第二話 encounter (出会い)
高校に通って友達と遊んで。毎日が楽しかった。
そんな日々がずっと続けばいいのにとさえ思っていた。
脆くも儚く崩れるとも知らずに。
「早くしないと置いていくよー」
「あっ、待って!教科書持ってくの忘れてた!」
教室の最前列、廊下側の席の机の中を慌ててあさる。
「呉羽、しっかりしてよ?」
「あははーごめんごめん」
机の中から科学の教科書を取り出し、ノートと筆記用具をその上に乗せ、腕に抱くように持つと呉羽を待っていた美苗の元に小走りで向かう。
「呉羽ー!美苗ー!科学室まで一緒に行こう~」
教室に残っていたクラスメイトが話かけてきた。
「うん、いいよー」
彼女は早瀬絵里香。呉羽と美苗のクラスメイトで、いつも明るく元気なクラスのムードメーカー的存在だ。
人見知りが激しく自分から話しかけることが苦手な呉羽は、絵里香のようになりたいと思ったことが幾度となくある。
3人で廊下を並んで歩く。
「それにしても・・・次わっちゃんの授業だよ~わっちゃんは好きだけど、科学は嫌い」
口を尖らせて呟く。
「絵里香、科学は苦手中の苦手なんだもんね」
美苗は苦笑いを浮かべて言う。
「そうなんだよねぇ。科学なんて普段使わないんだから勉強しなくていいじゃんって話!中学で習う内容すらわからないのに~」
それは流石にまずい気がするけど・・・
「絵里香、ちょっと科学の勉強しないとだめだね」
「えー?!やだー!!」
「いやとかそういう問題じゃないでしょ。学生は勉強が本分だからね、今度勉強会開こう。呉羽、暇な日ある?」
あ・・・強制なのね・・・
「基本的に暇だし、いつでもいいよ」
「ちょっとー!勝手に話進めないでよー!!」
「私も部活ない日なら大丈夫。じゃあ予定立ったらメールするね」
反対する絵里香を完全無視して話を進める美苗。
ある意味お母さんだな・・・かなり厳しい感じの。
「言っておくけどお母さんじゃないからね」
「なっ・・・何も言ってないじゃん」
美苗はこういうところ鋭い。
「呉羽わかりやすいもん、私じゃなくても分かると思うよ。絵里香は別だけど」
「ちょっと?!何気に絵里香をバカにしたよね!?」
「別に?」
うわぁ・・・美苗・・・
「美苗って時々ドS発言するよねぇ・・・」
「気のせい気のせい」
流すように言っていつの間にか着いていた科学室のドアを開ける。
「絶対Sだよ・・・」
「まぁまぁ・・・とりあえず中に入ろ?」
ぶつぶつ言う絵里香をなだめながら、美苗の後に続いて中に入る。
すでに他のクラスメイト達は集まっていて、それぞれ割り当てられた席に座りだらだらしていた。
「もうチャイム鳴るぞ。早く席に座れ」
眠そうに欠伸を一つして言う渡辺和明を見て、絵里香は瞬く間に恋する乙女と化した。
「はーい。ごめんね、わっちゃん」
「その呼び方やめろって言っただろ」
「えー?いいじゃん、フレンドリーな感じで!」
「どこがフレンドリー・・・ってあぁもういい。とりあえず早く席に座れ。チャイム鳴ったから授業始めんぞ」
反論しようとした矢先にチャイムが鳴り、渡辺はため息をつきながら教科書を開いた。
どうやら気が削がれたようだ。
それぞれ席につく。
渡辺が号令を促し、今日の日直が号令をかける。
「じゃあ今日は教科書78ページやるぞ。新しいところだからちゃんと聞いとけよ」
「ねぇねぇ」
隣に座る絵里香が小さな声で呼ぶ。
「ん?どうしたの?」
「今日のわっちゃん、なんかいつもと違うね」
不思議そうに渡辺を見つめる。
その眼差しは先ほどまでの恋する乙女のそれと少し違った色を映していた。
「そう?なにも変なところないと思うけど」
「全然違うよ!なんていうか・・・なにかを心配してるみたいな・・・ううん、怖いのかな?」
細やかな所に気づくとは、流石渡辺に想いを寄せているだけある。
「大丈夫かなぁ」
「大丈夫だよ。すぐ元気になるって」
「こら早瀬、柏野!いつまで話してるつもりだ。授業中だぞ」
いつの間にか眉を寄せた渡辺がすぐ目の前にいて、教科書を広げたままそれぞれの頭を叩いた。
ジワジワした痛みが走る。
「痛っ。暴力反対!」
絵里香が叩かれた所をさすりながら抗議すると、渡辺ははぁ、とため息を吐いた。
「何が暴力反対だ。大して強く叩いてないだろうが」
「まぁ絵里香、落ち着いて。・・・すいませんでした先生」
「柏野は早瀬と違って素直でいいな」
絵里香がその言葉に再び反応を示した。
「私だって素直ですー」
「どこがだ」
「そんな即答しなくてもいいじゃんか!」
「さーて、授業再開するぞー」
「流すなぁー!」
二人の会話を聞いていたクラスメイト達はこらえきれなくなったようで、小さな笑い声が聞こえてくる。
ジリリリリリリ!!
