城壁都市
鳥との空戦に没頭していたはずのアネッサも、その動体視力でジュウイチの戦闘を見逃さなかった。驚愕と嫉妬感? 自分でも表現出来ない不思議な感覚に包まれながら。
初めての戦闘を終え、少し落ち着いたジュウイチが艦の周囲を旋回すると、海面に血の輪が残り数十匹の巨大なサメが周遊していた。
『見ての通り、墜落したら食べられるからな』
「分かってるさ、そんなヘマはしない」
例によって他人事みたいなゲイツに、大きな溜息で返事するジュウイチ。その後をアネッサの少し嬉しそうな声が被さる。
『そうか? エンジンから煙出てるけど』
「何だとっ! 艦長! 甲板に強行着艦するからなっ!」
『却下。戦闘機隊と爆撃隊が着艦体制に入ってる。飛行甲板壊されたら、他の機の収容が出来ないからな。悪いが、お前さんは一番最後だ』
「飛ぶ前に見たぞ! フロートの下に車輪があった!」
ジュイチは食い下がる、着水してクレーンで釣り上げるまでサメさんは待ってくれそうにない。
『移動用の車輪だ。第一、拳位の大きさの車輪だ、飛行甲板に擦らず着艦出来れば神業だ』
相変わらず落ち着いた声のゲイツに、ジュイチは悲鳴を上げる。
「そんな! 油圧も落ちて来た! エンジンも振動が激しくなってんだぞ!」
『お前のは水上機だろ、沈まない限りサメのエサにはならないよ……それに、あたしが援護する』
いつの間にか隣に来ていたアネッサが、前方を向いたまま通信を送った。
「ウソついたら、バケて出るからな」
震える小さな声でジュウイチは呟いた。しかし、着水する事無く水上機はヨタヨタと飛び続ける、不思議そうに見たゲイツがコシンスキーに呟いた。
「どう思う?」
「普通なら、とっくに墜落してます……訳が分かりません」
コシンスキーも首を捻るが、見ていた操舵手がポツリと呟いた。
「あの機体、なんか生きてるみたい……必死でもがいてる……生きたいって」
全機収容を終え、ジュイチの番が来た。流石に海面はサメだらけで、着水した途端にエサになるのは誰の目でも明らかだった。
『えー、着艦を許可する。着艦前に燃料全部投棄、前はカタパルトがあるから、出来るだけ後ろに降りてね』
他人事みたいなゲイツの通信は、更に難しい注文を付け加える。甲板には大勢の甲板員が消火器を持って構え、ドクを初めとする救護班も息を飲んだ。
「燃料全部捨てたら、やり直しは利かない。オンリーワンショットだ」
アルフは真剣な眼差しを送り、エリーは固唾を飲んだ。グレックでさえ、直ぐに救助に向かう体制を取っている。しかし、アネッサだけは平気な顔で腕組みをした。
「大丈夫だよ、甲板はおろか機体も壊さない」
「どうして分かるんですか?!」
エリーが大声で聞いた瞬間、水上機は音も無く近付く。燃料を捨て、エンジンまでも止めたジュイチは後方からアプローチに入る。まるでフロートの下に目があるみたいに機体の水平を保つと、拍子抜けする程静かに、しかも簡単に着艦した。
「あー、参った」
降りて来たジュイチを歓声が包む。エンジンを確認したアルフは苦笑いした。
「完全に焼き付いてる、本当にさっきまで飛んでいたのか?」
「ご苦労さん……」
アネッサは優しく機体を撫ぜ、ココロの中で呟いた……”ありがとう”と。それは機体に掛けた言葉なのか、ジュイチに掛けたのかアネッサ自身にも分からなかった。
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城壁が都市を取り囲む。その長さは数十キロにも及び、隔離された人間の居住空間を形成していた。都市の中は食糧生産区画と産業区画とに分かれ、そこを中心として居住区が周囲を取り囲む。
城壁都市によって、産業区画は様々だった。日用品や軍需品、様々な産業に特化した産業で成り立ち、それらの輸出入で都市同士はお互いに共存していた。全てを自身で賄える都市は稀な事だった、気候や場所、資源や水源の問題など完璧な土地なんて地球上でもごく僅かしか存在しなかった。
