第一章 廃城血に染めて(1)事のあらまし~コロブ乱心公の顛末~
帝国西部独立領、あるいはトラス軍閥国。百六十年前の代の帝国西部解放軍総長アザキエリ・トラスが終わりの見えない長期戦、そして慢性化した物資不足で生じた軍団全体の厭戦感に応えて独断で行った西部の怪物「クド」族との休戦協定は、巡り巡って帝国から独立した最初の国家を生み出した。
帝国からの独立は当時秩序と正義の象徴であった皇帝の庇護下から外れることを意味する。絶対なる存在を失った彼らは皇帝の代わりに総長という肩書、そして帝国とは異なる体系の宗教に依りて立つこととなった。
物流の起点である帝都との断絶、停戦後もクドの中にくすぶる潜在的な敵対心、そして湿度差の激しい西部の気候――数多くの困難にも関わらず彼らトラス軍閥は上手く着地点を見出した……それこそ帝都の貴族に舌を巻かせるほどに。
「トラス軍閥総長……いいや反帝国主義者、憎むべき臣民の敵シャルヴェル・トラスっ! ……国民議会は皆が私にくだったぞ。見苦しい抵抗からいよいよ大義すら消え去った今、なぁぜ貴様は籠城の構えを解かないのだ!」
しかし今、当代総長シャルヴェル率いる四百名の愚連隊はかつての西部戦線の廃城に陣を敷き、己らの屍を荒野に晒す結末に飲み込まれようとしている。武器よし士気よし練度よし、彼らに足りぬは数ばかり。敵は帝国貴族デアマール率いる精兵、およそ千三百。
ことの起こりは二年前、トラス軍閥と帝国の境ツエキサの貴族、「愚公」コロブの武装蜂起にある。
名目上は皇帝による専制政治がなされている帝国だが、現在においては皇帝の影にはびこる貴族らが運営する形態がまかり通っている。また、貴族といってもピンからキリで、複数の貴族から成る派閥の頭目となりその一声で帝国運営を左右する大貴族もいれば、そうした大貴族に媚びへつらいおこぼれに与る以外何もできない者(小貴族)も数多くいた。しかし、貴族でなければ政治に関与する機会は全く訪れなかったこと、また派閥の長の大貴族も小貴族たちの頼み事をほどほどに聞き入れてやれば彼らの有する土地や土着兵力を有事――多くは次期皇帝を巡る派閥同士の暗闘を指す――にはある程度自由に動かせたことが、皇帝をよそに形成された少数の大貴族とそれに群がる小貴族という構図を形成させていた。そして、貴族ではない市民は、それに気づかないか、あるいは気づかないふりをした。
だがこの構図は数多くの不文律とそれを順守する暗黙の了解がなければ立ち行かないいびつなものだ。例えば貴族というシステムは彼らに寄生されて全ての責任を押し付けられる皇帝あってのものであり「貴族はあくまで皇帝を煩わせないために治世を行う装置である」という建前がある以上、皇帝を半死半生に追い込んでも決して廃してはならない。また、大貴族と小貴族、そして貴族とそれ以外という構図自体が最上位の皇帝とその下に横並びに連なる帝国民という帝国身分階級の大前提に反している。そのため名目上は貴族制とは市民の中から「志願者」を数年毎に募集して交替で運用される公平平等な仕組みになっている(ちなみに最後に貴族の交替が行われたのはおよそ四十年程前だ)。
……もしもこれら不文律を真っ向から否定するものが現れたら――それも貴族の中から現れたのならどうなるか。貴族制をきらい、攻撃の機をうかがう者たちに絶好の口実を与えることとなるだろう。そして、ツエキサ公コロブは己の無知から貴族の反目者たちに見事口実を与えてみせた。愚公の蔑称の所以である。
「皇帝による正しき政治を大貴族共から取り戻す為、小貴族、いや! 真なる貴族諸君はどうか私に兵と武器を預けてくれまいか!」
三年前、当時の皇帝が世を去ると、貴族達は複数の派閥に分かれ、互いに擁立した皇太子を旗印ににらみ合い、己らが推挙した者こそが皇帝にふさわしいと各々主張し、通らぬとみるや武力を掲げて小競り合いを重ねた。帝国史においてもはや慣例と化してしまった帝権継承戦争である。
表向きは皇太子達とそれを擁する諸大貴族達によって行われるこの継承戦争だが、その実大貴族の子飼いの小貴族の兵同士の戦闘がほぼ全てを占めており、最も害を被るのもまた小貴族領であった。仮に小貴族が大貴族領に手を出した上で所属する派閥が敗北しようものならその後の顛末は悲惨の一言であり、故に戦あるいは略奪の現場は常に小貴族領であり、戦争の影響で困窮した小貴族は戦後の統治において大貴族に依存せざるを得なかった。継承戦争とは大貴族にとってこの上なく都合よくできていたのである。
コロブもまた大貴族に搾取される運命にある僻地の小貴族だった。運よく自領を荒らされることこそなかったが、従軍先で嫡男を失ったことを機に領内で彼の奇行が度々目撃され、開戦から一年経ち次代皇帝が決定するかしないかといった時勢に突如として東進し挙兵した。突然の出来事に諸貴族が対応できないでいる内にコロブは帝都近郊のリガを占拠、小貴族達へ向けて上述の声明を送った。
コロブの中では自分同様に大貴族に不満を持つ小貴族が自分の下に集うという構想があったのかもしれない。しかし彼のように小貴族の中でも辺境暮らしの者なら兎も角、大多数の小貴族は大貴族領と隣接していたため、依存せざるをえない状況にはあったものの恩恵に与る機会も多く、ある意味では皇帝同様に「去勢」されていた。
かくして周辺小貴族達が日和見を決め込んでいる内に大貴族達が体制を整えると、彼らの主導で小貴族の兵と武器が望みどおりに預けられ、哀れな小貴族は挙兵して数日しない内に首から下を失った。
しかし問題はこれで収まりはしなかったのだ(続)