戒めのエーデ③
「ロリウスさん、急ぎましょう!」
にわかに降り出した雨の中、リノとロリウスは爆発音がした方へと足取りの間隔を早目る。森が揺れる程の衝撃だったため、オルカのことが心配でならない。
ロリウスは不安そうなリノに気の利いた言葉を掛けようとしたが、諦めて奥歯を噛み締める。今の自分には言葉を伝える術がないことを再認識する。いや、仮にあったとしても結果は変わらなかったのかもしれない。
「私たちの事情に巻き込んでしまい申し訳ございません」
リノの顔が一段と曇る。
(頼むからそんな顔をしないでくれ)
彼女達にどんな事情があるのかはわからないが、巻き込まれたなどと思っていなかった。寧ろ足手まといにしかならない自分が腹立たしかった。
さっきもそうだ。
屍肉のゴーレムを前に一歩も動けない自分を庇い、リノは腕に擦り傷を負った。するとリノは「このくらい何ともないです」と笑顔で言うのだ。そして、詠唱と同時に杖を天にかざすと光の剣が無数に降り注ぎ、屍肉のゴーレムを跡形もなく消滅させたのだった。
ロリウスは横で走るリノの白い腕に目をやる。
治癒魔法で止血こそできているものの、痛々しい傷跡は完全には消えていない。
もし、自分さえいなければこんな傷を負うこともなかっただろう。そう思うと不甲斐なくてならない。
(謝りたいのは俺の方だよ。だからリノが落ち込む必要なんてない)
気持ちが伝わらないのはわかっている。だからせめてもの思いでロリウスは親指を立てて見せた。
「ああ、もしかして大丈夫って言ってくれてるのですか? 怒ってないのですか?」
何度も首を縦にふる。
「ありがとうございます! ロリウスさんは優しいのですね」
それを見たリノの表情が明るく変わる。
(リノ、俺は優しくなんかないんだよ。本当に優しいのは自分以外のために優しくできるリノさ)
誤解が少しでも解けてよかったと思う反面、伝えられていない部分が心の底で鈍く痛み、目を伏せる。本当の気持ちを伝えるのは言葉や表情があってもなくても難しいものだった。
「では改めて、オルカの元へ急ぎましょう。もうすぐです」
そんな思いを抱えながら走ること一、二分。どうやら件の地へ到着したようだった。
先ほどまで空を覆うように生い茂っていた木々がそこにはなく、半径一km程に渡り跡形もなく焼かれている。また、足元に目をやると地面は所々割れ裂けしていて、ここで激しい戦闘があったことを物語っていた。
焼けた匂いが鼻を掠め、周囲は煙が薄っすらと覆い視界が悪い。
「オルカ! どこにいるの! 返事をして!」
リノは姿の見えないオルカへ必死に呼びかける。しかし、虚しくこだまするだけで返事はない。
(オルカ、どこにいる)
ロリウスも懸命に辺りを見渡すが見つけることができない。
(なぁ、どうせお前のことだ、またもよおして茂みで用を足してるだけなんだろ? あんなに強いお前が簡単にやられるわけないよな。小便してるだけだろ! 違うんだったらなんとか言ってみろ!)
言葉が届かないことは理解している。しかし、もしかしたらオルカになら。言葉が届かなくてもあれだけ悪意に敏感だった彼女になら何かが届くかもしれない。
ふと一陣の風が吹き抜け、ロリウスの頬を投げナイフが掠める。
「ロリコン、殺す……」
微かだか確かに、オルカの声が聞こえた。
「オルカ!」
それを手掛かりにリノが走り出す。ロリウスもそれに続く。
立ち込めていた煙が風で流され、徐々に視界が戻り始める。雨は横なぐりになった。
そして、目の前に痛々しい姿の少女が横たわっているのが見えた。
「そんな……」
(ひどい……)
リノは少女の元へと駆け寄ると、その前に跪き、涙を流してその手を握る。ロリウスは背後でそれを見守っていた。
オルカの全身はひどい火傷を負っていた。所々皮膚が爛れ、呼吸も浅い。
「心配するな。少し用を足していただけだ。問題ない……」
駆け寄ってきたリノ達の姿を見てオルカは少しだけ笑うと、かすれた声で精一杯強がってみせる。
(バカ野郎! 冗談言ってる場合か!)
「バカ! 冗談言ってる場合じゃないでしょ!」
「ははっ、リノだけじゃなくて、ロリウスにも心配されるとはな」
そう言ったオルカは気恥ずかしそうに目を伏せた後、少しだけ口元を緩めて目を閉じた。
(おい! オルカ!)
