愛機
「なんだぁ、このエンジン?」
スロットルを開けると猛烈に反応するレスポンスに、ジュウイチは目を丸くした。コクピットの横に立つレイラが、爆音に負けない様な大声で叫ぶ。
「低速はヌルイが、途中からは一気に吹ける! 超の付くジャジャ馬だ!」
「マジかよ」
またオーバーランの光景が浮かぶジュウイチが、涙目になる。
「テイクオフ時のプロペラトルクに気を付けろ! 機体の挙動に注意するんだ!」
飛び降りながらレイラが叫ぶ。
「へいへい」
ジュウイチはスロットルを開ける、ブッ叩かれた様な加速。機体は猛然と加速する、強烈なプロペラトルクが機体を左に傾けるが、右ラダーを蹴飛ばし躁従幹を引く。ふと機体が軽くなると、斜めに向いたまま一気に離陸した。
その上昇力は未体験だった。Gで吐きそうになり、レッドアウトしそうな加速にもジュウイチは笑いが込み上げる。
「作った奴の顔が見たいぜっ!」
水平飛行からの急旋回や急降下を試す。突っ込みや加速は猛烈だが、完全に旋回性能は犠牲にしてある特性を感じた。岩の様に重い操縦幹は容赦なく腕の筋肉を締め上げ、風圧が水圧みたいに機体の自由を奪い、行きたい方向を悪意を込めて邪魔した。
『下から見ても凄い加速だ!』
レシバーからレイラの興奮した声が炸裂する。
「確かになっ! でも曲がんないよ!」
ジュウイチも笑いながら答える。
『そんな特性で鳥さんと戦えるのか?』
「なぁに、鳥さんの旋回性能に対応出来る機体なんて初めから無いよ……でも」
『でも何だ?』
「最高!」
呆れ顔のレイラは苦笑いして、呟いた。
『ったく……こんな化け物に喜びやがって』
高度八千、雲を突き抜けると太陽の世界になる。その遥か上空は宇宙であり、ジュイチはその深く蒼黒い空間に思いを馳せた。自分以外に生物の存在しない場所、白い雲が波の様に見え、エンジンの爆音が鼓膜を通り抜ける。
この高度でもパワーを失わないエンジンは、スロットルに敏感に反応する。まるで、もっと回せと言ってるみたいに……。
「なんて奴だ……でも、まぁ……これから、よろしくな」
ジュイチはスロットルを全開にした。エンジンが機体ごと猛烈に揺らすと最高速近くからでも更に加速し、思わず笑顔になるジュイチだった。
その後ジュウイチが降りて来たのは、燃料切れの直前だった。
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「くそう、ドロップタンク付けて上がればよかった」
「子供みたいにはしゃいで」
機体から降りて来たジュウイチに、呆れ顔のレイラも笑みが零れた。
「降りる時、目測で飛行甲板をイメージしてみたよ」
機体を振り返り、ジュウイチが笑う。
「で、どうだった?」
「完全にオーバーラン、アストレイアなら風はもっとアゲンストだろうけど……」
「で、どうする? 最初の出撃で海の藻屑かい」
腕組みしたレイラは、ジュウイチが笑顔でいる訳に感じていた――大丈夫だと。
「着艦フックでなんとかなりそうだ、もっともムチ打ちになりそうだけど」
「だからこの着艦フックは、大型の艦爆並に丈夫に出来てるのか。この機体は初めからそう言う仕様なんだな。着艦は強引にやれって言う……」
レイラは機体のフックが他の艦戦と比べても、異常に頑丈な構造になっている事に納得した。
「そうか……まぁ、首を鍛えればなんとかなりそうだな。ところでこいつ、兵装はまだなんだよな」
「ああ、どうする? 他の皆は小口径の機銃で装弾数を多くする方向にしてるけど」
「そんじゃ俺、翼内武装は二十ミリ。ベルト給弾なら百発は大丈夫だろ?」
「たったそれだけでいいのか? 確かに二十ミリなら一発で鳥さんも昇天だし、クジラさんにも効果を期待出来るけど、最近は圧倒的に数が増えてる。皆は小口径にして、千発以上積んでるよ」
「胴体の二丁は小口径でいいよ。それなら翼内百発×二門と胴体四百発×二丁、合計千発になる」
「分かった、手配する」
「あとレイラ、後部の操縦系外せる? 少しでも軽量化したいんだけど」
やはり気になって、ジュイチは後部座席付近を見た。
「外せない事はないけど……全ては最大限の性能を発揮するよう設計され、無闇な構造変更は設計者への冒涜であり、実戦を経て初めて改造改良という極めて崇高な作業はだな……」
「すみません、暫くそのままでいいです」
途中から口調と目つきが変わったレイラに、ジュイチは苦笑いでその説法を遮った。
「そんじゃ、尾翼のパーソナルマークどうする?」
我に返ったレイラは、コホンと咳をしてそびえる尾翼に視線を向けた。
各自は自分の機体を示すマークを尾翼に描いていた。
「そうだな、別に何でもいいけど」
「そう言う訳にはいかないよ、各自の識別でもあるんだ」
「任せるよ、レイラの好きなの書いてくれ」
関心の無いジュウイチに、呆れ顔のレイラが腰に手を当てた。
「ったく……本当にいいんだな」
ニヤリと笑うレイラの横顔に嫌な予感が走る。言わなくても分かる、レイラなら自分の大好きな可愛いウサギのマークにするだろう。それだけは勘弁だと、ジュウイチが慌てて拳銃を手渡した。
「あっ、それならこれ」
「これは……」
レイラがその紋章に息を飲んだ。
「ダメ、かな?」
「いや、そんなことはないけど」
レイラが口ごもる訳など、有頂天のジュウイチは気付くはずもなかった。
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狭い船室でジュウイチは天井のリベットを見ていた。停泊中とは言え、機関は床の下で鈍い振動と低く重い騒音を上げ続けている。眠ろうと思えば思うほど、頭の中がハッキリとして瞼の重さと反対側に傾く。
新しい機体での興奮と、昼間の初戦闘が胸の内側で気分を激しく入れ替える。今まで感じた事のなかった……”死”に出逢った感想は、怖さって後から来るんだなと思い知った。
死の意味を知ってるつもりだった、覚悟なんて出来てると思ってた。
帰投して直ぐにゲイツに言われた言葉が、脳裏に蘇る……”命を奪う行為にテキトーな折り合いなんて付けれない。だが、生と死はワンセットであり、切り離せないのが生き物だ”……。
急な眠気が思考を優しく曖昧にする。ジュウイチは薄い毛布の手触りや、冷たい鉄の壁の感触、機関の音や振動、丸い舷窓から微かに漏れる月明かり……そんな他愛のないモノが、愛しくて堪らなく思えた。