を受けた場合はどうなるのか? とか、
着弾した際にはどのようにして対象の肉を抉るのか? とか、
それこそ筋組織を矢尻が一本一本引き裂いて行くような細かい部分まで、そのイメージを魔力を使って回路のように組み上げる。
そうやって出来るだけ多くの可能性未来を揃えれば揃えるほど、より強固で何者にも負けない魔法が出来上がるという訳だ。
逆に言えば、自分が想定していなかった条件を突かれれば、それがその魔法の弱点となる……と、だいぶ要約して言ってしまったがちゃんと伝わってるか?』
「な、なんとか……」
『よし、じゃあやってみるか』
エルナは黙って頷いた。
既に弓矢は鬼猪の眉間を捉えている。
魔法式を組み立てる準備も出来ているようだ。
俺はそれを見計らって、彼女に魔力を受け渡す。
真っ直ぐに目標を見据えたエルナの集中力が高まって行くのが分かる。
矢尻に吸い込まれるように周囲の空気が動き始め、それが風に変化し始める。
魔力纏った矢。
それが現実の力となって、この世に誕生しようとしている。
いい調子だ。このまま魔力を安定させて行けば……。
そんなふうに安心して見守っていた時だった。
周囲の地面が震動する。
痺れを切らした鬼猪が、彼女に向かって突進してきたのだ。
「!!」
彼女は反射的に弦を強く引いた。
しかし、まだ魔法式は完全ではない。
『待て、まだ早い!』
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