風は柔らかく
序章です。
『あはははは。ねぇ隼、そっちに行っていい?』
笑い声が聞こえる。
キミの声が聞こえる。
僕は嬉しくなって、キミの居る方へ手を伸ばす。
でも、空振りした。
その手はキミを掴まえることもなく、僕の体に戻って来た。
(――何、何だ)
僕は暫く、途方に暮れていた。
あの笑い声の持ち主は確かにキミだ。
今でも頭の中にハッキリ残っている。
(――ん!? 今でも?)
僕はその時……目を覚ました。
意識が朦朧とする中で隣を見る。
其処にキミの姿はなかった……
(――やっぱり夢か)
そう夢なんだ。
キミが急に居なくなってから、この夢ばかり見ている。
でもあれからもう二年近く経っていたのだ……
最後に会ったのは確か梅雨の晴れ間……
太陽が眩しかったことは覚えている。
この部屋はマンションの最上階。
だから陽射しがダイレクトに来る。
それを気にしていたのだろうか……
『お天道様が見ている』
キミは何時も言っていたのだった。
(――ねえキミ……、今何処に居るの?
――何時まで待っていればいいの?
――ねえキミ……、早く帰って来てよ)
あの日から僕の涙は止まらない……
又キミの指で脱ぐってほしいよ……
だから今すぐ此処に来てよ……
又あの笑い声を又聞きたい……
僕を幸せにするキミの魔法なんだから……
チリチリチリ……
何時ものように目覚ましが鳴る。
僕はまだ眠気眼でベッドのキミの温もりを探す。
(――冷たい……
――そうだった。キミは此処にはもういなかったんだ)
自分の手で自分の体を抱き締めた時、狭い軋むソファーベッドの上で互いの肌を求めたあの日を思い出した。
僕達は恋人同士だった。
少なくても僕はそう思っていた。
そうキミが突然消えたあの日までは……
キミはあの日弾けた。
僕の愛に酔って……
だから信じられないんだ。
キミが居ないこの部屋の寒さを……
(――もう春だよ。
――キミと約束した一種免許状のメドも立ったよ。
――後は地方公務員試験合格と卒業するだけだ)
僕はキミと結婚したくて体育教師の道を選んだ。
真剣にキミとの生活を考えていることをアピールするためだった。
僕はキミと学生結婚することを希望していたんだ。
その時、僕達は共に十九歳だった。
双方の両親の承諾さえ得れば結婚出来る歳だったんだ。
ベッドから抜け出し何気に窓を開ける。
柔らかな風が心地好い。
さっきの夢の幻影さえも吹き飛ばしてくれそうだ。
南側の窓の先の風景を何時も眺めていた。
此処からは見えないけど、其処にはキミの家があるからだ。
でも、キミは一体何処に消えたのだろうか?
僕に不服があるなら、言ってくれても良かったのに……
取り合えず冷蔵庫を開けてみる。
僕自慢じゃないが、胃に何かを入れないと持たないんだ。
だから軽めにつまめる物を用意する。
と言っても、ドリンク意外殆ど入っていないけど。
朝食はサンドウィッチ系パンと牛乳。
それじゃ体に悪いってことで完璧野菜サプリをプラスする。
パンは昨日大学の購買部で仕入れておいたヤツだ。
牛乳だけはスーパーで、賞味期限を吟味して買っておくことにしている。
(――そう言えばこのパンキミも好きだったな
――急に何処かに行こうってなった時、コンビニでキミが選んだんだ。
――あの日から僕はこればかり食べている気がする)
ふとそんなことを思い出した。
この部屋の至るところにキミとの記憶がある。
この冷蔵庫だって二人で買ったんだ。
実は僕は持っていなかったんだ。
すぐ近くにスーパーがあるから必要ないと思っていたからだ。
でもキミと暮らしたかったから、選んでもらったんだ。
僕達は……
少なくても僕だけは真剣だったんだ。
なのに……
キミは居ないんだ。
何時になくセンチメンタルになった僕は、窓の向こうを何気に見つめた。
その時カーテンが揺れた。
(――これも二人で買ったんだったな)
又思い出したキミ……
僕にとってキミはどうやら掛けがえないの存在のようだ。
ねえキミ……
本当に何処に居るの?
突然居なくなった恋人は今何処に居るのだろうか?