父の家族
オーナーとの関係は……
「オーナーすいません。せっかく雇ってもらったに……」
「こうなると解っていたような気がする」
オーナーはそう言いながら僕の肩に手を置いた。
「店長はソフトテニスの指導が完璧だったと言っていた。その話を聞いて、もしかしたら中学で教えたいのかと考えたんだ」
「僕はソフトテニスが大好でした。だから封印した時は……」
「どうして封印したの?」
「ソフトテニスの王子様なんて騒がれてしまって……お母さんに迷惑を掛けたくなかったからだよ」
言った瞬間に母は僕を抱いた。
「ばかね。私は堂々と隼は私の子供だって言い触らしていたのよ」
「でもマネジャーが……」
「そのマネジャーが隠し撮りした写真を俺に売り付けたんだ」
「えっ、嘘でしょう。だってあの写真週刊誌に載ったじゃない」
「あのマネジャーは何度も金を要求してきた。その挙げ句……」
叔父は悔しそうに呟いた。
「あのマネジャーは公開しない条件として私との結婚を提示したの。私が断ったからかな?」
「そんな。お母さんには行方不明になっている恋人がいたのに」
「マネジャーは私が代理母だと信じていたのよ。だからあんな記事になったのよ」
「酷い話ですね。私がもっと早く息子を探し出していたら……」
「そうだよ。全くだ。俺からもう金を取れないと判断して両天秤に掛けたのかな?」
「そうかも知れない。でも私は良かったと思っていたのよ。あのソフトテニスの王子様騒動で隼を知ることが出来て……真二さんに任せっぱなしにしていたからね」
「いや。俺は楽しかったのです。隼は本当に良いヤツで、こんな俺にでも気を遣ってくれる」
叔父は僕の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「叔父さん止めてよ。僕はもう子供じゃないんだよ」
「いや、俺にとって隼は賭けがえのない甥だよ。いや、甥じゃないな。俺にとっては子供以上の存在だったよ」
「子供以上?」
「ああ、そうだよ。隼は賭けがえのない家族だったんだ」
僕はその時、優香のお母さんに土下座をしてくれた叔父の姿を思い出していた。
あれは紛れもなく、僕を愛してくれたから出た行動だと思った。
僕は叔父に感謝しながら眠り続けている父を見ていた。
「大学は今でもテニスコートを交互に使っているのかい?」
オーナーが場を和ませるように言った。
「交互って何ですか?」
「硬式テニスとソフトテニスだよ。曜日で分けているんだ。アメフトとサッカーも交互使用なんだよ」
「そう言えば、彼処広ったです。私が行った時はアメフトしていました」
「彼処のグラウンドは凄いよ。ナイター設備もあるしね。……って優香……」
「ごめんなさい。私どうしても隼の大学を見たくてオープンキャンパスへ出掛けたの……」
「へ?」
僕は唖然として、思わず吹き出しそうになっていた。
だって、大学のオープンキャンパスの日はスポーツ健康科学科の説明会があって僕も手伝いに行っていたのだ。
「それって、僕がオーナーのとこでインストラクターのアルバイトをする前でしょう? 実は僕も其処にいたんだ」
「ごめんなさい隼。調整池と、その上にあった空中通路しか行ってないの。隼が何時もパンを食べてる場所が見たかったのよ」
僕は堪らず優香を抱き締めた。
「お袋……ごめんなさい一度呼びたかったんだ。お袋、紹介するよ。この人は僕の婚約者の中野優香さんです」
「えっ、婚約者!?」
今度は優香が突拍子のない言葉を上げた。
「今日朝早く出掛けるから、御父さんに許可をもらってきたんだ。その時、結婚を前提にお付き合いをさせてもらうことを了解していただいた。優香……君は僕の婚約者なんだよ」
「あっそう言やさっき玄関開けたら、コイツら濃厚のキスしていたな……」
