身を焦がしながらも
優香編です。
「あぁー又だ!!」
私は自転車置き場で悲鳴を上げた。
何度目かの翔君の悪戯だった。
「翔君、アナタって子は……」
園長先生が呆れていた。
私が早番の時、皆の目を盗んで良く自転車をパンクさせる。
帰ってほしくなくないんだ。
それは解っている。
だけど何時までも此処に居る訳にはいかなかった。
私は翔君を抱き締めた。
「中野先生甘いんだから」
園長先生が言ったら翔君が舌を出した。
「翔君、アナタって!!」
遂に堪忍袋の緒が切れたのか、園長先生が大きな声を張り上げた。
翔君はビックリして泣き出した。
そんな翔君の背中を優しく撫でながら、私は何故か懐かしい気持ちになっていた。
「園長先生何か思い出しませんか?」
「えっ、一体何を?」
「隼……相澤隼さんのことです。翔君を見ていたら、何時も園長先生にべったりくっついていた隼さんのことを思い出しました」
「そうだったわね。彼も寂しかったからね」
「私ね、何時も相澤隼さんと一緒に帰っていたんです。でも、ブランコの一件があってから……」
「近所の人が二階から見ていたらしいわね。確か優香先生が鉄製の枠を潜ってブランコに近付いたのよね?」
「はい、そうです。悪いのは私なんです。でも母は隼さんを許してくれなくて……」
「そうだったわね。隼君はあの後ずっと独りぼっちで叔父さんが迎えに来るまで待ってってっていたわね」
「私ね。あの時の隼さんが今の翔君のようき思えてならないんです」
「だからって甘やかすのはね」
「解っています。でも何だか放っておけなくて」
私は抱き抱えていた翔君をそっと下ろした。
「園長先生すいません。翔君のことよろしくお願い致します。私は歩いて帰りますから」
前篭からバッグを取り出して帰路についた私は、フェンス越しに辺りを見回してた。
又隼に送ってもらいたかったのだ。
そんなに都合良く隼のバイクが通るはずもなく、私はトボトボと歩き始めた。
アチコチ目をやると、自転車通勤では見えなかった色々な物が飛び込んでくる。
あの日バイクから見た花も何時の間にか変わっていた。
(――確かもうすぐ結夏さんの三回忌だったな)
ふと、そんなことを思い浮かべていた。
(――この先に結夏さんが落とされた太鼓橋があるんだよね)
そう思うと気が重くなる。
何も知らなかった私は毎日平気で其処を通っていたのだった。
半夏生の花が咲き始めていた。
半夏生とはカタシロバナとも言い、花と葉の一部が白く。
又夏至から数えて十一日目も、この花にちなんで半夏生と言うそうだ。
(――これが咲くとすぐに真ん中詣りがあるんだよね。
――花言葉は確か、内に秘めた情熱。
――何だか結夏さんに似合い過ぎるな。
――確か結夏さんの告別式の日も咲いていたな)
真ん中詣りは詣りか詣でとも言い、一年の丁度真ん中の日に感謝のお礼参りをする日なんだそうだ。
神社ではチノ輪潜りも行っているようだ。
結夏さんが亡くなったのはそんな頃だったのだ。
私はあの日のことを思い出していた。
死化粧で整えられた結夏さんは綺麗だった。
組んだ指の下には結夏さんとお揃いの小さな衣装が置いてあった。
(――きっとあれが、隼との間に出来た胎児だったのね。
――きっと御両親は結夏さんと一緒に旅立たせてやりたかったのね。
――黄泉へと続く旅路へと)
御両親はきっとその胎児の父親が隼だと気付いていたのだろう。
それでも、それだから敢えて隼に連絡を取らなかったのではないのだろうか。
突然芸能界から姿を消した隼をマスコミが放っておく訳がないと思っていたのかも知れない。
物心ついた頃から一緒にいた私達。
でも時々隼が居なくなる。
それが芸能界の子役の仕事だからと気付いたのはパパからのあの言葉だった。
『この王子様はね、お隣の隼君なんだよ』
その意味が解らずに、隼を本物の王子様だと思っていた私。
だからもっと遊んでほしかたんだ。
せめて、すぐ傍にいる時位は。
だからあの日、私はブランコの鉄柵を越えたんだ。
今思い出した。
やはり悪かったのは自分だと言うことを……
隼はどんな思いで叔父さんの迎えを待っていたのだろうか?
私がママに手を引かれて帰る時、園長先生の陰に隠れた隼を今更ながらに思い出す。
隼に寂しい辛い思いをさせたのは、紛れもなくこの私だと言うことを……
あの時誰かがママに言っていた。
『隼君だけが悪いんじゃない』って。
でもママ母は頑なに隼を私から遠ざけた。
(――あの時、私はきっと隼の心の闇を増幅させてしまったのだ。
――だから、それでなくても寂しかった隼に更なる苦痛を与えてしまったのかも知れない)
太鼓橋を渡る時、その僅かな隙間にどうしても目が行く。
(――こんな崖から落とされたのだったら流産しても当然か?)