滅多に聞かない鐘の音がスピーカーから流れてくる。
「ったく・・・今度はなんだよ」
ピーンポーンパーンポーン。
『火事です火事です。全校生徒はただちに避難してください。繰り返します・・・』
「火事だって!こんなこと本当にあるんだねぇ~訓練はするけど実際使わないし」
呑気なことを言う絵里香を余所にクラスメイト達は先ほどまで和んでいたのが嘘のように不安と恐怖でざわめいた。
その後立て続けに校内放送が流れ、火元が3階の空き教室であることを伝えた。
「お前達、落ち着いて行動しろよ。廊下にすぐ並べ」
教室の前と後ろのドアから一斉に出ていく。
「呉羽、絵里香。私達も出よう」
呉羽達と少し離れた席にいた美苗が傍にきて、冷静に言う。
呉羽達もうなずき、廊下に出ると並んだ。
出席番号順とかではなく、ひとまず二列に並べと指示があり、一番後ろに並ぶことにした。
渡辺の先導により、吹奏楽部の部室の横の階段から避難することになった。
もう片方の階段は空き教室の真下、科学室の隣にある視聴覚室側を通らなければならない。
もし火が回って崩れでもしたら危険だと判断したのだろう。
「そういえば、火らしきもの全く見えないね。煙くらい出ていていいものだと思うけど」
「確かにねぇ。これ訓練でしたぁーってことなのかなぁ~」
「それはないんじゃない?さっき渡辺先生だって明らかに焦ってたし。訓練ならそんな仕草しないでしょ?」
となると・・・これは・・・
「誤作動・・・ってことかな」
「その可能性は高いかもね。一概には言えないけどさ」
―グラウンドに着くと、後からきたクラスが続々と集まってきており、すでに列に並んで待機している生徒たちからは小話が絶えない。
校舎を見てみるがどこもおかしなところはなく、煙はおろかいつもと変わらない風景だった。
「やっぱり誤作動かなぁ」
「かもね。この状況を見ると」
美苗の視線の先には集まって話し合う教員たちの姿。
「どうなんだろ」
「あらかた異常がなかったか、とか聞いてるんじゃないかな」
【えー皆さん静かに】
マイクを通して年配の教師のしゃがれた声が響く。
生徒達もまた口を閉じ、状況の説明を求めているようだった。
【現在皆さんには火災があったということで避難してもらいました。ですが、状況を確認したところ実際に火災はなかったことがわかりました】
途端にざわめきが広がった。
無理もない。誤作動であったとはいえ、肝が冷える思いをしたのだから。
「やっぱりか・・・でもなんで誤作動起こったんだろ?」
「さぁ・・・」
【静かに!静かに!皆さんにはそれぞれの授業に戻ってもらいます。一年生から順に戻ってください】
「結局なにもないってことだよねぇ~心配して損した」
「というか何もなくて良かったじゃん」
「まぁそうだけどさ~」
「よーし、お前達戻るぞー」
渡辺と共に、科学室へと戻る。
その道中、二階の階段をのぼりきった時、まっすぐ続く廊下の奥で何人かの教師に連れていかれる一人の男を見た。
その男に目を引かれながら、科学室のある廊下へと曲がっていった。
その後授業も無事に終わり、昼食。
呉羽と美苗は教室で弁当を広げた。
一緒に食べようと絵里香も誘ったのだが、用事があるらしく二人で食べることになった。
「そういえば・・・さっき階段で男の人見かけたんだけど・・・」
あまりに突飛な話だったので美苗は何度か目を瞬き、次の言葉を待つ。
「見たことない人だったんだけど、格好良かったんだよね」
「どんな感じ?」
「両耳にピアスしてて・・・制服着崩してて・・・茶髪で・・・」
「それって不良じゃん。ねぇ、もしかして・・・それ千里先輩じゃないかな」
「千里先輩?・・・って誰?」
呉羽興味を持ったらしく、机から身を乗り出した。
「うん、滅多に教室に顔出さないから、幽霊生徒みたいになってるけどね」
「へぇ~」
「・・・もしかして一目惚れしたとか?」
怪しい笑みを浮かべ、どこか楽しそうに目を細めて言った。
「へっ?!いやいや、違うよ!」
何故、動揺しているのだろう。
美苗の言葉を肯定しているようなものではないか。
「ほらほら、正直に言いなよ。・・・それにしてもあの呉羽がねぇ・・・」
しみじみ言いながら弁当に入っていた卵焼きを一つ口に入れる。
「だから違うってば!なんか目を引く人だなぁって思っただけ!」
「照れるなって。顔真っ赤だよ」
それは誤解を解こうとしたからだ。・・・と言ったところでまたからかわれるだけだろうし、逆効果だろう。
