残り時間
黒兎の目が覚めるとすぐ隣で風葉が寝ていた。部屋を軽く見回しても深月の姿は見えなかった。
黒兎はまだ、意識がぼやけていて今まで寝ていたというのにまだまだ眠気が取れていなかった。それにまた頭が痛いような気がして、もう一度眠りにつくことにした。
晏奈の部屋を出ていた深月は一人リビングにいた。
手には金属製の棒状のものを持っている。それは床板を剥がす際に使った蛇口のようだ。
深月は窓へ近づき手に持っているそれで思い切り窓をたたきつけた。
バンッという音と共に深月の手には衝撃が走り窓にひびが入った。
蛇口で直接たたいた部分は細かく割れ、うち破片がいくつか落ちた。
深月は破片が落ちてできた穴から外を見た。そこにはただただ真っ黒な光景しかなかった。
深月が顔を寄せてみているとふと、空気の流れを感じた。窓に穴ができたのだから本来であれば少しぐらい風が吹いていてもおかしくはないが、この穴以外に風の通り道はない。にもかかわらず感覚を集中させると耳のあたりで空気の流れを感じた。
穴からこちらに吹いているのなら深月の顔に風が当たるはずだ。耳に感じるということはその逆、穴から外に空気が流れているということだ。
普通に考えれば少しの温度差があれば部屋から部屋に空気が動くこともある。気圧が高いところから低いところに空気が動くのはごく自然の現象だ。
だが、その空気の総量は変わらない。暖かい空気が流れた分冷たい空気がどこかから入ってくる。
この家には、今この穴が空気の出る穴の一つになったが、この家に空気を入れるための穴がない。気圧の違いが原因でこの現象が起きているのならば外と仲の気圧が一定になった段階で空気が外に漏れていくという事態は終わる。
今の深月には外が亜空間となっていることや、この家のにしか空気は存在していないということを知っているはずもない。
したがって後々タイムリミットを速めてしまうこの行為を責められる人間はいない。もし、この家の外の時間が止まっているという仮説があっていたのであれば同じ結果になったわけではないからだ。
深月は再度窓を叩いた。さらに穴は大きくなりもう中と外の圧力を一定にするからこの穴から空気が抜けているでは説明できない勢いで空気が吸われていった。
更にいえば割れた窓は今度は床に落ちずに穴から外へ勢いよく飛ばされていった。
そのことを奇妙に感じた深月はここで自分の立っている状況、自分の犯した過ち、自分たちに残された時間を認識することになる。
「なんだ、これは」
穴から下を見るとそこに地面のようなものはなかった。かといってこの家が浮いているのかと言えばそうでもない。とても奇妙な感覚だった。一つ近いものを上げれば宇宙空間だと深月は感じた。
「これはまずい」
深月は何か塞ぐものはないかと辺りを見渡すがこの家にもともとそのような都合のいいものは存在せず、仕方なくキッチンからまな板をもってきて穴の上にかぶせる。多少の吸引力でくっつこうとするもののまな板本体の重さもあってずるずると下に下がってくる。
深月は急いで二人の寝ている晏奈の部屋へと駆けた。
もう寝ている余裕などはない。
下から聞こえてくる音に風葉が目を覚ますとそこには黒兎の顔が目の前にあった。
「ッ!」
眠気でぼやけていた意識が一気に覚醒し驚きに声がでそうになったのをこらえた。こんなところで声を上げて驚くような真似をしたら視界にはいないがこの部屋にいるはずの深月になんてからかわれるかわからない。
ゆっくりと体を起こして辺りを見てみても深月の姿はなかった。
「全く人には見張りだなんていって起きてこの部屋にいるように言ったのにあいつは何してんのよ。何かあったらどうすんの。ナニかあったら」
風葉の視界には眠っていて無防備な姿の黒兎の姿がある。