「待っててオルカ。必ず助けるから」
リノは杖をオルカにかざすと詠唱を始めた。
「万物を尊び否することなかれ--【神敬のケーリュケイオン】汝、か弱き我らを救いたまえ」
杖に嵌められた翡翠の宝石が激しく光を放ち、柄には金色の蛇の紋様が浮かび上がる。
祈りを捧げるリノはまるで聖女の姿に似て、神々しさを感じさせた。そして、詠唱が終わると杖が放つ穏やかな光はオルカの体全体を包み込むように収束していく。
「大丈夫だから。私がついているから」
リノは何度もオルカに励ましの言葉をかけながら懸命に治癒を続ける。
オルカを助けようとする彼女の眼差しは強く、優しかった。絶望の中でも諦めない者だけが持つ輝いた瞳だった。
ロリウスはその姿に魅入る。
それは彼が現世で得ることができなかったもので、最もほしかったものだ。
自分もリノのようなれるだろうか。諦めたそれを今度は得ることができるだろうか。
それはまだわからない。
だけど今はただ、
(オルカ、絶対に死ぬな。まだ俺たちこれからだろ? もっと色々お前のこと教えてくれ)
ロリウスもリノと同じ気持ちで願う。すると自然と涙が零れた。
(この気持ちは何だ?)
現世では忘れていた感情。自分の両親が死んだ時も泣くことはなかった。何も感じることができなかった。
しかし、今は確かに感じる。オルカをこんな姿にした奴への怒り、消えてしまかもしれない命に対しての恐怖や悲しみ、そして何もできない自分への悔しさ。
失った感情がこの世界にはあった。
「あー、ほんとの本当に死ぬかと思いましたよー。危機一髪でしたねー。切り札がなければ消炭になってましたよー。あれー? 鬼の娘ちゃんは生きてますかー?」
突如背後から聞き覚えのある声がする。
ロリウスが振り向くと、そこにはボロボロになりながらも満足気な笑みを浮かべたエーデの姿があった。
「エーデ!」
リノも彼女に気付くが、魔法行使中のため身動きをとることができない。
「よかったー。死んでないみたいですねー」
次の瞬間、ロリウスの身体は理屈を超えて勝手に動いていた。先程までエーデに感じていた恐怖はもうない。
(ぶっ殺す!)
「ロリウスさん! ダメです!」
リノの制止の声もロリウスには届かない。手にはいつの間にかカラドボルグが握られている。そして、以前よりも荒々しい雷をその身に纏いエーデに切りかかった。
「これはー?!」
その速度はあまりに速く、エーデも驚嘆の声を上げる。
しかし、
「ざんねーん」
ロリウスの怒りの刃は届くことなく、無情にも土の壁に弾かれた。その反動で地面にひれ伏す。
(くっ……!)
「びっくりしましたよー。意外と速いんですねー。でも、それだけじゃダメですねー。それより、気になるのは……」
エーデは地面に落ちたカラドボルグに目をやる。
「何故あなたがこんな物騒な剣を持っているんですかねー? あなたは死人にも見えるのですがー。この剣を扱える器には到底見えないのですがー。気になりますー」
(ぐぁっッッ!)
カラドボルグを掴もうと伸ばしたロリウスの手を執拗に踏みつけながらエーデは首を傾げる。
「解せませんねー。あなたはいったい何者ですかー? 答えて下さいー」
「エーデ! 止めるのです!ロリウスさん、逃げて下さい!」
リノの悲痛の叫びが虚しくこだまする。
(くそ……俺はまた誰の役にも立てないのか? )
現世での記憶が過る。
(ここでも俺は必要とされないのか? 何もできないのか?)
