バナナでダイブ
ほんの些細な幸せ。
ただ……普通に暮らしたかった。
それさえも叶わないなんて、神様はきっと性格が悪いんだなと思わず呟く。
俺のたった一人の妹、ミオまで奪ってしまうなんて。もう俺に生きる意味なんてないんだ。
俺は途方に暮れ生気のない表情で、少し前まで妹のミオと暮らしていた、アパートへとゾンビの様に歩いて行く。
「なんであんなに心優しいミオなんだよ……クソみたいな俺を連れていけよ……」
ふと歩道橋の上から車道へと視線を向ける。忙しなく行き交う車を眺めてしまう、俺の脳裏に浮かんだ負の感情が溢れ、徐々に支配されていく。
「……このまま俺も」
「ミャー!」
突然聞こえた猫の鳴き声に、俺は声の主へと顔を向けていた。
「なんだ猫……俺を止めてくれるのか?」
歩道橋の手すりの上で器用に座る猫は、俺の言葉に応える様にもう一度鳴き声を発してくれる。
全身真っ黒な毛色で、瞳は珍しい黄色と水色のオッドアイが印象的な子猫だった。
まさか昔は不吉を招く、などと言われていた黒猫に命を救われるとはな。俺は思わず苦笑いしてしまった。
「ありがとな」
俺は子猫へと呟くと、子猫は満足そうにまたしても返事を返してくれた。本当に言葉を理解しているように錯覚してしまう。
子猫は手すりの上でクルリと俺へと背を向けると、颯爽と立ち去って行く。
いや……正確には去って行く予定だったのだろう。
「ミャッ?ミャァァ!?」
「ちょっ!あぶないっ!!」
俺は咄嗟に子猫へと駆け寄ると、必死に腕を伸ばしていた。勢い良く踏み込んだ足に突然違和感が走った。
微かに視界に映る黄色いそれは、俺の全体重がかかった足を盛大にスリップさせて行く。
そう……それはもう文句のつけようがないくらい綺麗に……
俺は素晴らしく綺麗なフォームで歩道橋の手すりを背面跳びで飛び越えたのだった。
「バ……バナナの皮だとっっ!?」
落下して行く中、俺は見ていた。子猫は焦りながらも簡単に手すりへと戻って行くと、申し訳なさそうに俺を見つめていた。
え、無駄死にじゃねーか……
俺は最後まで抗った。
意識が途絶えるその時まで、完璧なフォームを崩さなかったのは秘密だ。
…………
……
激しい倦怠感を感じながらも、意識が活動を始めて行く。ボンヤリと俺の視界に映し出されたのは、真白な天井だった。
「……ッ!?」
ここは言ったい何処だ?重い体は言う事を聞かず、俺の意思とは裏腹に動かない。
俺は視線だけを動かして空間の把握をして行く。
どうやら病院ではなさそうだな。
何の変哲も無い白い部屋……
広さは、大体5×5mってとこか?
俺は確か、何時も通り病院へとミオに会いに行って……いや……
ミオとお別れしたんだったな……
自然と頬を伝う涙。胸を締め付ける悲しみが一気に押し寄せてくる。
俺は暫く子供の様に泣きまくった。
ひたすら泣き喚き疲れきった俺は知らないうちにどうやら寝てしまったみたいだ。
散々泣いたおかげか、気持ちは妙にスッキリしていた。
「てか……俺も死んだんだったな……」
妹のミオが亡くなった悲しみで、自分の状況を完璧に忘れていた。
相変わらず白い部屋に寝そべる俺は、重い体を動かし上体をゆっくりと起こした。
「ん……なんとか動けるな」
無理やり起こした上半身は視界をグルグルと揺らしていく。
うえ……気持ち悪い……もう暫く座っていた方が良さそうだと判断し、俺は両腕で後ろの地面へと体重をかけて行く。
パフッ……
突然手に感じた柔らかい感触に年甲斐もなく思わず驚いてしまった。
「うぁっ!」
状態反射で腕を引いた俺は、恐る恐る後方へと振り返った。
「ファッ!?」
俺の視界に映ったそれは、実に見事な果実が2つ……いや、黒い下着のみを身に付けた可愛い女の子が横向きで寝転がっていた。け、けしからん……
「あはは……くすぐったいよぉ〜……ムニャムニャ……え!シシャモくれるのっナウ?だが断る……サンマにして下さい……ムニャムニャ……」
「……まさか寝言なの……か……」
イヤイヤ……そこじゃない!なんでこんな可愛い女の子が下着姿で寝てるのかって事だろ。
まさか、俺と同じで死んだのか……?
俺はそんな思いの元で、彼女を見つめていた。……胸でけぇな……!?いや違うだろ自分!彼女は俺と同じく死ん……胸でけぇな……
…………
……
だからさ!男としてどうなのよって事だろ?下着姿の可愛い女が目の前で無防備に寝てんだよ?寝返りするたびに揺れるんだよ?事故とは言えさっき谷間に手突っ込んだはずだ!グッ……あ、足広げないでよ……け、けしからん実にけしからん……そ、そうだ!1回も2回も触るのは同じだろ?じゃあどうすんの?行くでしょぉ〜〜……フゥゥッ!!
永遠かとも思われた戦いの末に、俺は答えを導き出したんだ。果てしなき戦いだった……
俺は長い冒険の末、魔王討伐を成し遂げた勇者の様な清々しい表情なのだろうな……ふ。
「いざ尋常に……参る……ぐべぁッ!?」
意識を刈り取られるその瞬間、彼女の足の裏が見えたのは覚えている。