もう一度風葉は辺りを確認した。今度は念のためにベッドの下まで確認をした。
これまで武道一筋で恋も知らない風葉にも性欲は当然存在するし、クラスの女子だけの時はそういう下世話な話にだってなりもする。
そういうことに興味がないと言えば嘘になるし、むしろ興味はある。しかし、今までそういう機会に全く触れることなく生活してきたため何をどうしてそういう気持ちを静めればいいのかわからなかった。
ただ、稽古をしている時は完全に忘れることが出来ていた。
今の状況は稽古をしているわけでもなく、本来であれば外も暗い深夜だ。まして自分たちに命の危険性があるのだから生存本能、種を存続させたいという本能も高まっている。
風葉はこの時発散のさせ方がわからずに溜まっていた、欲求不満が爆発した。
いつ深月が戻ってくるかもわからないし、黒兎が起きるかもしれない。
だけど、風葉クラスの女子たちが話していた知識をたよりにこの自分の中に渦巻いている欲を満たそうとした。
風葉はまずすぐ横で寝ている黒兎に顔を近づけそれから息を止めていた方がいいのか迷って、息を止めてから黒兎の唇に自分の唇を合わせていった。黒兎の寝息がかかってくすぐったく感じていたがそれもまた、どこか心地の良いものだった。
息を止めていたのも忘れて唇を重ねていたが、知識のない風葉はそれ以上深いところまではいこうとしなかった。
次の知識を記憶から引っ張り出してきて、黒兎の股間部に手を這わせた。クラスの女子たちから聞いていた話とは違く、硬くもなければ熱くもない、むしろ感触はブニブニとしていた。
すると次第にそれは、熱を帯び、硬く、膨張を始めた。その初めての感覚に思わず手を引っ込めて盛り上がった制服を見つめる。
制服が脈を打つように上下し始め、風葉にそこに何か別の生き物がいるのではないかと思わせた。
すると、今度は下の階からドンっと音が聞こえ、思わず体がビクンと跳ねた。
「全くあいつは何やってるのよ。驚かせないでよね」
この時の音で少しだけ頭が冷静に戻り、冷静な自分が脳内でこれ以上はいけないと全力で叫んでいるが、ピンク成分に染まった自分の方が脳内を占拠しているので無残にもその声が風葉の脳から体に命令が送られることはなかった。
だが、実際この別生物のようなものの正体を見てもいないにも関わらず、クラスの女子たちが言っていたように自分の体に受け入れるということはできそうにないと直感した。
どうこうする勇気は風葉にはもうなかったが、せめてどうなっているのかだけ確認しようと黒兎の制服のズボンに手をかけてベルトを外そうとしたが、寝るときに締め付けるものは邪魔だったからか既に外されていて、いよいよズボンを下げようかという時、階段を上る足音が聞こえてきた。
一度、高鳴った胸の鼓動かとも思ったが、今度は完全に冷静になり、どうかしていた自分を一度張り倒して蹴りを喰らわせてやりたくなった。
「何やってんだろうち、晏奈の書いた通りなの?うちってやっぱり白崎君好きなの?いやでもでもそれじゃ、晏奈が、ああ、でもうちの、初めてあげちゃったし。うちが意識し始めちゃったのって晏奈がきっかけみたいなものだし、晏奈から直接白崎君が好きって聞いてないし、うちが先に告白してもいいよね。だってまじこいだもん」
風葉は頭の中で支離滅裂になっていたものを一度口に出して自分の考えを整理した。
そこへ扉を勢いよく開けて、軽く息が切れている深月が部屋へ入ってきた。
風葉は深月のその姿をみてただ事ではないと感じた。普段拳を打ち込もうとして何度もいなされている風葉にはわかる。その時ですら息を乱さず自分の拳をかわしていなして、あげく挑発までしてくる男が、息を切らせるほど急いできたのだ。尋常ではないことが起きたのだろうと。