「・・・もういい」
「あぁーごめんって。機嫌直して?ほら、ハンバーグあげるから」
「私もう子供じゃないもん。そんなのにつられないんだから」
「とか言いつつハンバーグ食べてるじゃん。ま、今まで色恋沙汰一つなかった呉羽さんは九ノ瀬先輩一筋なんだもんね」
呉羽は美苗にもらったハンバーグを嬉しそうに食べる。
「何か・・・妹の世話してるみたいな感覚だな・・・」
そんな美苗の言葉は廊下のざわめきにかき消される。
ざわめきというよりは黄色い声という方が正解なのかもしれない。
「柏野さーん。先輩が呼んでるよー」
クラスメイトの内川がほんのり頬を染めながら呉羽を呼んだ。
「え?誰だろ・・・」
「ちょっ・・・えっ?」
美苗の驚きように呉羽も呼び出した本人を見た途端、驚きの表情に変わった。
「この学校一番人気の先輩からの呼び出しって・・・呉羽やるね」
九ノ瀬十夜。彼はこの狗沼高校の3年生で、誰に対しても優しく、笑みを絶やさない。おまけに容姿端麗・成績優秀。女子の誰もが思い描く王子様像そのもの。なんでも密かにファンクラブまでもが存在しているらしい。病弱なためしばらく学校に来てなかったが、昨日から久しぶりに登校していると学校中が沸き立ったほどの有名人だ。
「普通に・・・ありえない」
「どんな用事であれ、早く行ってあげなよ。待たせちゃ悪いじゃん」
黙々と食べ進める美苗を一度睨んで九ノ瀬のもとに向かった。
「えっと・・・何か用ですか?」
「突然ごめんね。話したことないのにいきなり呼び出しちゃって・・・」
申しわけなさそうに言う彼は周りが言っていた通りの人だ。優しそうな瞳に見つめられると真っ直ぐ見られなくなる自信がある。
「いえ、気にしないでください」
そう返した時には、緊張でどうにかなりそうだった。周りに呉羽達の話を聞こうと大勢の野次馬ができていたのもある。
「そう言ってもらえて助かるよ。少し時間貰って話したいことがあるんだ。いいかな?」
話とはなんだろう。心の中に少しの期待が混じる。
「はい」
「ありがとう。ここじゃなんだから場所移そうか。柏野さん、ついてきて」
九ノ瀬が歩き出し、それについていく。
「そうだな・・・3階の空き部室でいいかな」
3階はもともと人通りが少ない。3階は教室がある廊下と部室がある廊下、半分半分に分かれており、以前使われていた部室の一つが空いたまま放置されているのだ。
階段を上り、廊下を歩く。
うわぁ・・・ドキドキする・・・
九ノ瀬は空き部室の前に着くと、部室のドアを開ける。
だが先に入ろうとはせず、お先にどうぞとでも言いたげにドアの横に立つ。
小さな気配り一つとっても九ノ瀬は優しい。これは女子が虜になるのも頷ける。
軽く会釈して中に入ると、予想していたよう埃臭さはなく、むしろ綺麗に掃除されていた。
「ここ静かだし、休みたいときとかたまに借りてるんだ」
「そうなんですか」
確かに九ノ瀬先輩のことだから、誰かしら傍にいるんだろうな。
一人になることなんてないのかも。やっぱり休みたいときはあるよね。
「秋と葎とよくここに集まる・・・ってわからないよね。僕は何言ってるんだか」
苦笑いを浮かべ後頭部をさする。
秋、葎という人物を直接は知らないが、彼らもまたこの学校で九ノ瀬に続く人気を誇るということは知っている。
「じゃなくて・・・話戻るんだけど。柏野さん」
「え?は、はい」
突然真剣な表情に変わったことで、極度の緊張が呉羽を襲った。
「突然で申し訳ないんだけど・・・僕、前から君が好きだったんだ」
「・・・へっ?」
我ながら間抜けな声が出たと思う。
でも、今まで話したことすらない彼にこんなことを言われて信じられないという気持ちが強かった。
「入学式で体育館に入場してくる君に一目惚れしてね、話してみたいなって思ってたんだ」
恥ずかしそうに微笑む。
「話したこともない僕にこんなこと言われても迷惑だろうけど、言っておきたいと思ったんだ。言わなきゃって」
「あの・・・」
返事は決まっていた。言わなきゃと思っても、思うように声が出ない。
緊張と恥ずかしさが混じって頭の中がごちゃごちゃだった。
「いいよ、無理しないで。はいかいいえか、それが聞ければいいから」
「いえ!そうじゃなくて。あの・・・少しだけ待ってもらえますか」
「?あぁ、うん。待つよ」
何度か深呼吸し、意を決して真っ直ぐ九ノ瀬の瞳を見る。
「私も・・・ここに入学して九ノ瀬先輩のこと知って・・・一目見てみたくて教室に見に行ったりして・・・そこで先輩が笑っているのを見て一目惚れ、したんです。それでその・・・」
