結夏と優香
部屋には優香との思い出が多すぎた。
結夏との思い出は消せない。
この部屋のアチコチに二年経った今でも色濃く残っている。
カーテンを選ぶ時は笑った。
二人ともサイズを計っていかなかったんだ。
互いがやってくれたものだと思い込んでいたのだ。
『しょうがないから長いの買う?』
『どうして?』
『大は小を兼ねるって言うでしょう? 長は短を兼ねる、かもよ』
そう言いながら結夏はロング丈の見本コーナーに向かった。
何だか解らないうちに結夏に押しきられた形になった。
素材も又遮光性の高いのからレース状の物まであり、種類が豊富で目移りしていた。
『これだとヤバイね』
手をカーテンの下に入れたら指が透けていた。
『良いんじゃない。最上階なんだから誰にも見られないよ』
僕が言うと、結夏は耳に唇を寄せた。
『お天道様が見ているよ』
そう言って俯いた。
それは保育園時代の原島先生の受け売りだった。
『お天道様はね、何時でも君達を見ているのよ』
原島先生は何時もそう言っていた。
それは堂々と生きて行けと言う、原島先生の教えだった。
『夜もですか?』
調子に乗って孔明が言った。
『そうよ。君達が眠っている間もよ。お天道様は地球の裏側からでも君達のことを見守ってくれてるのよ』
『先生。さっきと違うこと言ってる』
孔明がからかった。
『見ていると見守っているって意味、まだ君達には解らないかと思う。だけど、お天道様は何時でも君達の傍にいるからね』
結夏の言葉を聞きながら考えた。
昼は、動き回っているから見ている。夜は眠っているから見守っている。僕はそんな風に結論着けた。
僕は結夏を見て、二人で真っ直ぐ歩いて行こうって思ったんだ。
『結婚しよう結夏』
カーテンの陰に隠れて結夏を抱き締めながら言った時、背中に回された結夏の腕に力が入った。
でも結夏はすぐに僕の背後に回りオデコをくっ着けた。
小さく振るえているのが解る。
きっと泣いているのだと感じた。
僕はその時、結夏が承諾してくれたものだと思ったんだ。
『私達未成年だよ。まだ早いよ』
それでも結夏はそう言った。
本当は嬉しいくせに素直じゃない。
『勿論二十歳になってからだよ。それともニューヨークに行って許しを貰う?』
その言葉を聞いて、結夏は頬に大粒の涙を溢した。
『夏休みになったら行こうか?』
『あれっ、隼って十月始めの生まれじゃなかった? 夏休中に行かなくても……』
『あっ、そうだった。結夏は確か……』
『八月三十一日。夏の終りだから結夏になったんだって。判り易い名前だよね?』
結夏は笑っていた。
それでも僕は行くつもりだったんだ。
アメリカ国籍か日本国籍にするかの判断を着けなくてはいけないからだ。
だからそのついでに両親に結夏を会わせたかったんだ。
出来ればその場で結婚式を挙げたいと思っていたのだった。
又カーテン選びに戻ったけど妙にぎこちない。
でも結夏は、そんな一時を楽しんでいるように思えた。
あれやこれやと意見を出し合い、結局太陽の光を通さない物にした。
結夏は部屋に帰って来て、カーテンをレールにはめてから下をきり裾を大雑把に縫った。
そして余った布でクッションカバーを作った。
『ほら、カーテンとお揃いになった。後でミシンを持ってきて縫うね』
でも結夏はそのまま戻って来なかった。
だからカーテンは、未だにそのままになっているんだ。
『お天道様が見てる』
結夏は言っていた。
それでも僕達は時間が許される限り愛し合った。
だからいくら最上階だからと言っても、カーテンが欲しくなったんだ。
産まれたままの自分の姿を、太陽の元に晒したくなかったのだ。
(――カーテンだけじゃないな。
――このソファーベッドたって、このクッションカバーだって……)
僕は未完成のままのカーテンを見つめながら、結夏を抱いたあの日を思い出して泣いていた。
この部屋にやっと優香がやって来る。
だから、朝からソワソワしっぱなしなのだ。
エロ本やDVDなんかは片付けたら。
一応男だから、人並み程度の物は持っていたんだ。
結夏の居なくなった傷みをそう言う類いの物で埋められるはずもないのだけれど……
反対に余計に辛くなってしまうのだけど……
時々出しては眺めていた結夏の写真も閉まった。
優香に知られるのが怖い訳ではない。
でも、優香に対して失礼だと思ったのだった。
今か今かと待っていたら、下のインターフォンから着いたと連絡があった。
僕の寝具はソファーベッドだ。
ベッドマットなどを片付け、久し振りにソファーにした。
結夏の作ってくれたクッションカバーは、大雑把に縫った割には何とか機能してる。
僕はそれを抱き締めながら、優香の到着を待っていた。
「遅れてごめんね」
そう言いながら入って来た優香。
手には大きな荷物を下げていた。
「なあに、それ?」
「隼に美味しい物を作ってあげるって約束したでしょう? 今日は腕を奮うわ」
「やったー。何を食べさせてくれるのかな?」
「それは後のお楽しみ」
優香はウインクをして、持参したエプロンに袖を通した。
「オーブントースター確かあるって言っていたわよね?」
「うん。流しの横だよ。電子レンジはその隣」
それらを目で確認してから優香は流し台の前に立った。
優香はまずボールとフライパンを洗った。
……コンコン、カチャ。
玉子を割る音がする。
……グツグツ。
今度は洗った鍋で何かを煮始めた。
(――何をやっているんだろう?)