「そんなに急いでどうしたの?あんたがそこまでして急いできたんだから何かあったんでしょ?」
「話が早くて助かる。白崎はまだ寝ているのか?」
「もともと、寝る時間だったし、白崎君は普段よりも長い睡眠が必要だって言ってたじゃない」
「ああ、わかっているつもりだ。だが、今は緊急事態だ。心地よさそうな眠りの中お邪魔してすまないが白崎、起きてもらうぞ」
そういい、深月は黒兎の体を大きく揺さぶった。
黒兎は先ほど一度起きていたことで眠りは浅かったのかすぐに起きた。
「・・・ん何?」
「よし、白崎俺がわかるな?まずはしっかりと起きてくれ」
起きたばかりで眠そうな顔をしていた黒兎だったが、深月の普段とは違うオーラを感じ取り自然と黒兎は起き始めた。風葉の手によって自分の意志とは全く別に黒兎の股間の方は既に起きれていたけどそれは男性特有の主に朝にみられる生理現象であると隠しはしたが気にはしなかった。
黒兎の覚醒を待つ間深月は自分の鞄から下敷きとテープを取り出した。
「大丈夫、もう眠気とかはないよ」
「白崎は大丈夫だな。水本嬢はいいか?」
「ええ、構わないわ」
そこで一度、間をあけて深月は二人を見据えて頭を下げた。
「すまない、だいぶ厄介なことになった」
「何があったのよ?」
「とりあえず来てくれ、寝起きにいきなりで非常に申し訳ないが俺にもどう対処すべきなのかよくわからないものが出てきてしまった。今回の事については俺も初めて尽くしで多少楽しんでいる節があったが、そんな自分を戒めたくなったさ。」
深月は急ぎ足で晏奈の部屋からリビングまで行き窓のところに立った。その後ろを黒兎と風葉がついて行く。
「それで、いったい何があったの?」
「ここを見て欲しい」
深月が自身の透明な下敷きを穴にかぶせると窓に下敷きがくっついた。その位置を固定と隙間から空気が漏れていくのを防ぐために下敷きの周りとひびが入った部分にテープを張っていく。
「窓ガラスの穴?外が真っ黒になってるけどどういうこと?」
「まず、俺の建てた仮説である、この家の周りの時間を止めるというのが否定された。外の景色は時間が止まっているだけなら窓ガラスを割っても真っ黒にならないはずだ。光すらも止めてしまうのであれば、この家全体が太陽光を遮断され急速に冷えていき俺たちは今頃震えて身を寄せ合っていただろう」
「じゃあこれって?」
「空間転移」
黒兎はなぜか知っていたそのことをぼそりと呟いた。
「やはり、白崎もその見立てか」
「空間転移ってどういうこと?」
「文字通りだ。この家を単一の存在として中身ごと明石家の住所から別の場所へと転移させることだ。テレポートと言えばわかるか?」
「それってどこでもドアみたいな感じなわけね?」
「概ねそれであっている、違うのは自分でドアの向こうに行くのか、ドアの向こうに放り込まれたかだな」
「それでここはどこなの?どこでもドアなら目的地があるでしょ?」
「穴の外は真っ暗だろ?残念だが外の景色も地面すらも見えない。そして空気は常に穴から外に流れ続けている。そちらに関してはたった今一時的に俺の下敷きで穴を塞いでいるもののこれでどれほどの時間耐えられるのかは俺にもわからない。」
窓ガラスに走っているヒビの一本一本にテープを張りながら深月は言った。
「そして、ここから外に空気が流れ続けているということはここの外には空気がない、または限りなく薄いかこの家の中よりもかなり気圧が低いかだ。どちらにせよこの家の中の空気が失われていくことには変わらんのだがな。場所についてはとんと見当がつかない。どこでもない場所と言ったところか」
「それってSFとかで聞く亜空間ってやつかな?」
黒兎はやはりどこかで聞いたことのある言葉を口にした。黒兎自身多少不思議に思っていたが大して気にせずにいた。