頑張れ、自分。あと一息だ。
「うん」
そういう九ノ瀬の眼差しは優しいもので、徐々(じょじょ)に緊張が薄れてくるのがわかる。
「ずっと好きでした」
「うん、ありがとう。僕も好きだったよ」
夢を見ているようだ。ずっと好きだった彼と両想い、だなんて。
九ノ瀬先輩の人気は凄まじいもので、手の届かない人だと思っていたし、諦めてもいた。
「ねぇ、一つ聞いていい?」
「なんですか?」
「柏野さんをどう呼んだらいいかな?付き合うんだし、苗字で呼ぶのは他人行儀すぎるかなって思ったんだけど」
「私は好きなように呼んでくれていいです。できれば・・・名前で」
「わかった。なら呉羽、だね」
嬉しそうに名前を呼ばれ、心が温かくなる。
「僕のことも名前で呼んでくれていいからね」
「はい、わかりました。・・・十夜先輩」
「うん、それでよし」
満足そうに微笑む九ノ瀬を見て、つられて微笑む。
「・・・ってそうだ、連絡先交換しない?」
「そうですね」
携帯を取り出し、連絡先を交換する。
「登録完了、っと。さっそく後でメールするね」
「はい」
あぁもう。幸せすぎる。死んでもいい。・・・ってダメだ、死んだらなんの意味もないじゃん。
「そういえばお弁当食べてる途中だったのに邪魔しちゃったね。そろそろ戻ろうか」
「そうですね」
九ノ瀬はその後教室まで送ってくれた。
道中、クラスメイトはおろか、廊下にたむろしていた人までもが痛いくらいに視線を向けてきた。その視線には嫉妬の色もうかがえた。
それじゃまた後でね、と言い残し去る九ノ瀬の背中を見送ったあと、教室に入ると目を輝かせてニヤニヤと笑みを零す絵里香が待っていた。
「あっ、呉羽おかえりー!美苗から聞いたよ、あの九ノ瀬先輩に呼び出されたって!」
「で?どうだったの」
席に座るや否や、机を取り囲むようにして身を乗り出して返答を待つ。
「いやその・・・二人共近すぎるんだけど」
「そんなことはいいから。どうだったの」
「美苗の言う通りだよ。ほら、早く白状しなさい!」
二人に攻めたてられてイスを後ろに引き距離をとる。
「わかりました・・・言うから」
呉羽が根負けして言うと、美苗と絵里香は満足そうにそれぞれイスに座る。
「それで、なんだったの」
「えっと・・・呼び出されて、空いてる部室に行って」
「うんうん」
「告白されました」
「うわぁー!!やるなぁ~呉羽。さすがモテ女!」
「モテてないから!」
絵里香は頬を挟むように両手を添えてキャーと叫びながら足をバタバタさせる。
「いや、モテるよ呉羽は。自覚がないだけ。まぁ、それで返事は?」
「・・・そりゃ断らなかったよ。先輩のことずっと気になってたんだもん」
「だろうね。廊下とかすれ違った時とか目で追ったりしてたもんね」
「え」
内心ドキッとした。
すれ違うとき、恥ずかしさのあまり気にしていないふりして目線だけ彼に向けていたことを美苗は気づいていたのか。
「呉羽はあんまり気にしてないように見せてたみたいだけど、バレバレだったよ。それ見て九ノ瀬先輩好きなの気づいたんだから」
「うぅ・・・ひどい」
前に突然「九ノ瀬先輩が好きでしょ」と言われたのはそういうことだったんだ。
やっぱり美苗には何でもお見通しなんだと改めて痛感した。
「まぁまぁ。それより、弁当食べないの?もう時間ないよ?」
「え?それもっと早く言ってよ!絵里香はもう食べたの?」
「うん。絵里香は呉羽居ない間に食べちゃった」
ですよねー。
「・・・って本当時間ないじゃん・・・!」
昼休みがあと五分しかないことに気づき、絵里香と美苗に微笑まれる中、何とも言えない気持ちで弁当を食べた。
「えーっと・・・次は被服だったっけ」
「そうだよー。今日からジーンズ作りだったよねぇ~」
「えー作れる自信ないんだけど」
「美苗は結構上手いからいいじゃん!絵里香なんて全然できないんだもん」
「前作ったトートバッグ、絵里香のやつ出来が破壊的だったもんね」
「ちょっとー!そこ慰めてくれてもいいじゃんか!」
「慰めようのないくらいだったんだもん、諦めて」
美苗がピシャリと言い放つと絵里香は見るからに落ち込んでしまった。
「絵里香は縫い方とか教わればちゃんとしたものが作れるよ。だって器用だもん」
「呉羽・・・美苗と違って優しい~」
うるうるとした目で見つめる絵里香。
チワワみたい。一時期話題に上がっていた某CMのあれみたいな。