音だけでは解るはずがないから本当は覗きたい。
でも、じっと我慢した。
出来上がった料理がテーブルの上に並ぶ。
それはフレンチトーストとグリーンサラダだった。
「このサラダ、何を入れたの? 白くてふわふわして、食感が面白い」
「カッテージチーズです。フレンチトーストに使用した牛乳の余りで作りました」
「僕、フレンチトーストって初めて食べたよ。柔らかくて美味しいね」
「ソフトフランスパンってのがあったの。大きさも手頃だしこれに決めたけど……」
優香はそのまま黙ってしまった。
「どうしたの?」
僕の声で慌てたのか、優香は突然立ち上がり頭を下げた。
「ごめんなさい。大学でお昼はパンになることが多いって聞いて、何か美味しい物を作るつもりだったのに……。結局私が選んだ食材はパンだった……」
「ぷっ!!」
僕は思わず吹き出してしまった。
「だってぇ」
「だってぇ、何?」
「オヤツもパンなの」
「ぷっ!!」
又吹き出した。
失礼だと思ったが、僕は可笑しくて堪らなくなっていた。
「スーパーに入る前までは違う料理しようとしていたのに、気付いたら……」
どうやら優香は舞い上がっていたようだ。
「今の優香、物凄く可愛いな」
僕の言葉に、優香は固まった。
「ありがとう優香」
僕は優香のオデコにキスをした。
優香は恥ずかしそうに俯いた。
「あっ、茹で玉子忘れていた」
優香は慌ててコンロに置いてあった鍋に走った。
「少し沸騰させたら電源を切るの。温まったお湯で自然に茹で玉子になるのだけど……」
……コンコン。
小気味良く優香が玉子の殻を剥く。
「これで少しはバランス良くなったかな?」
優香は笑った。
結夏との思い出が刻まれたソファーベッドの上でイチャ付く訳にはいかない。
それに優香は僕を『王子様』だと言った。だから余計に紳士的な態度を取るしかなかったのだ。
食後はゲームで遊ぶことにした。
一応トランプとオセロを用意していた。
「あっ、隼ズルい」
「角を取らなかった優香が悪いんだよ。これで全部いただきだ」
「うぇーん。手加減してやっていたら……」
泣き真似する優香が愛しい。
思わず抱き締めたくなっていた。
そんなこんなであっと言う間に三時になっていた。
オヤツはやはりパンだった。
でもそれは、フレンチトーストで余ったソフトフランスパンを使ったラスクだったのだ。
「こんなのがすぐ出来るの? 優香はまるで魔法使いみたいだね」
「うふふ。ありがとう」
「いや、ありがとうは僕の言わなきゃいけないセリフだよ。優香……本当にありがとう」
「又来て作っていい?」
「望むところです」
僕は優香の手を取った。
優香のメモをこっそり見たら、シミュレーションしたことがうかがわれた。
玉子は最低四個入りなのだ。
フレンチトーストに一つ使用して、残りは茹で玉子にするつもりだったらしい。
フランスパンはフレンチトーストにラスク。
牛乳はフレンチトーストにカッテージチーズ。
そのカッテージチーズを作る時に使うレモンは二切れ残して、ラスクと一緒に楽しむ紅茶に入れる。
全く無駄のない献立を優香は考えていたのだった。
「優香はきっといい奥さんになれるな。旦那様が羨ましい」
本当は僕のお嫁さんにしたい。って言いたい。
でも、言えるはずがなかった。
「あれっ、あのカーテン?」
僕の言葉に動揺したのか優香の目はキョロキョロしてからカーテンに釘付けになったようだった。
「何だか裾がおかしい」
優香は立ち上がった。
「あっ、あれはあのままでいいんだ。結夏が……」
僕は又結夏と言ってしまった。
優香の前で結夏との思い出を語ろうとしていた。
「ごめん。気を悪くしないでね。あのカーテンは大切な思いでの品なんだ。だから直せないんだ」
優香には未練がましく見えるかも知れない。
でもやはり、結夏との思い出は消せないんだ。
消せるはずがないんだ。
そのままになっているカーテンが尚一層結夏を思い出させる。