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海ゆく空のアルドーレ  作者: 真壁真菜
第一章 
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ドクター・ドーキンス

 その場所は住宅地から離れた小高い丘の麓にあり、広大な畑にしか見えなかった。車を畑の前で止め、ハンドルにもたれたエイトが小さく呟く。


「ここを見に来たんですか?」


「ええ、ここはかつて農業実験場だった場所」


 心地よい風がマーベルの髪をなびかせた。あんな苦労をしてまで、畑を見に来たのかとエイトは大きく背伸びをしたが、マーベルの目に悲しみに似た感情が浮かんでいた事には気付かなかった。


「こんな遠くまで、ようこそ。途中、海賊に襲われたそうで大変でしたな」


 白髪の老人が、眼鏡の奥の小さな目で声を掛けて来た。


「はじめまして、マーベルと申します。ドーキンス博士ですね」


 丁寧に頭を下げるマーベル、慌ててエイトも頭を下げる。


「はい、私がドーキンスです。お嬢さんのお名前は?」


「エイト、です」


「そうですか」


 ドーキンスは初めからエイトばかり見ていた、なんだか気恥かしくてエイトは視線を逸らした。簡単な挨拶が終わると、ドーキンスは遠くに見える小さな小屋に二人を案内した。


 小屋の中では部屋の一面にある本の数に圧倒され、エイトは古い本の匂いに少し気分が悪かった。小じんまりと片付いてはいたが、生活感の無い部屋の中は物の多さに比べて寂しさ? に近い感覚を抱かせた。


 ただ、書斎の机の上には古い写真立てがあり、セピア色の写真は荘厳な柱をバックにした美しい女性で、エイトの口元が少し綻ぶ。


「所で、隠居の私に何の御用ですかな?」


 大きな応接椅子に座ると、ドーキンスは二人にお茶を勧めた。


「博士はこの異常現象について、どうお考えですか?」


マーベルの博士という言葉が、本棚一面の本とリンクし老人を見る目が変わったエイトだった。


「そうですね。自然現象としては、不自然としか思えません」


 そのままの答え。エイトには、ドーキンスの言葉の方が不自然に思えた。


「自然現象としての変異は、環境と他に時間であると博士の著書で拝見しました」


「時間とは、地球の公転であり太陽を回る地球の軌道。そして、地球の意思なのです。その意思が全ての生物の規範として、時間と言う概念を構築しています。生物がその姿や性質を変化させるのには時間が掛ります。時間を制御できるとしたら、多分、人間だけでしょう。人為的に突然変異を起こす事は不可能では無い。理論的には遺伝子情報を操作する事によって、変異体は発生します」


 マーベルは頷いているが、エイトには話がバラバラに思えた。


「申し訳ありません。なにしろ他の人とこんな話をするのは、三十年ぶりです。話の組み立てが、どうもうまくいきません」


 エイトの考えが分かるかの様に、ドーキンスは微笑を向けた。


「そんな……」


エイトは恐縮し、マーベルは横で微笑む。


「それでは、農作物を例に挙げてみましょう。農作物は人が手を掛けないと育たない弱い植物です。そこで、害虫を殺す微生物から遺伝子を取り出し、作物に組み込むと殺虫性のある農作物になる。特定の除草剤に強い微生物から遺伝子を取り出し、農作物に組み込むと除草剤を撒いても枯れない農作物になる。両方の遺伝子を組み込むと、虫にも除草剤にも耐性のある農作物が出来る」


「動物を変異させるのも、同じ様な方法なんですか?」


「そうですね、理論的には同じです。例えば、身体の大きい動物の遺伝子を他の動物に組み込むとしましょう。言葉では簡単ですが大きくなる遺伝子の特定は難しい。手近な方法としてはベルクマンの法則を利用します、恒温動物では同じ種でも寒冷地に生息する方が大型になる。それは体温維持に関わり、体温と体表面積の関係から環境に適合した変異をする。つまり、その場合なら大きくなる遺伝子は、比較的特定し易いということです」