普段使用する教室がある一般棟から、調理、被服などの特別授業をする実習棟に行くため会話をしながら渡り廊下を通っていた。
「うぅー寒い・・・ここもう少しどうにかならないのかなぁ~」
「まだ雪降ってないだけマシだよ。いや本当、どうにかしてくれないかな・・・」
この渡り廊下は名は廊下ということになっているが、実際のところ外に出なければならない。
廊下はグラウンドを二分割に割るように通っているため、道こそあれど雨風をしのげる壁がないのだ。
冬は特に特別授業があるとなると嘆きの声があがる。
「冬明けに改装するんだって。先生とか生徒からかなり要望来てたらしいよ。それまでの辛抱だね」
「ぬあー!!長いって!それまで持たないよ!死ぬー!!」
「死なないから大丈夫。我慢我慢」
「そこ普通に返す?!」
狗沼高校の設備は他の高校より整っており、他の学校の生徒達からは羨ましがられるが、細やかな所までいきとどいているわけではなく、デメリットの方が多いというのが事実だ。いいのか悪いのか、なんとも言い難い。
キーンコーンカーンコーン。
「うわ、チャイム鳴った!」
「急がないとね・・・ってドア開かない」
美苗は何度かドアを押し引きしてみるが、びくともしない。
ただジャリジャリと硬い氷の音がするだけであった。
「えいっ!」
絵里香は軽くドアを蹴飛ばすが、ガン、と大きな衝撃音が鳴るのみ。
「ちょっと絵里香・・・」
「だって寒いんだもん!!衝撃与えたら開くよきっと!」
もう一度ドアノブをひねってみる。
「やっぱ開かないなぁ~」
懸命にドアを開けようとするがびくともせず時間が過ぎていく。
「寒い・・・」
「流石にね・・・」
後ろで奮闘する絵里香を見ながら、呉羽と美苗は腕をさすりながら言う。
蹴る、ドアを押し引きするの繰り返しをし、ようやく開いた頃にはずっとドアと格闘していた絵里香は疲れ果ててしまっていた。
「やった!開いた!!」
「お疲れ。うーん、5分遅刻」
美苗が携帯の待ち受けに表示される時間を見つめ呟いた。
「仕方ないよ!このドアが悪い・・・っておっ?」
急に絵里香はグラウンドを凝視する。
「ん?何かあった?・・・あ」
続いて美苗も凝視する。
「ほらほら呉羽!最愛の彼がサッカーしてるよ~?」
「・・・なに」
ニヤニヤしながらこちらを見る絵里香に居心地の悪さを覚えながら、グラウンドに目線を向ける。
防寒具を着込んで雪上で同級生達と楽しそうにサッカーボールを取り合う九ノ瀬の姿があった。
キラキラと輝いて見える。まるで彼の心情を表しているかのようだった。
不意に九ノ瀬と目が合うと笑顔でこちらに大きく手を振ってくる。
「・・・っ」
ただ手を振られただけなのに目を逸らしてしまった。
「呉羽照れるなって」
「そーそー。むしろ振り返してあげなよ!」
「だって他の人もこっち見てるもん・・・」
恥ずかしくてそんなことできないよ・・・
「愛情表現は大事だよ!そういうのしてあげないとショック受けることもあるみたいだし」
「男って面倒な生き物だよね」
「美苗、もしかしてそういう経験あり?!」
「ない」
表情一つ変えず即答する美苗に絵里香は驚く。
「うっそー?!美苗めっちゃモテるのに!勿体ないじゃん~」
二人はいつの間にやら呉羽を放って話始めた。
一応先ほどまで授業に遅れて急いでいたはず。もはや休み時間のような状態だ。
さすがにこれは促した方がいいかもしれない。
「二人とも授業に・・・」
行かないのか、と言おうとした時だった。
「呉羽!危ない!!」
「え?」
危機迫る声を聞き振り返ると同時に体を持っていかれた。
風景がぶれ、柔らかい何かに包まれる。
一体何が起こったのかわからない。どうして十夜先輩が目の前にいるのだろう。
「呉羽大丈夫?!ケガはない?!」
「え・・・あ・・・はい」
戸惑いながらも答えると、美苗と絵里香も驚いた様子で駆け寄ってきた。
「呉羽大丈夫?!」
「うん・・・大丈夫」
「野球ボール飛んでくるとか危ないでしょ」
美苗は二つに分かれたグラウンドのうち、左側で野球をやっていた生徒達を睨みながら言う。
野球ボールが飛んできた・・・
もし十夜先輩が助けてくれなかったら、直撃してたんだ・・・
慌てた様子で一人の男が駆け寄ってきた。
「すまん!大丈夫だったか?!」
「あ・・・はい大丈夫です」
「工藤。もう少し気を付けろよ」
九ノ瀬が少し怒ったように言う。
「あぁ、そうする。それにしてもおっかしいな・・・最初こっちに飛んで来てなかったんだけどな・・・。とにかく本当悪かった!」