「その亜空間って何?」
「僕は名前をきいたことがあるぐらいだから詳しくはちょっと、十五夜はわかるよね?」
「もちろんだ、俺は霊的なものも生物的な物も科学的なオカルトも広く興味、関心があるからな。伝説や逸話だって有名な話ぐらいは頭に入れているつもりだ」
「それで、その亜空間って何なの?」
「そうだな、あえて一言でいうならば俺たちの住む世界を少しずらした世界だな」
「いや、意味わかんないんだけど」
「おっと、では、少したとえ話をしようか。今俺たちが、ではないな。昨日まで俺たちが住んでいた世界がテレビのチャンネル一だとしよう。そして俺たちのいた世界と並行して無数の世界がある」
「それは知ってるわ。パラレルワールドだっけ?」
「その通りだ、説明を省けて助かる。我々の選択肢の数だけ世界はあると言われている。その中から適当な俺たちのいた世界とは別の世界をチャンネル二だとする。チャンネル一とチャンネル二は同時には見ることができない。では一から二にチャンネルを変えたいときどうする?」
「そんなの、二を選べばいいでしょ?チャンネルって言ったからテレビのイメージだけど、リモコンでぽちっと」
「今のテレビであればそうなるな。だが技術的にリモコンのボタン一つでチャンネルが変えられないんだ。そうだな、テレビでいえば昭和ぐらいまで遡ることになるか。ではどうするのか、つまみを回してチャンネルを調整するんだよ正しい世界が映るように」
「ごめん、それわかんないわ」
「ちなみに僕も」
「おっと、これはジェネレーションギャップというやつかな?同い年なのにおかしいな。まさかすでにクロスチャンネルで俺の信じたお前らは俺の知る世界の白崎と水本嬢ではないな」
「僕たちからしてみれば昭和のテレビを知ってるそっちの方がおかしいと思うんだけどなぁ。十五夜も同じ年で平成生まれだよね?」
「ああ、その通りだとも。ではテレビのたとえはあきらめよう。ラジオはどうだ?さすがにこれならわかるだろ?」
「ラジオはわかるけど使ったことはないわね」
「震災の時ぐらいかな?」
「これがカルチャーショックというやつなのか。まあそんなことはどうでもいいラジオはつまみで調整してチャンネルを合わせて聞くという仕組みはわかるな」
「なんとなく」
「同じく」
「そのつまみで調整する際だが、正しいチャンネルに合わせていないときはただ、ザーというノイズだけが聞こえるようになっている。亜空間というのはそういうところだ」
「どこのチャンネルにも合っていないってこと?」
「簡単に言えばそうなるな」
「それじゃあ、ここから出ただけじゃうちらのもともといた世界っていうのに帰れないってこと?」
「そうだ」
「じゃあ、どうするの?」
「本来こんな中途半端なチャンネルに固定し続けるなんて言うのはありえないことだ。必ずこの家をこのチャンネルに固定するための装置があるはずだ。そいつを見つけて話はそこからだな。運が良ければそいつをちょっといじっただけで元の世界に戻れるぞ」
「でもあんた、ずっとその装置を探していたのに見つからなかったって言ってるじゃない」
「この状況が大変興味深かったものでついな。装置の場所についてはおおよそ見当はついている。少々確認するのが厄介になりそうだったゆえ、確実とは言えないが他の可能性はつぶしていった、それでなければ申し訳ないが、また一から捜索する羽目になる」
「そういうのはいいから、で、それはどこなの?」
深月はキッチンの方を指さした。
「俺の見立てではあの冷蔵庫のあたりが怪しいな」
「冷蔵庫?あれ普通に使ってたじゃない?どこが怪しいっていうの?」
