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陽菜子と山神様3



荒い息を繰り返しながら、陽菜子は顎から滴り落ちる汗を拭った。

木々の葉が作り出す木陰がある分、住宅地よりもいくらか涼しいとは言え、一時間も登り続ければ汗だくだ。

膝の辺りまで伸びる草を踏み固めながら先へ進んでいた祥が、足を止めて陽菜子を振り返った。



「藤森」

「……ぁ……な、に?」



口の中がカラカラに乾き、上手く声が出ないものの、陽菜子は何とか言葉を返す。

祥は息も絶え絶えな陽菜子を暫し見詰めてから、辺りを見渡した。

少し先に腰掛けるのにちょうど良い岩を見つけると、それを指差した。

ようやく祥に追いついた陽菜子は、両膝に手をついてゼイゼイと息を吐きながらやっとの思いで顔を上げる。



「……少し休むか?」

「……おねがい、します……」



どうにか答えを返し、陽菜子は再び歩き出すため、力を振り絞って上体を起こした。





*******





岩場に腰を下ろした陽菜子は、ペットボトルの水を喉を鳴らして飲み干す。

口の端から伝い落ちた水を片手で拭い、思い切り息を吐き出した。

生き返る思いとは、まさにこの事だろう。

ひと息付いた陽菜子は、ペットボトルを仕舞おうとリュックサックを背から下ろした。


その時、肩掛けバックもずり落ちてしまい、陽菜子は慌てて拾い上げる。

ぶさかわ猫の顔を模したそれは、店長特製の鞄であった。

糸のように細長い目をした猫の顔をじっと見つめながら、陽菜子は今朝の店長とのやり取りを思い出した。



「はい。これ、僕からの贈り物。役に立ちそうなものを入れておいたから、必要な時に使ってね」



店長が満面の笑みを浮かべながら差し出してきたモノに、陽菜子は思わず顔を引きつらせた。

丸っこい顔に、つぶれた鼻、こちらを見つめる目は糸のように細い。

にんまりと笑った口の部分がジッパーになっているそれは、いつか見た猫の顔をした鞄だった。

この口がガバリと開き、飲み込まれたのは記憶に新しい。


陽菜子はちらりと隣に立つ祥の様子を窺うが、彼は猫鞄に興味はないのか、己の腕時計に視線を落としている。

ここは、どうやら自分が受け取る他ないらしい。

がっくりと肩を落としてから、陽菜子は鞄を受け取るために恐る恐る両手を差し出した。


ぴょんと飛び跳ねるように、店長から陽菜子の手へと移った猫鞄は、ぶみゃあと鳴き声をあげる。

見なかったふり、聞かなかったふりを貫きながら、陽菜子は強張った笑顔でなんとか鞄を肩にかけた。



「そろそろ出たいんだけど、良いか? 急がないと、祠につく頃には昼を過ぎてしまう」



それを横目で確認した祥は、陽菜子に声をかけつつ踵を返す。

そんな祥の言葉に、陽菜子は不思議そうに首を傾げた。



「え? でも、丸峰神社まではバスでそんなにかからないし、山頂の祠まではロープウェイを乗り継いで20分くらいで行けるんだよね?」



今はまだ8時前なのだから、時間的にはそれ程切羽詰まっているとは思えない。



「あー、実はねぇ。山頂の祠は、山神様をお祀りしているものじゃあないんだ」

「……どういうことですか?」



旅行のパンフレットでは、山頂の祠は山の神様を祀ったものだと、確かに書かれていたはずだ。

それなりに有名な旅行雑誌だから、間違ったことを書いているとも思えない。

ますます訳が分からないという表情を浮かべる陽菜子に、店長は笑いながら簡単に説明する。



「山神様って言うのはね、大体は女神様である場合が殆どなんだ。多分に洩れず、あの山の神様もね、元々は女神様でいらっしゃったんだよ」

「はぁ……」



店長の話に相槌を打ちながら、陽菜子は昨日の山神様の姿を思い出す。

どこからどう見ても、ちびっちゃいお爺さんであって、とても女性には見えなかった。

眉間に皺を寄せて考え込む陽菜子に、店長は楽しそうな笑い声を漏らす。



「ところがね、その山神様なんだけど、ちょっと出掛けてくるって言って、行き先も告げずにふらりとどこかへ行ってしまったんだ」



神というのは不死に近く、悠久の時の中を生きている。

そのため、時間感覚は地上の生き物たちとは異なっているのだ。

だから、うたた寝をしている間に季節が移ろっている、なんてことも珍しくない。