潔く頭を下げて、ボールを回収すると戻って行った。
九ノ瀬はそのままその姿を見送ってから呉羽に視線を戻す。
「良かった・・・間に合って・・・本当に・・・」
安堵の息をこぼす九ノ瀬が間近にいて、ハッとした。
そういえばさっきから先輩に抱きしめられたまま・・・
そのことを思い出し一気に顔が熱くなる。
「ごっ・・・ごめんなさい!すぐ離れます!」
「え?あぁ、いいよ全然。むしろゆっくりしてくれても」
「いや・・・その・・・」
「照れてるんだ?」
「・・・っ」
「おお・・・これが生イチャイチャ・・・」
「絵里香、なんかキモい」
一刀両断する美苗を睨み、「キモい言うなぁ!」と反論する。
「あの二人いつもあんな感じなの?」
「まぁ・・・見ての通りボケとツッコミみたいな感じです」
「面白いね、見てるの」
「そうですね・・・じゃなくて!」
勢いよく九ノ瀬から離れる。
「さっきは助けてくれてありがとうございました」
どこか残念そうにしながらも笑みを浮かべた。
「いいんだよ、気にしないで。ちょうどこっちにボール飛んで来て良かったよ。じゃなかったら助けられなかったと思う」
「ボール?」
「そう。うちのクラスメイトが変な所にとばしちゃってね」
ほら、と近くに転がるボールを指差す。
近くに雪にまみれたサッカーボールが転がっていた。
もしこっちにボールが転がって来ていなかったら私は・・・
「おーい、十夜―!田山が呼んでる。早く戻れってさ」
「ん?あぁ、悪い。今戻るよ」
「お前が目の前でイチャイチャするから田山羨ましそうにしてたぜ?」
えっ、あの人は・・・
彼は如月葎。九ノ瀬と同じ3年生で、バスケ部エース。何度か絵里香に連れられて試合を見に行ったけど、文句なしに格好いい。彼のバスケに対しての真剣な眼差しは多くの女子の心を掴んで止まない。少し軽いのが難点だが。
葎はこちらを見た途端、何かを察したようで嬉しそうに笑みを浮かべた。
「お、噂の彼女さん?」
「そう。今日付き合ったばかりだけどね」
「へぇ~なかなか可愛いじゃん。俺狙っちゃおうかな」
不意に顔を近づけて言った。
「ねぇ、十夜じゃなくて俺にしない?」
う・・・わ、近い・・・
「あの・・・えっと・・・」
ただでさえ顔の整っている葎に言い寄られるとその気がなくとも言葉に詰まってしまう。
「ダメに決まってるだろ」
遮るように十夜が呉羽の前に立つ。
「冗談だって。本気にすんなよ」
すっと離れると満足そうに笑う。
「おい、お前ら。早く戻れ。それに葎、十夜呼びに行ってなに話し込んでるんだよ」
さらに別の男が呆れ顔でこちらに歩いてくる。
「悪りー。だって十夜の彼女居たんだもん。気になんじゃん」
「なら後でゆっくり話せよ。俺までとばっちり受けるのはごめんだ」
「はいはい」
「ごめんね、また後でゆっくり話そう」
そう言い残して九ノ瀬は男たちと共に授業に戻っていった。
なんとも嵐が去った後のような感じだ。
今まで呆然と3人の会話を聞いていた呉羽と美苗は現実に引き戻される。
「・・・なんだろう、この気持ち」
「うーん、なんとも言えない。そういえば絵里香、ずっと静かだった・・・え?」
呉羽は絵里香を見てぎょっとした。
顔を真っ赤にして、涙を流しながらあの3人の後ろ姿を眺めているのだ。
「かっこいい・・・こんな近くで3人揃ってるところ見れるなんて・・・もう死んでもいいやぁ・・・」
「いやいやいや、ダメだから。というか何泣いてるのさ」
美苗は懐からハンカチを取り出して絵里香に手渡す。
「だってぇ~こんな近くで見れるとかプレミアものだもん~」
更に泣き出してしまった絵里香を放っておけるはずもなく、そのうえ時間を見ると完全に遅刻だったのでたまにはいいか、とサボることにして教室に場所を移した。
当然のことながら、クラスメイトは誰一人居ない。隣の教室からは教師が勉強を教える声だけが聞こえてくる。何だか新鮮な気分だ。罪悪感もないわけではないが。
「・・・で、絵里香落ち着いた?」
教室に来てから10分ほど経ったころ、よくやく落ち着いたようで目を真っ赤にしながらいつものように笑った。
「うん、もう大丈夫!ごめんねぇ!」
「突然どうしたの?何かあった?」
さっきの泣きかたは尋常じゃなかったし、ただの嬉し泣きにしては違和感があった。
「ううん、何でもない!ちょっと昔のこと思い出しちゃっただけだから気にしないで~」
絵里香・・・無理して笑ってる?