「確認したわけではないが、昨日の夕食か、俺が調理をしただろ。その時に冷蔵庫の手前よりも奥の方が高い温度になっていたということに気がついた。その時はただ単純に物の詰めすぎで、冷たい空気が回っていないのだろうと思ったが、クーラー部分が奥の方にあるのに手前の方だけ冷やされていると感じるのはおかしな話だろ?だから俺はそこに装置があると考えた。サイズにもよるが電子機器である以上冷やさなければ熱暴走を起こすしな」
「それじゃあ一回中の物全部出しましょうか」
三人は冷蔵庫を開け中の食材を取り出し始めた。
「本当にぎっしりね。しかもジャンル問わずみたいだし」
「しかもなんか生ぬるくなって冷蔵庫として機能してないみたい」
冷蔵庫の中身を半分ほど出したところでやっと奥の方が見えてきた。
冷蔵庫の奥の方は格子状に奥の面が囲われていて、側面と比べるとどことなく質感が違っていた。
「まったく面白いことを考えるものだ。冷蔵庫事態を装置の冷却装置として扱いつつ食材を詰めることでカモフラージュするとはな。ハッハッハ」
「全く、笑ってる場合じゃないでしょ」
「それもそうだな、さて、このようになっているのなら、格子を外さねばな」
深月は冷蔵庫奥の格子を外して装置自体を引き抜こうとしたがびくともしなかった。
下の冷凍庫なんかを確認しても同様に格子がついていたため中身をすべて取り出して、装置を引き抜こうとしたがやはりだめだった。
「ねえ、なんで冷凍庫の方は扉式じゃないのに奥の方の装置も動かないの?冷蔵庫の箱を引き出すようになってるスペースってさ、大体上の空いた箱に取っ手つけて出し入れするんだよね?この冷蔵庫はそういうのじゃないのかな」
「なるほど、では、そういう発想か?水本嬢俺が渡したスマートフォンを返してくれ」
「え、あっちの部屋に置いてきたけど」
「じゃあ、僕のでいいなら使って」
「写真の機能が使えればそれで構わない」
深月はシンクと壁のくぼみにぴったりとはめられた冷蔵庫の横に無理やり腕を突っ込み奥の壁と冷蔵庫の隙間があるか写真を撮った。
「やはりな」
写真には冷蔵庫と壁に隙間はなくまるで冷蔵庫の一部が壁にめり込んでいるようだった。
「白崎、水本嬢、少々狭いうえに力仕事になるぞ」
「なに?冷蔵庫引っ張り出すの?」
「そうだ。おそらく冷蔵庫の奥の壁の中に装置が埋め込まれている」
壁のくぼみにはめるような場所にあるため三人とも自分が冷蔵庫を掴む位置と経つ場所に多少困ったがそれでも何とかバランスよく力が加えられるような場所を確保できた。
「三、二、一」
深月の合図とともにそれぞれ冷蔵庫を引っ張った。すると上の方に強く力が入っていたのか冷蔵庫の上の方だけが動こうとして、倒れそうに傾いたところを深月はとっさに腕を出して防いだ。
「ちと、重いな。引っ張るのはいい、ゆっくりこいつを倒すぞ」
冷蔵庫を倒すと冷蔵庫の奥の面はなくなっていて全て切り取られていた。
壁の方を見てみると白い板のようなものがあった。
「さて、あとはあいつをどうするかだな」
「壁の中に埋まってるみたいだし、引っ張り出すのはきついんじゃないかな」
「ならば壊すか」
「ああ、やっぱりその方向かぁ。でも天井とか床じゃなくて今度は壁よ?」
「なぁに、大して変わらんさ。壁を壊すぐらいならな。問題はその時に装置の方まで影響が出てしまう危険性があることだ。装置に異常が起きたら俺たちはこのままここに囚われの身だ」
「それじゃ、下手にできないじゃない」
「でも、この家の中に残ってる酸素もわずかなんでしょ?」
「そうだ、時間をかけ過ぎれば酸素が脳に行き渡らなくなりエンド。焦ったあまり装置に異常を起こさせるほどの衝撃を与えてもエンドだ。それもやり直しのきかない一発勝負だ」
「上等ねうちは本番に滅法強いタイプだし」
「僕は壁を壊すとかそういうのは腕力的にできないかもしれないけど細かいところはやるよ」