薄暗い感情が心の奥底で渦を巻く。普段は堅牢な檻に閉じ込められているそれは、僅かな綻びを見つけた途端に悪魔のような顔を覗かせる。そして、囁くのだ、「誰もお前に期待などしていない。誰もお前を必要としていない。お前は無価値だ。お前に意味などないのだ」と。囁きが聞こえたら最後。それは決壊したダムのように一気に溢れ出して心を吞み込んでいく。
「何も答えてくれないのですかー? 色んな意味で役立たずですねー」
(やめろ)
雨風が激しさを増す。
「がっかりですねー。何故ここにいるんですかー?」
(ヤメロ)
雷鳴が鳴り響く。
「もう、いいですー。あなたはいりませんー」
(ヤメテクレ……)
エーデが土の剣を創造し、振り上げる。
(また、死にたくなるじゃないか)
それはまさにエーデが剣を振り下ろした瞬間だった。突如黒いイカヅチが彼女めがけて落ちる。
「危ないですー。これはどういうことですかー?」
紙一重でそれを躱したエーデは目の前の光景に驚愕する。
立ち上がったロリウスが握るカラドボルグは漆黒の雷を帯び、その持ち主もまた漆黒の雷を纏っていた。
「ロリウスさん、あなたは一体……」
依然オルカの治癒を続けながら戦いを見守るリノも言葉を失う。なんとロリウスの魔法は雷と闇の合成魔法だったのだ。
かつて一般人が使うことができた魔法は大抵一属性のみで、魔法を生業とした魔法士でも二属性を発現できれば上等だった。また、その中でも二属性を同時に発現する、いわゆる合成魔法を扱えたのは魔法士のなかでも高位の者だけだ。
更に驚くべきは、雷と闇の合成魔法は相関関係を無視していることにある。雷と隣り合う属性は光と土であり、一般的な魔法理論に則れば、雷を本質属性とするロリウスが発現できる魔法は原則その二種類以外ありえない。それを無視して扱えるものなどリノの知る限り万感の英雄ただ一人だけだった。
喜び(雷)ながら嫌悪(闇)する感情は生まれない。
魔法は感情を源に発現するからこそ、今のロリウスのように矛盾する感情を合成することは有り得ないのだ。
そこまで考えたリノは言いようのない不安に襲われる。
今のロリウスは感情がコントロールできていないに違いない。本来不安定な感情のまま魔法は発現できないはずだ。にも関わらず、ロリウスはただでさえ不可能と言われる矛盾属性の合成魔法を使っているのだ。そんなことをしたら心がいつ壊れてもおかしくない。
「もう戦わなくていいです! このままではあなたは心が無くなってしまいます!」
しかし、その言葉がロリウスに届くことはない。ロリウスはゆっくりとエーデとの距離を詰めていく。
「憎しみと安らぎの共存なんてありえないですー。しかもそんな不安定な感情で何故魔法が発現するのですかー? あなたは何なのですかー? こんな魔法は見たことないですー」
エーデは未知の存在に警戒を最大限に高める。
(ああ、何の役にも立てない自分が憎い。オルカを傷付けたこいつが憎い。リノにあんな顔をさせたこいつが憎い。ああ、この憎しみがなんと心地いいことか)
一方無防備に歩むロリウスの目は虚ろで、まるで本物の死人のように生気が一切感じられない。
(何にせよ、殺さないと)
そして、おもむろに剣を掲げると、黒いイカヅチが再びエーデを襲う。
「このくらいなら何でもないですー」
落雷の位置を瞬時に予知し華麗に躱すエーデ。警戒を最大限まで高めた彼女にはそれくらい造作もなかった。
しかし、
「あれー? どこですかー?」
時間にしてコンマ数秒、落雷に気を取られた彼女はロリウスから視線を外した瞬間にその姿を見失う。ロリウスの気配はまるで闇に溶けてしまったかのようにも完全に消え去っていた。
降りしきる雨は更に強まる。
ふと、その一雫が全神経を集中させて警戒するエーデの長い睫毛を濡らした。その鬱陶しさに思わずまばたきをする。それは油断とも言えない些細な行動だった。
「えっ?」
しかし、それが命取りとなる。突如目の前に現れたロリウスに反応が遅れたのだ。土壁の形成は間に合わない。また、エーデには切り札があったが、先程のオルカとの戦いでそれを使っていたため、ロリウスの攻撃を防ぐ手立ては既になかった。
「あれー?私、死ぬのですかー?」
ロリウスはエーデの喉元に剣先を突き立てる。彼女の瞳の中に、死へ向かう恐怖が宿っているの見た。
もし、今表情があったとしたら自分はどんな顔をしていたのだろうか--多分、きっと、歪んだ笑みを浮かべていたに違いない。
「ロリウスさん、殺したらダメです! 帰ってきて下さい!」
リノの抑止の声が耳を通り抜けていく。最早止まることはできない。
(死ね--)
イカヅチの閃光が走る。
「そこまでじゃ」
ロリウスの剣先がエーデの喉元を貫くと思われたまさにその時、銀髪の魔女が両者の間に舞い降りたのだった。