叔父のその発言に優香の顔が茹で蛸のように真っ赤になった。
「お前は相変わらずデリカシーがないな」
突然父が言った。
「えっー!? お前、記憶戻っていたのか?」
叔父が最大級の雄叫びを上げた。
「一体何時からだ? まさか最初からか?」
「んな、訳ないだろ。日本の空港に着いて、あの独特の匂いのせいだ。アメリカの田舎とは比べ物にならない熱気と言うか何かだよ」
「そう言えば、お前のいた田舎は空気だけはキレイだったな」
「空気だけはとはなんだ。人柄も良いぞ」
「それは言えてる。お前のようなヤツを大切に見守ってくれたんだからな」
叔父は遂に泣き出した。
「泣くな」
父もそう言いながら泣いていた。
「苦労かけたな怜奈」
父は母を『怜奈』と呼んだ。
でも母を完全に思い出した訳ではなさそうだ。
叔父から色々と聞かされていたから咄嗟に出た名前らしい。
それでも母は嬉しくて堪らなかったようだ。
「全くよ。でも苦労したのは私じゃない。この子よ。この子は私と貴方との息子で名前を隼って言うの。貴方の隼人から一字いただいたの」
「隼か? お母さんのこと、色々とありがとうな」
「僕は何もしてないよ。ただ甘えてただけだから」
「この子はね。人を見るの。誰も居ないことを確認してから甘えてるの。だから可哀想で……」
「ううん。ちっとも可哀想なんかじゃないよ。こんな綺麗なお袋を独り占め出来るんだよ。特権、特権」
僕は嬉し過ぎてふざけていた。
「そうだよな。まさに特権だったな。ごめんな、まだ本調子じゃない。どんな特権だったか教えてくれないか怜奈」
父が母に甘えるような声を出した。
「その手には乗らないわよ。皆の前でしょう。そんなこと言わないの」
母は父を諭すように言った。
「ごめん本当に知らないんだ。記憶がないんだよ。こんな綺麗な人と、本当に恋人同士だったのかな?」
冗談とも本気とも受け取れる父の発言に母は困っていたようだった。
「お父さん……ですか? 心配かけてすいませんでした。ところで俺、なんでアメリカなんかに行ったのだろうか?」
「覚えてないのか?」
「気が付いたらアメリカだったんだ。確かに記憶喪失だったらしい。でも、それよりカルチャーショックだった」
「カルチャーショック?」
「日本語も学校で習った英語も通じなかった」
「日本語は解るが、英語もか?」
「元々アメリカは移民の国だったけど、色々な言葉が合わさって、独特の訛りがあったから慣れるまでは苦労したよ」
「あっ、そう言えば俺も感じた。オマケに早口でまくし立てられた。カルチャーショック解るわ。慌てて通訳探したけどなかなか居なくてな」
「だろ? 俺はどうやら頭を殴られて車から追い出されたらしいんだ」
「あの車は目立つから、そんなこともあるかもな」
「お前知っているのかその車……」
父の言葉を受けて、叔父はアメリカで見つかった車と日本を発つ前に撮影した写真を父に見せていた。
「酷いなこの車。これがこんなになっちゃうんだね」
父は二つの写真を見比べてため息を吐いた。
「ところで……この車変わっているけど、何処で売っているんだい?」
「お前が手作りしたんだろうが」
「えっ、手作り?」
父は頭を抱えた。
「本当に覚えていないようだ。断片的に思い出して事柄を繋げているだけなのかも知れない」
突然オーナーは言い出した。
「ありがとう親父。その通りだよ。真二のことはアメリカ出発前に何となくイメージ出来てた。コイツの日本語を聴いた時は涙が止まらなかった。探していた物にやっと辿り着いたからかな?」
「きっかけは俺の日本語か?」
「そうだよ。今度もカルチャーショックだった。アメリカ語しかなかった世界に突然日本語が聞こえたんだ。全身が鳥肌に覆われたよ」
「それから、それから」