エイト達の城壁都市メディナは、稀な都市だった。食料生産は最低限で、産業区画の大部分は自衛軍による演習場になっていた。
つまり、主な輸出品目は高度に訓練された陸戦専用の傭兵だったのだ。自分達で自衛するより、熟練の傭兵を雇った方が各都市にはメリットが多い。傭兵は各都市にとって最大の輸入品目になっていた。
「銃眼をもっと大きく、操縦席も防弾ガラスで視界を広くして欲しいの。前部装甲板は外して、ハッチも軽い物と交換、履帯も軽量タイプに……それと、外付けの予備タンクを増設。主砲も三十七ミリに換装、砲弾は例の爆裂弾でお願いね。この歩兵戦闘車がベースなら、居住性も確保できるから理想に近い戦車が出来るよ」
ドアを開けると同時に、エイトは早口でまくし立てた。
「紙に書け」
車輌を整備中の老人は白髪頭を擦り、溜息混じりに一言だけ呟いた。汚れたタオルを頭に巻き小柄だが腰も曲がっておらず、その容姿には若さ? が漂っていた。
「分かった」
嬉しそうな顔でエイトは散らかった机に向かう。
「いい子じゃ」
老人はニコリと笑うと、また作業に戻った。老眼鏡越しにスパナを動かす、しかしその動きは正確で寸分の狂いも無い。彼はこのコロニーで最高のメカニックであり、エイトの保護者でもあった。今はエイトの念願であった歩兵戦闘車の改良中で、難しい作業を難なくこなしていた。
「エイト、爆裂弾は注意しろよ。確かに威力は盛大だが、強力な武器は両刃の剣じゃからな」
手を休めなまま老人は、必死に机に向かうエイトに優しい声で語り掛ける。
「分かっるて、おじいちゃん」
他の者には絶対見せない笑顔で、エイトは老人を見た。
「ゼルダさん、隊長来てますか?」
急に扉が開き、イワンが顔を覗かせた。
「どうしたの?」
机でリストを書きながら、エイトは背中で言った。
「クリムゾン・ナイツです、十二騎を確認しました」
「近くに来たの?」
エイトの手が止まった、背筋に悪寒が襲う。
「何、こちらから手出しをせねば、奴等は何もせん」
作業を続けながらゼルダが言うが、エイトは直ぐに言葉を被せる。
「剣や槍だけで獣と戦ってる集団よ、私は前に見た……まるで獣同士の闘いみたいだった」
更にイワンが続ける。
「変異したのは獣だけじゃないって聞きます、人もまた――」
「変異とは少し違うがのぅ」
言葉尻を遮りゼルダが身を起こす。破滅的な戦いをする赤褐色の髪、銀色に輝く甲冑、無機質な仮面には角があり、細い目と細い口は、人とはかけ離れた神秘的な感覚を抱かせて、見る者を畏怖で包む。エイトの脳裏には、その恐怖にも似た姿が蘇った。
「彼等の視覚、聴覚、嗅覚、そして運動能力。全てが獣の領域じゃ、大昔の人間は皆あんなだったそうじゃ」
呟く様なゼルダの言葉に、イワンが目を丸くする。
「信じられないけどなぁ」
「退化したのよ」
低いエイトの言葉が挟まれる。
「そうじゃな。今の世、退化し続けてるのは人間だけかもしれん」
ゼルダ肯定の言葉が更に被さる。
「何で退化したんですかね?」
ポカンとしたイワンに、少し笑ったゼルダが向き直った。
「道具じゃよ。人は気付かなかったんじゃ、自らの楽な生活と交換で失う事を……な」
「そうかぁ、でもアイツ等は何してるんでしょうね? 決まった場所に居る訳でもないみたいだし」
クリムゾン・ナイツは見た目は人とは関わらないが、実態を知る者は誰もいない。イワンは自分の目で確かに見たのに、その姿が幻だったみたいに感じた。
「だだの放浪民じゃよ」
ゼルダは優しい声で呟いた。少し笑ったエイトが、イワンを見る。
「用はそれだけ?」
「あっ、大事な事を忘れてた。直ぐに評議会に出頭して下さい」
エイトは長い溜息の後、ゆっくりと立ち上がった。