05 # 踏み出した最初の一歩
今ここに生まれた感情はきっと 踏み出した最初の一歩。
彼女は瀬下美砂と名乗り、静かに話し始めた。
「……あなたがどういう人なのか、知りたかったの」
「私………?」
(どうして)
私が彼女と会ったのは、この前が初めてのはずだ。
しかし彼女の言い方が、以前から私のことを、存在を、知っていたように聞こえた。
「彼は、何も教えてくれないの、あなたのこと。」
「私のことを、知る必要が……どこに?」
「気になるじゃない、元カノのことは。だから聞いて回ったの、あなたのこと」
「…………」
「それでも全ては分からない…。彼とあなたの間に、何があったのかも。―――全部、知りたいの」
彼女の気持ちは、分からなくもない。だけどそれを、どうして私に言うのか。
こっちは忘れたくて、でも忘れてはいけないような気がして、きっと一生この気持ちを抱いて、罪のように生きて行くんだと思ってた。
――――私に訊くのは、間違ってる。
「…彼が、何も言わなかったのなら、私から瀬下さんに話すことは何もない」
彼女の顔色が少し変わった。
「―――っ何よ二人して…!私に言えないようなことなの!?――まだ、どこかで繋がってるんじゃないの!?」
(…本当に、何もない)
人に、話すようなことは何も無かった。 もし言うとしたら、きっとお互い文句ばかり。
別れた時、私が一方的に切ったから、話し合いなんてしてないに等しい。
だから、私の思いも、彼の思いも、誰かに打ち明けていないのなら、 知るのは互いに自分だけ。
「あたしは…っ不安なのよ…っ!」
彼女は瞳に溢れる涙を堪えながら、泣きだしそうな声で言う。
「まだ、彼の心の中に居るかもしれないあなたが…、いつか彼を奪って行くんじゃないかって」
「そんなこと―――」
あるはず、ないのに。
嫌になる。イライラする。そんなこと、私に言わないで。
「……それはあなたたち二人の問題でしょう?私に八つ当たりするのは、間違ってるよ」
「―――っあなたに何が分かるって言うのよ―――っ!!!」
彼女を声をあらげ、手を高く振り上げた。
(―――叩かれる!)
そう思って咄嗟に目を閉じる。
どうして私が陽一の彼女にまで、責められなきゃならないんだろうか。
コレも―――罪なんだろうか。
「…………?」
目を閉じてからしばらく経ったが、痛みが走ることはなかった。
そっと目を開けると、彼女の手を掴む―――
「高橋………くん…」
「こんな道の真ん中で、女の子が人叩くのは、どうかと思うけど」
「………っ!」
彼女はかっと顔を赤くして、高橋君の手を振りほどき逃げ出そうとする。
(……駄目、)
「―――――待ってっ!!」
私の声に、彼女は立ち止まる。
「――彼に、伝えて欲しい。」
自分の中の彼と、私はコレでケリをつけたい。
きっともう、会うことはないだろうから。
「私、彼にひどいことを言った。きっといっぱい傷つけた。だからこの前会った時に安心した、幸せになって欲しい。……ただ、それだけ。」
心の中に住む彼を、消すことは出来ないと思う。
気まぐれに現れては、きっと私を悩ませるかもしれない。
だけど、それを罪としてじゃなくて、ただ一つの美しい思い出として、残したい、残せたらいい。
心からそう思うから、だから――彼の幸せを、願えるんだ。
「…幸せに、なって下さい」
そう言って、頭を下げた。
きっと彼女には私の姿も行動も表情も、見えてはいない。
彼女は振り向かずに、いつの間にか日も暮れた薄暗い夕闇の向こうへ消えていった。
* *
「――高橋君、どうして此処が?」
「…由佳里ちゃん、血相変えて俺らン所来たんだよ。」
「……そっか」
彼と会うのは、5日ぶりだ。
出会う前までは、17年も会っていなかったのに。
知り合ってから、5日以上会わないことだってあったのに。
ひどく久しぶりな気がするのは何でかな。
「なんか高橋君、さっきすごかったね、迫力。」
「はは、怖かった?」
「んー、自分言われた訳じゃないからなあ」
「人事だな」
優しく彼は笑う。
この温かい笑顔も、久しぶりなんだ。
「――あの、ありがとう。」
私、彼にもひどいことを言ったのに。さすがにもう、呆れられたと思っていた。
また傷つけるくらいなら、もうこれ以上、関わらないでおこうと、そう思ってた。
でも今こんなに近くにいて、私はそれを拒んでいない。
そのあたり、やっぱり私は自分勝手なのかもしれない。
心の中で、その考えすら、否定していたのだろうか。
「…俺さ、別に傷ついたりしないよ」
「え?」
突拍子もなく始まる話に、理解が出来なくてキョトンとしてしまった。
「――すきだから、一緒に居られるだけで、幸せなんだと思う」
だから、と彼は続ける。
「俺の気持ちを、気にすることはないし、なんていうか…」
「………」
「すきって、そういうことなんだと思う。」
心の靄が、何だか晴れて行く。
彼との連絡が途切れたあの数日間、私は一体何を、思ってたんだろうって考えたら、少し答えは見えた気がした。
「……あの、あのね」
まだ、すきという気持ちはよくわからないけど
「―――私、貴方のことを、もっと知りたい。」
今ここに生まれた感情はきっと 踏み出した最初の一歩。
2008.11.13
2015.03.01(加筆修正)
一区切り。番外編へと続きます。