これ以上踏み込んでくるなと拒絶されている気がしてならない。
それは美苗も同じのようだ。
「そっか・・・もし辛くなったらいつでも頼ってくれていいからね。話聞くから」
「そうだよ。遠慮とかしちゃダメだからね?」
「ありがと、美苗、呉羽。やっぱ・・・大好き!」
絵里香は嬉しそうに二人に抱きついた。
「わっ・・・ちょっと絵里香」
「苦しいって」
「えへへ・・・」
離れる様子もないので、二人は諦めて絵里香の気が済むまでそのままでいることにした。
しばらくして授業終わりを告げるチャイムが鳴り絵里香も気がすんだようで離れる。
「ありがとー元気充電できたぁ!」
「そっか、良かった」
不意にドアが開き、続々とクラスメイト達が戻ってきた。
「おい、なにサボってんだよー」
よく絵里香と話をしている川内が教室に入ってくるなり冗談交じりに言う。
「乙女の秘密だし!」なんて言って絵里香が笑い飛ばす。
さっきまで泣いていたのが嘘のよう。
「ねぇ、美苗」
「ん?」
「絵里香、大丈夫かなぁ」
楽しそうに川内と談笑する絵里香を見ながら言った。
泣いていたときの絵里香はどこかいつもと違う雰囲気をまとっていたからだ。
「・・・そんなわけないと思うよ。あの子いつもああやって元気だけどさ、私には無理してるように見えるんだよね。今だって無理して笑ってる」
「うん・・・」
「ねぇー呉羽、美苗―!二人はスキー派だよねー?」
「えっ?何が?」
突然話を振られて声が裏返ってしまう。
「だーかーらー!やるならスノボじゃなくてスキーだよねーって!」
「断然スノボだろ。カッコいいじゃんスノボ」
どうやら滑るならスキーとスノボ、どちらかという話をしていたらしい。
「私はスキーかな。スノボしてみたいけど滑れないもん」
「だよねぇ~!美苗はー?」
「私はスノボかな。逆にスキー滑れない」
「さすが!咲良よくわかってる」
川内が満足そうに頷いた。
「ありえないー!足一緒に動かさないといけないとか絶対むりー!」
「それはお前の運動神経の問題だっつの」
「はぁ~?!」
「練習すれば絵里香もスノボできるようになるから大丈夫だよ。なんなら今度教えてあげようか?」
「本当にー?じゃあさ、このメンツで滑りに行こうよ!ね、いいでしょ?」
目をキラキラ輝かせて言った。
う・・・そんな目されたら断れない・・・
「俺は別にいいよ。楽しそうだし」
「よっし!呉羽と美苗はー?」
「うん、勿論!」
「私もいいよ」
「決まり!いつにしよっか?」
それぞれ暇な日を言い合い、結果4日後の土曜日に行くことになった。
スキーなんて久しぶりだなぁ。
学校行事である高校もあるけど、狗沼高校はない。
元より行事が少ないのだ。他校が羨ましくなるときもある。
その前にスキー用具あったかな?最悪無かったらレンタルすればいっか。
キーンコーンカーンコーン。
「はーい、授業やりますよー」
チャイムと同時に開いたドアから英語の教科担任が入ってくる。
「あっ・・・先生来た!ひとまずあとで!」
「おう」「うん」
それぞれ自分の席に座り授業の用意をした。
呉羽も英語の教科書を机の上に出して、授業の準備をする。
うぅ~英語面倒だなぁ・・・
英語は教科の中で最も苦手なため、どうもやる気が出ない。
「では26ページの続きから。This was a journey of・・・」
何言ってるのか全く分からないんだけどー!
なんとなく前回の和訳を聞いて大体予想はついてるけど!でもわからないものはわからないって!