「ではやるか。まずは冷蔵庫が入っていたスペースの横を壊してサイドを確保するか」
深月と風葉は直接装置には当たらない場所だからと天井に穴を開けた時同様に鉄板やらを使って強引に壁に穴をを開けていった。
黒兎はその間およそ壁の先に装置があるだろう場所にタガネがわりのナイフを当て柄の部分を片手鍋をハンマーがわりに少しずつ削っていた。
先に終わったのはもちろん風葉たちの方だが、黒兎と違い随分と息が上がっている。
「やっぱり、ちょっと空気薄くなってきてるわね。いつもならこのぐらいじゃこんなに息が上がらないんだけど」
「まるで富士山麓の頂上にいるようだ」
富士山の標高は約三千八百メートル、気圧は約六百五十ヘクトパスカルとなり空気はおよそ平地の六十パーセントほどになる。
深月がそのように感じたのならこの家の空気の酸素はすでに四十パーセントほど失われたということになる。平地での酸素がおよそ二十一パーセント、現在この家には平地におきかえるとおよそ十四パーセントほどしか酸素がないということになる。
人は平地での酸素濃度が十八パーセントを下回ると頭痛やめまいが現れてくる。そして十パーセントで意識を保つのが困難となり、六パーセントを下回れば意識不明となりその後酸素が供給されて意識が戻っても高い確率で後遺症が残ってしまう。
三人に残された時間はわずかだった。
いつの間にか三人の呼吸は荒くなっていた。
「ハァハァ、頭痛くなってきた」
「大丈夫か?白崎、もう時間がなくなってきている。すまないがそのまま我慢してくれ」
「そうね、今が踏ん張り時よ。もうすぐ、もうすぐでこの壁を壊せるわ。そうすればここに閉じ込められるのも終わりよ」
「そうだね」
空気の薄さ、酸素の少なさを感じ始めて三人とも口数が少なくなってきた。
壁はもうほとんど崩されて、装置があらわになってきた。
「これでぇ!」
風葉の気合いの入った一撃によって装置はむき出しとなった。
「よし!これでこいつを引っ張り出せる」
キンコンカンコン
そんな、学校で流れる間の抜けたような音が流れてきた。
「なんだ?」
少しのザァーっというノイズ音がなり今の状況に似つかわしくもないトーンの声が響いてきた。
『やあやあやあ、お元気かい?』
『ああ、答えなくてもいいよぉ。うん、知ってる知ってる。君らのバイタル情報はこちらでモニタしてるからね。そうだねさっき水本さんの興奮値が急上昇してたけど、どうしたのかなぁ?』
『そうだね、そうだよね。ごめんね、君たちはそうだ、満身創痍というやつだ。そんな中よくそこまでたどり着けたね。パチパチパチ、おめでとう』
『と言いたいところだけど残念だね。それに制御用の機能はついていないよ。あと、それを壊してもわかるね?』
疲弊しているうえに酸素の供給不足で頭が回っていないときに、スピーカーを通したような声がどこからか大量の言葉が流れてきた。もう完全に黒兎と風葉はこの状況についていくことができなかった。
「できればそういうことは、はじめに説明していただきたいものですね」
『それをしてしまえば、早々に諦めを見せてくれるだろ?それじゃあ、面白くないよね?』
「そうですね、始めから終わりだと提示されてしまえば、進む道も、進み方も見えなくなってしまう。あなたは俺たちがどう動くのかを観察したかったというわけですか」
『そうだね、そういうことになるね。あと、ぼかぁ十五夜君、君に期待していたんだ。もしかしたら君なら何かこっちでは想像できないような面白いことをしてくれると思っていたからね。そんな君に最初から解はないと言ってもつまらないだろ?』
「それは買い被りですよ。俺なんかよりもよっぽど、イレギュラーなら白崎が起こす可能性の方が高い」