 エイトの質問に、ドーキンスは丁寧に答えた。


「裏返せば、異なる種同士の遺伝子の組み換えは難しいと言うことになりますね。そもそも、農作物も家畜も、人間が資源として便利に作り変えようとしたのであって、現状の動物達は明らかに矛盾しています……獣を作り変えても、人間には何のメリットもない」


「そうですね、そこが一番の問題です。家畜では特筆される変異は起こっていません……いえ、実際は、出生率は下がり続けているのですが」


「えっ……」


 最悪の事態がエイトに被さる、背筋に悪寒が走った。


「近い将来、家畜は絶滅の可能性があるの」


「そうなったとしても、食用に出来る動物は他にもいます」


 声を落とすマーベルに、エイトは少し声を上げた。


「クリムゾン・ナイツ。彼等は家畜以外の動物や、農作物以外の植物を摂取していた為に……変異をしたという研究結果もあるの」


 マーベルの言葉に変異という事態ががエイトに迫る、冷や汗が全身を包んだ。


「まさか……」


「可能性の問題です。事実だと確定する証拠はありませんよ」


 ドーキンスはエイトに笑い掛ける。背中の汗は渇かなかったが、マーベルの言葉がエイトの中に疑心としての光を失わず、言葉はストレートに出た。


「遺伝子操作による生物の変異は、本来は人間自身の利益の為のはずですよね。誰かが意図的に攻撃的動物を作ったとお考えですか?」


「そうね、そこが一番の問題。獣たちは明らかに、人類の抹殺を望んでいるとしか考えられない。でも……今までのデータを総合的に分析すると、殆んどの動植物が何らかの変異をしている可能性は、大きい……我々、人間も含めて」


 マーベルは、会話の最中に”間”を設けた。言葉の内容は衝撃だったが、エイトに初めから分かっていた様な気がした。そして、誰が何の為にという言葉が、何度も頭を過った。


「地球には太古の昔、メガファウナと呼ばれた巨大動物相、つまりある特定の地域と時間における集合的な呼称ですが……マンモスを筆頭に、サーベルタイガー、サーベルパンサー、二トンを超えるウォンバットやアルマジロも生存していました。今の獣達の巨大化は、過去に向かって進化した様な感じです」


 呪文みたいに呟くドーキンスの声に、エイトの脳裏にゼルダの言葉が蘇る”過去の人間は獣の様な身体能力を身に付けていたんじゃ” 獣達とクリムゾン・ナイツが頭の中でダブる。 


 どうしようもない不安と怖さに全身が震える。同時に初めにドーキンスが言った、自然現象としては不自然、という言葉が重なる様に頭に積もる。


 巨大なメガファウナでさえ、人は滅亡に追いやる……そして自身さえ、破滅の道に誘う。地球と言う生命体にとって人は、なんら利益を生まない”イラナイモノ”なのだろうか。


 更に胸が苦しくなった……人の運命の先端が見えた気がした。


 長い沈黙が続いた。ふいに頬に感触があった、窓から吹き込む風が髪や服を揺らしていた。


 呼吸をしているを思い出した、普段は気にもしないのに不安になると何時も思い出した。なんで自分は息をしているのかと。


”生きてることを思い出すんじゃよ、不安になった時には自然とな”穏やかなゼルダの声が耳の奥に蘇る……生きてる、自分はまだ生きてる。


 不安が霧みたいに晴れる、大きく深呼吸するとドーキンスが優しい眼差しで見詰めていた。


「マーベルさん、どうしてここへ来たんですか? だだの確認では無いでしょ」


 元からの疑問、エイトは恐怖を払拭するようにストレートにぶつけた。


「私は生物学者を名乗っているけど、実際は文献で勉強しただけ。今の時代、研究施設も無ければ師事する教授も居ない。ここなら、まだ……ドーキンス博士」


「すみません。私も、もう過去の人間なのです。お役に立てそうにありません」


 ドーキンスの声には微かな震えがあった。エイトにはその訳が、何故か分かる様な気がした。


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