そう思いつつも頭を振った。
(――結夏さん。傍に居たのに気付かなくてごめんなさい)
私は合掌しながら、結夏さんと赤ちゃんの成仏されることを祈っていた。
何気に階段を見ると誰かが其処にいた。
バイクが無いから気付かなかったけど、それは隼のようだった。
実は昨日、結夏さんのストーカーがあのアイスクリームショップにいた時私を訪ねてきた。
彼は隼に結夏さんのストーカーだったことを告白してから、太鼓橋の隙間から落とされた事実を伝えたそうだ。
(――だから此処に居るのね)
死んでも尚隼に愛される結夏さん。
(――私も結夏さんのように愛されたい)
罰当たりだと知りつつ願っていた。
『良く二人でバイクで出掛けていたよ。あの日だって……』
ふと、ストーカーの言葉を思い出した。
あの日私は隼のバイクに初めて乗せてもらった。
私はあの時、バックのキャリーケースに何故ヘルメットがあったのかなんて考えもしなかった。
きっとあれが結夏さんのヘルメットに違いない。
今私はきっと結夏さんに嫉妬している。
あの日、現場検証でもしてもらえたなら……
もしかしたら結夏さんをあの隙間から落とした人物が特定されるかも知れない。
そう思っていた。
それは一部の期待。
何としてでも隼を……
結夏さんの御家族を地獄の猛火から救い出してやりたかったのだ。
でもそれすら嘘に感じる。
私はただ、隼に結夏さんを思い出してもらいたくなかっただけのだ。
私だけを愛してほしいばっかりに……
その結果が……
まさか孔明さんのお兄さんが犯人だと言い当てるなんて……
(――ねえ、何て言えばいいの?
――何て慰めればいいの?)
それは深い……
今まで以上の深いキズになっていく……
(――結夏さん。私は貴女の恋人だった隼を愛してる。
――出来れば隼に貴女のように愛されたい)
私は何考えているんだろう。
強い強い執念のような愛が、私の心の中に渦巻いていた。
「あっ、待って」
突然隼の声が聞こえた。
どうやら、立ち去ろうとした私に気付いたようだ。
私は、後ろ髪を引かれるように其処から動けなくなった。
隼は階段を上がり、すぐに私の下にやって来た。
「さっき飛び降りた時には気付かなかったけど、結夏はどうやって此処から這い上がったのだろう?」
言われて、それは無理だと気付いた。
石で固めた隼の胸ほどあるその隙間を、か弱い結夏さんが這い上がるのことは出来るはずがないと思った。
私は隼が今までいた階段目を向けた。
其処へと繋がる道は鍵が掛かっていた。
どうやら線路の補修などで降りるために作られたようだ。
「駅方面か反対に歩いて行けば踏み切りがあるから、多分其処かな?」
「きっとそっちだな。結夏の家にも近いし……」
私は手を差し伸べて何とか隼を救い上げた。
「ごめんね優香」
隼は泣き声だった。
私は思わず隼を抱き締めた。
さっき翔君にそうしたように……
「ところで何で歩きなんだ」
気まずくなったのか、隼は私の腕を外しながら言った。
「あっ、又翔君の悪戯なんです」
「えっ、もしかしたら又パンクさせられたの?」
私が頷くのを見て、隼は私の手を取った。
「時間ある? もしあるのだったら僕にくれない」
隼の言葉が何を意図しているのか判らない。それでも私は頷いた。
隼は私が今さっき歩いて来た道を進んで行た。
「もしかしたら保育園?」
隼が頷いた。
「翔は男の子だろう? だったら女の子を泣かせてはダメだよ」
保育園に着くなり隼は翔君に向かって声を掛けた。
「女の子はね、力が弱いから大切にしてあげなきゃいけないんだよ」
当人の翔君は何を言われているのか理解出来ていないようだった。
「原島先生すいません。僕にくれたあの言葉を使わせてください」
「あっ、あの言葉ね。でも辛くない?」
「大丈夫です」
隼はそう言った後で翔君を抱き抱えてブランコに座らせた。
「園長先生、一体隼に何を言ったのですか?」
私は隼の言葉が気になって園長先生に尋ねた。
「中野先生がブランコで怪我をした時に言ったの。『女の子は赤ちゃんを産むことの出来る大切な体なのよ』って」
「えっ!?」
私は言葉を失った。
「『だから大切にしてあげないといけないのよ』って言ったら、隼君は『僕がずっとブランコに乗っていたからかな?』って言ったの。『仲間に入れて貸してあげなかったからかな』って。必死で理解しようとしていたの。だから中野先生がお母さんに連れられて帰る時、私の後ろで我慢していたのよ」
私はあの時の隼の姿を思い出して泣いていた。
「隼辛いですね。でも私も辛いんです」
「中野先生、もしかしたら隼君が好きなの?」
「小さい時から大好きだったんです。だから遊んでほしくてブランコの後ろから近付いたんです」
今度は園長先生が私を抱き締めてくれた。
「隼きっと辛いよ。結夏さんのお腹の中にいた大切な隼との命……」
その命が失ったことを考えたら涙が止まらなくなってしまっていた。
「中野先生。それは言ってはダメでしょう」
「やはり隼なんですね」
園長先生はゆっくり頷いた。
「私それでも隼が好きです。小さい時から、ううんそれ以上に」
私を抱き締めてくれていた園長先生の腕に力が入った。
結夏の三回忌が始まる。