『いやいや、彼は終始平凡な人間だったよ。それよりもぼかぁ君の正体が気になるなぁ。十五夜君、君は何者なんだい?』
「俺の方こそただのオカルト好きの高校生にすぎないですよ」
『君がだした答えはそこは亜空間だったね?正解だ。こちらでモニタできるように頑張ったとはいえね、そこはどうあがいても僕らん世界からじゃ見ることも触れることも、まして本来であれば認識することもできやしないんだよ。だったらどうするか、こちらの空間からそちらの空間に飛ばす瞬間はたしかにこちらからそちらを認識できるんだ。』
『問題はその後だね、一度目の実験ではすぐにロストしてしまったんだよ。気がつけばなくなっていたんだそこに認識できていたものがね。そこでだ、一度目はただの物質だけでただ観測しようとしただけだった。二度目は常に存在証明をし続けたらどうだろう?ってね』
『そこで明石さんの出番だ。明石君には君たちを常に考え意識してもらっている。その脳波を証明基盤として君たちをこちらの世界から証明し続けて、ぼかぁ観測をしているんだがね、いまいち君だけ安定しないんだよ。どころか証明できていないときの方が圧倒的に多いんだ。どういうことだい?十五夜君』
「俺に聞かれても困りますね。さしずめ明石嬢とはさして親交が深くなかったということでしょう?」
『ぼかぁ非常に残念だよ。もしも奇跡的なことが起きて君らがこちらの世界に変えれる可能性があったとしよう。白崎君と水本さんはこちらに帰ってくることが可能だ。こちらで存在証明をしているからね。その糸をたどってもらえればいい。おそらくそれだけのことだ。だけど君はこちらから存在を証明することができない、君だけはこちらの世界を自力で見つけてもらうしかないんだよ。非常に優秀な君がどうあがいてもこちらに戻ってこれないなんてね。ククク。ああ、非常に残念だ。ミライアル優秀な若者を刈り取ってしまった。』
「仮定の話をしましょうか。仮にこの装置を壊したとしましょう。どうなりますか?」
『そんなのわかっているだろ?もちろんその家はその空間に安定した座標を保てずに崩壊する。崩壊という言葉を使っているけど、さらに他の異空間に飛ばされるかもしれないし、その空間に宇宙空間のデブリのように浮いているだけになるかもしれない。その中の君たちだが、家と同じ運命をたどるだろうね。異空間に飛ばされる時は高い確率でこちらの世界に戻ってこれると思うよ。白崎君と水本さんはね。ククク』
「ちなみにそれ以外にあなた方のいる世界に帰る方法をお考えですか?」
『そんなもの考えているわけないだろ?ぼかぁその空間の認識ができれば十分なんだからさ』
「三流だな。浅野教諭」
『はぁ?今なんてぇ?ごめんねちょぉと聞きにくかったよ』
「俺は三流だと言ったんだ。まったく、送るだけで満足とはひどいにもほどがあると思わざるを得んな。こちらからそちらに自力で戻れるのならいざ知らず、送りっぱなしというのは非常にナンセンスだ。あなたの目的、その意図が全く見えない」
『あれぇ?いつからぼくだと気がついたんだい?まあそんなことはいいか、ぼかぁ亜空間という空間が存在すると証明したかったんだ。学会で散々ぼくをばかにしてきたあいつらを見返したいんだよ。君だってオカルトを証明したいんだろ?それと何が違うっていうんだい?』
「そこがナンセンスだと言っている。亜空間の証明?そんなのは一度そのあいつらというのに体験させればいい。もちろん今のように一方通行ではあなたはただの猟奇殺人犯になってしまうがな。真の意味で見返すなら、この空間に連れて来た上で認めさせてこちらに戻ってきたときにあなたの味方となる証人とすることだとは思わないか?」
「それも放るだけでサルベージする方法も用意していないとは全くあなたは阿呆だな」
