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無の章 迎撃されし至純 ~受命~

NO.3

6年後、賢一は混雑している年末の羽田空港のカウンターで、小首をかしげる女性に気がついた。大阪行きのゲート入り口に進むその女性を、しばらく見ていたが、近づいてためらいなく声をかけた

「あの、間違っていたらごめんなさい。那美ちゃんじゃない?」

「・・・」

すぐに賢一だと気づいた那美だったが、驚きのあまり言葉がでなかった。

「覚えてる?稲木だけど」

那美はわかってる、とうなずいた後、真顔で尋ねた。

「ここで何をしているの?」

「ここで?・・・飛行機で大阪へ行くところだよ」

那美の問いを繰り返しそうになって、賢一は出会った時の事を一気に思い出した。

そして那美も賢一の懐かしい笑顔に6年前の出来事がよみがえった。。

「偶然なの?」

「ああ、そうみたいだね。君も大阪かい?」

那美は軽く頷いた。

「今、アメリカから帰ってきたところよ」

「アメリカにいたのか?ずっと気になっていたよ」

淡路島から東京に帰った1ヶ月ほどは那美から連絡があったが、その後途絶えていたのだ。

「え、気にしてくれていたの?」

賢一は納得の様子で、まじまじと那美の顔を見て、時を追うように呟いた。

「6年経つのか」

那美は目をそらし、小さく息を呑み、何か話そうとするのを思いとどまった。

「賢一さんは今、東京に?」

「秋津、覚えているかな?」

「もちろん。とてもクールな秋津さんよね」

「いっしょに医者になって、今は東明医大に勤めているよ」

場内アナウンスが「大阪行き」の搭乗を告げた。

会話が途切れた後、無言で搭乗口へ向った賢一は、機内の席に着く那美に声を掛けた。

「大阪でゆっくり話そう」

笑ってはいたが、賢一の眼差しは真剣だった。

那美は鼓動は高鳴りを隠すように微笑を返し、再会を約束した。


 翌年の5月、賢一と那美は神戸セントルイス教会で結婚式を挙げた。華やかな披露宴はガーデンパーティー形式で行われた。

花に囲まれた庭に造られ、オーケストラのコンサートも行えるステージで、賢一と那美は人々の祝福を受けていた。

「続きまして西宮総合医療センター病院、院長の豊雲様にご祝辞を頂きます」

「賢一君、那美さんご結婚おめでとうございます。賢一君は、私どもの病院にとりまして・・・・」

 2人の出会いを知っている金山美由紀、波邇屋慶子も呼ばれ、幸せそうな那美を見ながら友人のテーブルで談笑していた。慶子の肩越しに近づく秋津に美由紀が気づき、会釈すると慶子が振り向き話し掛けた。

「お元気そうですね」

秋津は自分のことには反応せず、ひな壇の2人を見ながら応えた。

「6年後の再会で結婚するとはね」

秋津に秘密を教えるように美由紀が言った。

「那美の癖で分かったらしいわ。6年の歳月もあの2人にとっては一瞬で取り戻せたのね。」

「素敵ね。2人を見ていると運命ってあるって思えるわ。秋津さんは運命の人と出会ったの?」慶子が尋ねると、

「運命の仕事とは出会ったかな」

「あら、それじゃこれが運命?」

言いながら秋津の腕に手を掛けた慶子を、美由紀がたしなめた。

「慶子さん、あなたも1ヵ月後には運命のウエディングドレスを着るのでしょ?」   「おや、それは残念だ」

秋津の言葉に慶子はため息をついた。   

「もう恋はできないのね。つまらない」

「慶子さんたら、あんなに愛されているのに、欲張りね」

「いつか慶子さんの運命の人を紹介してくださいね。美由紀さんにも運命の出会いがあるといいですね」

恋だの愛だのに興味のない秋津は2人の会話に加わらず、賢一の両親のところへ向かった。

「続きまして衆議院議員の常伊達様にご祝辞を頂きます」

司会者の紹介で壇上に常伊達代議士が上がった。常伊達代議士の姿に、賢一が4月から勤めている西宮総合医療センター病院の医師達がざわついた。

「常伊達代議士か、大物だね」

内科医の能見は言葉とは裏腹に鼻で笑った 

「その横は事務次官だそうだ」

麻酔医の大戸日はあきれた風に言うとビールを飲んだ。賢一と同じ内科医の天之が産科医の大古都の方を向き、小声でいった   

「稲木君のお父さんの関係らしいですよ」

大古都も合わせるように声を潜めた。   

「官僚だろ、厚労省のお偉いさんだってさ。よく許したね、この結婚」

「東京から神戸に移って、宇治地病院の一人娘の那美さんと結婚、そして宇治地病院の後継者ってことですね」

「うちの病院で経験を積んで、後は宇治地病院の院長って訳だ」

二人の会話に産科医の石土がビールを飲み干し、割り込んできた。   

「稲木さんやりますね」

天之がビールを注ぎながら探るような話を始めた。

「昔、あの二人訳ありだったんでしょ。だから、許せざる得なかったなんちゃって」

「いろいろ、噂はあったよな、那美さん一人娘だからな。どうであれ目出度いことですわ」

すこし酔ったような石土と天之は笑ってグラスを合わせた。

大古都は二人の噂話に入らずに、視線を常伊達代議士に戻した。

「・・、この国家は選ばれし者の手により未来永劫を約束されるものでなければ成りません。そんな中、稲木君は医学会において、間違いなく選ばれし者であります。今後の稲木君が輝かしき活躍をされんことを願い・・・・」

常伊達代議士の祝辞も終わり、何人かの来賓が続けて祝辞を述べた。

 新郎新婦は取り巻く友人に、にこやかに応えていた。その姿を那美の両親は微笑ましく見守り、その横に座っている那美の叔母ナルはよろこびに涙していた。

 幸せを約束した披露宴もお開きとなり、賢一に手を添えられ、立ち上がる那美の白いウエディングドレスが5月の風に揺れていた。


幸せの象徴の白いドレス

揺れる白いドレスは、新生児室の白いカーテンに変わった。カーテンに囲まれた保育器に、カーゼに包まれた乳児がいた。赤黒い塊で方向を変えると目鼻立ちがかすかに分かった。置物のようにピクリとも動かない我が子の身体が、どろりと溶け出し、血の海となって消えた。

 うなされて飛び起きた賢一は額の汗を拭った。いつのまにか寝ていたらしい。夢の中で幸せなときが鮮明に思い出されていた。賢一は身動きできないほどの絶望感を振り払うように起き上がると、バスルームへ向かった。鏡に映る憔悴しきった険しい顔がそこにあった。賢一は悪夢のような現実に挫けそうな気持ちを吹っ切るように、シャワーを浴びた。抑えきれない涙が止まるまで、何度も何度も顔を洗った。

 着替えを済ませた賢一は、コーヒーを片手にリビングの窓から外を見た。そこには冬の顔をした街路樹が見えた。窓からの風景に、妊娠が分かった時のことを思い出していた。あの時見た景色は、梅雨の開けたみずみずしい初夏の街路樹だった。

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