つまり、『ちょっと出掛ける』と言ったまま数十年程経ってしまっても、神々を責めることはできないのだ。


だが、それでは困ってしまうのが、この地に生きるもの達だ。

山神の不在が続けば続くほど、山の恵みがゆっくりと、しかし、確実に減っていく。

そこで、困り果てた獣や人間達は、山を含んだこの地区一帯を治める地主神に頭を下げたのだ。

どうか、あの山の山神を兼任してもらえないだろうかと。



「答えは……、見ての通りだね。本当の山神様が帰ってくるまでっていう条件付きで、地主神様が山を守ってくれるようになったんだ。それから100年とちょっと経ったんだけど、今や眷属達もいて、立派な山神様だよねぇ」



小さく笑い声を上げながら、店長は小首を傾げた。

そんな風に、律儀な山神様であったから、当然山頂の社を使うことには難色を示した。

代理である自分が、本来の山神の社を使うわけにはいかないというのだ。


そこで、山の中腹に今は祀られている神も仏もない祠に仮住まいすることとなったのだ。

ほぼ廃れたような祠だから、参拝にくるような人間は殆どいないし、祠に続く道も獣道のようなものが辛うじて続いている程度である。

そんな場所にお祀りするわけにはいかないと困惑する周りを一蹴し、山神はその方が静かで良いと豪快に笑った。



「だから、山頂の祠に行っても意味がないんだよね。途中まではロープウェイでも行けるけど、あとは本格的な山登りをしないと辿り着けないんだ」



からからと笑いながら、店長はポンと陽菜子の肩を力づけるように叩く。



「ってなわけだから、ひなちゃん。山登り、死ぬ気で頑張ってね。祠までの道は、祥くんが知ってるから、後に着いて行けば良いよ」

「へ!? ちょっと、店長、私そんな話聞いてないんですけど!!」

「うん、今初めて話したからね!」



ロープウェイで簡単に辿り着けるとばかり思っていた陽菜子は、当然そんな心づもりではなかった。

焦る陽菜子をよそに、祥は時計を確認しながら出発を促す。

山登りに不慣れな陽菜子を連れて行くのだから、それなりに時間の余裕を持って出なければならないのだろう。


祥は固まる少女に哀れんだような視線を向けるが、一つ溜め息をついてその腕を取る。

普段なら一人で行っても良いのだが、山神に二人で赴くと約束してしまった以上、それを反故にするわけにはいかない。

例え口約束であろうとも、それは神と交わした約束になるからだ。



「ひなちゃーん、目指せ山ガール!」



ずるずると引きずられていく陽菜子に向けて、店長は胡散臭い程爽やかな笑顔で手を振ったのだった。





*******





思い出したやり取りにどっと疲れを感じた陽菜子は、盛大な溜め息と共にがっくりと肩を落とした。

店長ときたら、ちょっとばかり色々な説明を省きすぎなのだ。

山登りのことも、前日の内に言っておいてくれれば心の準備もできたはずだ。


おまけに、今陽菜子の膝の上に鎮座するぶさ猫鞄や、中に入れてあると言う品だって謎のままだった。

何度か鞄を開けて中を見てみたのだが、中身は空っぽで特に目ぼしい物は見当たらない。

祥に聞いてもみたが、「必要になれば、勝手に出てくるんじゃないか?」と、遠い目をして言っていた。

陽菜子よりも付き合いの長い祥ですら、店長の事はよく分からないのだろう。

つまり、陽菜子が頭を抱えるだけ無駄だということだ。



「藤森」



空笑いをしていた陽菜子だったが、祥に名を呼ばれ、そちらに視線を向ける。



「もう動けそうか?」

「……うん、なんとかね」

「そうか。じゃあ、行こう」



木に背を預けて立っていた祥は、身体を起こして歩き出す。

陽菜子は気合いを入れるように両手で頬を叩き、膝に手を置いて立ち上がった。

ぷるぷると膝が震えているのを感じ、明日からの地獄の筋肉痛を覚悟する。



「もう八割がたは登った。祠までもう少しだ」



元気付けるように、先を行く祥が声をかけてくる。



「うぅ、本当にぃ?」



再び息が上がり始めた陽菜子は、縋るようにその背中を見やった。

彼は数秒の間、僅かに悩むように無言を挟んだ後、「たぶんな」と小さく呟いたのだった。



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