「じゃあこの訳を・・・咲良さん」
「はい。これはロサンゼルスからワシントンまでの5000キロメートル以上の旅だった、です」
名前を呼ばれた美苗はその場に立ち上がると、すらすら和訳を言う。
「はい、完璧ね!」
うわぁ~さすが美苗。
本当美苗は完璧だよなぁ・・・私もそうなれたらいいのに。
なんだか沈んだ気分のまま授業を終え、バッグに教科書を詰める。
「呉羽、ごめん。今日用事あるから先に帰るね」
いつの間にか目の前には美苗がいた。
すでにバッグに教科書を詰め終え、どこか急いでいるようにも見える。
「え?あ、うん。わかった。また明日ね」
「本当ごめんね。じゃ」
走って教室を飛び出していった。
前から用事があるとかで早く帰ることは何度もあったけど、最近は特に多い気がする。
無理してないといいけど・・・
「呉羽~さっきのスキーのことだけど」
「あ、うん」
「日にちは決まったし、あとはどこに待ち合わせするかだよな」
川内もまたバッグに教材を詰め終え、呉羽の席の前に立つ。
「スキー場、ここから近いじゃん?だから、学校に待ち合わせってどう~?」
「ん、いいんじゃね。時間は・・・早めの方がいいから、午前10時からとか?」
「おっけー!」
「わかった、美苗には私から伝えておくね。なんだか今日用事あるみたいで早く帰っちゃったから」
「うん、お願い~」
「さーて、今日は部活もねぇし帰るかな。じゃーな」
「うん、じゃーねぇ!」「ばいばーい」
「呉羽~絵里香も部活行ってくるー!」
「うん、いってらっしゃい。頑張ってね」
バドミントンのラケットとラメの入った大きなリボンがついたリュックを肩にかけると教室を出て行った。
今日は一人かぁ・・・
ふと九ノ瀬の顔が浮かぶ。
そういえばあの時「あとでメールするね」って言ってた。
メール、来てるかな。
ポケットからスマートフォンを取り出す。
「十夜先輩から来てる・・・!」
画面を横にスライドして暗証番号を入力し、メールを開いた。
3分前に来ていたようだ。
サイレントにしていたから気づかなかった・・・
差出人:十夜先輩
件名:授業お疲れさま
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これが初めてのメールになるね。なんか緊張するな(笑)
もし良かったら一緒に帰らない?
用事とかないなら、帰りにカフェに寄りたいなって思って。
最近近くにできたみたいでね、ずっと気になってたんだ。
どうかな?
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「カフェ・・・」
間違いなくこれはデートだ。
用事はないし、先輩と一緒に帰りたいという気持ちもあった。
断る理由はどこにもない。
宛先:十夜先輩
件名:先輩も授業お疲れ様です!
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私もすごく緊張してます(笑)でもなんか新鮮な感じがするというか。
いいですよ!用事もないし、カフェ行ってみたいです。
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これで大丈夫かな・・・変な所ない?!
頭の中で大丈夫という言葉とこれはダメでしょという言葉が同時に響く。
軽くパニック状態だ。
いいや、送っちゃえ!
“送信”をタッチして、携帯を机に置いた。
メールってこんなに緊張するものなの・・・?
「柏野さん、さっきから独り言すごいけど・・・大丈夫?」
まだ教室に残っていたクラスメイトが心配そうに声をかけてきた。
・・・そうだ・・・まだ学校だった・・・
「あ・・・うん大丈夫!ごめんね!」
「それならいいんだけど・・・そういえば、九ノ瀬先輩と付き合ったって聞いたんだけど、本当?」
その質問に呉羽は口をつぐむ。
これで話して広まった時こちらにそんな意図はなかったとしても、自慢してると言われてしまう。そんな場面を何度も見てきたからこそ、言うことはできない。怖いんだ・・・
「ごめん、今急いでるから・・・また明日ね!」
「あ・・・ちょっと!」
バッグと携帯を手に、逃げるように教室をあとにする。
私ってもう少し堂々とできないのかな・・・付き合ってることは事実だし、遅かれ早かれ知られることなのに。
ドアを閉めてずり落ちるようにその場に座ると、小さく息を吐いた。
改めて携帯のディスプレイを見るとメールが一件来ていたのでタッチして開く。
差出人:十夜先輩
件名:よかった
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うん(^^)
じゃあひとまず待ち合わせしようか。
図書室とかはどう?
呉羽の教室からも近いし。しかも僕今図書室に居るんだ。
ちょっと調べたいことあったからさ。
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図書室かぁ。
今居る廊下を曲がればすぐの場所にある。
「わかりました。じゃあ今行きます・・・っと」
素早く返信し、立ち上がると高揚を感じながら図書室に向かった。