『そうやって、ぼくを挑発してサルベージさせるきかい?残念だったね、本当にそんな手段は用意してないんだ。もしそんなの用意したら素に戻った明石さんにやられかねないからね』
「ではあなたはせっかく作ったこの装置をこの空間に捨てるというのか?」
『いや?そいつはこっちに戻ってくるよ?そいつは自分で周りの空間安定させられるからね。もしかして、それにくっついていればいいとか考えた?残念!君らを安定させるほどの出力は帰還のさい出せないように設定してるんだ。これは単純に嫌がらせでもなんでもないよ、ほんとほんっと。そっちの空間のよくわからない物質、ダークマターなんて装置に付いてこっちに持ってこられても今は困るからね。それにこちらの世界と変なくっつき方をしてこちらの世界が侵食されて行っても困るからね。そちらの空間はまだまだ未知だよ未知』
深月は先ほどから何の反応もない黒兎と風葉を確認してみると、二人とも床に倒れていた。
「おい!大丈夫か、白崎!水本嬢!」
『おやぁ、今頃気がついたのかい?そうだねぇ二人はもう動けないだろうねぇ、ククク。いやぁ、残念だ、非常に残念だよ。逆にどうして君が動けるのかが不思議なくらいだよ。ククク』
「白崎、水本嬢、すまないが。少々分の悪い賭けに出させてもらうぞ」
深月は思いっきり回し蹴りを装置に叩き込んだ。
『な、僕の装置になんてことを!いいのかい、それをすれば確実に君はこちらの世界に戻れなくなるぞ』
「そう、だよ。十五夜も助かる方法を考えようよ」
黒兎がもうろうとする意識の中そう言った。
「流石我が同志だ。その言葉ありがたく受け取らせてもらいたいところなのだがな。俺が動ける間にお前たちを戻してやれる可能性が残っているならそれを取るに決まっているだろ。俺はそうだな、気まぐれ異世界旅行と洒落こむとしよう」
そう言って、さらに一撃、もう一撃と加えていく。
『おい、やめろ。やめろって言っているだろ!』
「ちっ、なかなか頑丈だな。流石にもうまずいぞ」
「全く、情けないわね。そこどきなさい。所詮素人なのよ」
ふらふらになりながら、風葉は立ち上がり装置の前に立った。
「水本嬢やめておけ。もうふらふらではないか」
「あんたに動けてうちに動けないわけないじゃない。それにうちは風葉、嬢ってなによ。一緒に戻ったら空手部に入ってもらうからね」
「今更だが、考えておこう」
風葉は深く息を吸い、精神を集中させた。次第に風葉から頭痛や倦怠感などの感覚が薄くなっていく。
「ハッ!」
風葉は渾身の一撃を装置に叩き込んだが装置はまだまだ止まる気配がない。
「セイッ!」
風葉は再度放つがそれでもだめだった。
「これならっ!」
回し蹴りを装置の側面へ向かって回し蹴りを放った。もう風葉の意識はないに等しかったが、前の二撃よりも威力が高くなっていた。
回し蹴りを受けた装置はその衝撃で穴をあけていた廊下側に倒れた。
しかし、装置はまだ動いている。
「頑丈すぎよ」
「すまない、助かった。」
深月は倒れた装置の上に乗り、震脚、震脚、震脚。
装置から奇妙な駆動音が聞こえてくるようになった。
「ハッ、やっとか、もう一押しだな」
深月の意識も既にもうろうとしていたが、気力を振り絞り、さらに震脚、震脚、震脚。やっとのことで、装置を踏み抜いた。
その時深月はバランスを崩してしまい倒れた。
いつの間にかあの、うるさいスピーカーから流れたような声も止まっていた。
「さて、もう俺にできることもないか、後は、神のみぞ知るというやつか、この空間に紙がいればだがな、ハッ、ハッ」
崩れていく家が闇に漂っていく、黒兎と風葉はどこかに導かれるようにそれらから離れていく。
空間安定装置に片足突っ込んだ深月はそのどちらでもなく闇に飲まれていった。