叔父は自分がきっかけになったことが嬉しらしくて次々と質問していた。
「相変わらずお前は……少しは休ませてくれ」
「あっ、そうだったな。悪い悪い。お前がどんな車を作ったのか観ていた俺が一番解る。今から説明してやるからな」
叔父はそう言いながら、父の横に椅子を運んだ。
「配車寸前のライトバンの車検を取ったお前は、本体の上に何処かでもらってきた普通車のボディーを熔接したんだ。それからライトバンの天上をぶち抜いて、荷物置き場を作ったんだ。荷物の出し入れの時に痛めないように研きも入れてな」
「そんなのが良く出来たな……ごめん、眠くなってきた」
「あっ、悪い……」
「いや、真二のせいじゃない。さっきの薬が効いてきたようだ」
父はそう言った後で目を瞑って眠りの中に落ちていった。
「相澤隼君。君は自分の好きな道に進みなさい。私達は家族なんだ。何の遠慮も要らないよ」
「でもそれでは……せっかく雇ってもらったのに」
「ありがとう。君のその言葉をだけて……ありがとう真二君、私にこんな素晴らしい家族を……この恩は決して忘れない」
オーナーはそう言いながら僕達に握手を求めた。
「店長が『オーナー。すぐレイクサイドセンターのテニスコートに来てください。ソフトテニスの王子様の相澤隼君が此処に来ています』って言った時は鳥肌が立った。私はあの時の君に息子を重ねていたんだよ」
オーナーは泣いていた。泣きながらベッドで寝ている息子を見ていた。
父は退院後あのアパートに帰って来た。
『隼、今すぐアパートに来て』
突然母から電話が入った。
僕は慌ててバイクに股がりアパートまで行った。
玄関を開けたら、父と母がキスをしていた。
「真二さんに聞いたの。だから脅かしてやろうって彼が言い出して……」
母は恥ずかしそうに俯いた。
「さっき、怜奈がキスしてきたんだ。それも物凄く濃厚なヤツを……。その内に徐々に思い出したんだ。この部屋で愛し合ったことを……」
「恥ずかしいから言わないの」
そう言う母に大女優の威厳はない。
あるのは、父を愛する心だけだった。
「怜奈が心を込めてくれたから、あのキスは最高だった。それから……」
父はそう言いながらあの写真を出した。
「これを見た時は泣いたよ。俺がアメリカに行ったばかりに苦労をかけたな」
父はきっと病室でのやり取りを聞いていたんだ。
だから泣かずにいられなかったんだろう。
「隼。ビックハンドの精神を忘れずに前進しろ。そうすれば、きっとお前は優れた教育者になれるから」
父の言葉に僕はただ頷いた。
ビックハンドとは五つのポリシーだ。
調和とコミュニケーション。
専門知識と幅広い一般教養。
地域愛。
得た知識の貢献。
情熱と行動力と責任感。
未来を捕まえる手。
父が何故そんなことを言ったのかは解らない。
でも、出身大学のことまで思い出したと僕は判断したのだ。
「隼。お前は俺達の宝物だ」
父はそう言いながら、僕を抱き締めた。
「ねえ、隼。私達結婚するの。記者会見の時、同席してくれないかな?」
「えっ!?」
「イヤならいいの」
「いや、イヤと言う訳じゃなくて……」
「やっぱり恥ずかしいよな」
父はウインクをした。
「隼。親父の事務のことだけど……。俺が手伝うことにした。きっと、役に立つことなんて何も出来ないかも知れない。それでもお前の代わりに就職したいんだ。お前は体育の先生を目指したいんだろう? だったら思った通りに進めばいい」
「ありがとう親父。僕は中学の体育の先生より、本当はソフトテニスのコーチになりたかったんだ。だからオーナーのとこでも……」
「勿論だ。俺が就職するのは、あくまでも隼の代わりなんだから……」
父の言葉には、僕の将来を案じた末の決意があったのだ。
あのアパートで二人は……