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陽菜子とおとのの硯3 【完】


あれから不思議な夢を見ることもなく、数日が過ぎた。

あの夢が只の夢だったのか、本当にあったことなのかも分からない。

店長や祥に尋ねるわけにもいかず、うやむやなまま放置している。

だが、気になるのも確かで、陽菜子は時折硯の様子を窺うようになった。


普段は周りの妖や仲間の付喪神の話を聞いたり、昔話をしたりと楽しげに過ごしているが、ふと寂しげな様子を見せることがある。

それは、決まっておとのの話をした後で、恐らく硯は遠い日に想いを馳せているのだろう。

そのたびに、陽菜子もあの日の夢で聞いた声を思い出し、胸が締め付けられた。


かすみ堂に小さなお客様がやって来たのは、そんなある日の事だった。

その日、祥は学校の行事があると言うので、陽菜子が一人で店番をしていた。

小妖怪達にからかわれ、邪魔をされつつ何とか陳列を終え、一息付いた時ガラガラと戸が開く音が響いた。

しかし、その後は物音一つ聞こえない。



「……もしかして、お客様かな?」



緊張を解すため、独り言を呟きながら、陽菜子は小さく深呼吸をする。

人間のお客様ならば良いが、それ以外の来客であった場合、まだ上手く対応出来る自信がない。


以前、黒い影のようなお客様が来たときには、本当に困った。

お互いに意志の疎通が上手くいかず、途方に暮れていた時、倉庫に物を取りに行っていた祥が戻ってきて対応を変わってくれた。

黒い影のする身振り手振りで求める物を探し出した祥には、本気で尊敬の眼差しを送った。

彼は、ここで働いていればその内嫌でも分かるようになると言っていたが、陽菜子には数年かかっても理解できそうにない。


あの時の事を思い出し、溜め息を付いた陽菜子だったが、気を取り直して顔を上げる。

弱気になったところで祥はいないし、店長は店の奥に引っ込んだままだ。

陽菜子がお客様の対応をする他ない。

せめて、言葉の通じる相手であって欲しいと願いつつ、陽菜子は戸口へと顔を覗かせた。



「あれ?」



戸口に佇んでいたのは、ランドセルを背負った少年だった。

まだ新しいランドセルは艶々と光っていて、彼の背中よりもひとまわり大きく見える。

少年は物珍しいのか、両手を握り締めたまま店内を見回していた。

人外のお客様だったらどうしようかと気を張っていた陽菜子は、胸に手を当て安堵の溜め息をついた。


しかし、小学生がこんな店に何の用だろうと首を捻る。

雑多の物を売っているかすみ堂には、確かに文房具の類も置いていた。

だが、小学生である彼なら、商店街の表通りにある文具店の方がずっと身近だろう。

現に、陽菜子も中学までは表の文具店にお世話になっていた身だ。

不思議に思いながらも、陽菜子は佇む少年に声をかけた。



「えーっと、いらっしゃい。何か探し物?」



陽菜子の声に驚いたように振り返った少年は、少しもじもじとした後に顔を上げる。



「あの! じいちゃんが、ここには良いもんが売ってるって話してるのを聞いて……」



確かに彼のお爺さんくらいの年で、骨董に興味のある人から見れば、この店は宝の山だろう。

陽菜子は思わず苦笑し、だが念のために少年に問いかけた。

もしかしたら、彼の求めるものがこの棚に並んでいる可能性もある。



「それで、何が欲しいのかな?」

「えっと、僕、今度じいちゃんに習字を習うんだ! だから、まずは硯を買っておいでって言われたんだ」

「あー、硯……ねぇ」



少年の言葉に、陽菜子は知らず知らずのうちに口元を引き攣らせた。

何というか、最近は習字がブームなのだろうか。

この数日で、二人も硯を購入したいと言う者が来るとは思わなかった。


陽菜子は思い悩むように溜め息を付いた。

硯は、あるには、ある。

だが、それがはたして売り物になるかと言えば別問題だ。

そもそも、硯本人が売られることを拒否して姿を隠してしまう。


他のものなら対処の使用もあるが、嫌がる硯を無理やり売るわけにもいかない。

せっかく来てくれた少年には申し訳ないが、表の文具屋で買ってもらうことにしよう。

ここには目的の物が無いことを伝えるため、陽菜子は少年の目線に合わせて身を屈ませた。

その時、不思議そうに店内を見ていた少年が、パッと顔を輝かせた。



「あ、硯だ! お姉ちゃん、あれ、硯でしょ?」

「え?」



彼の指差す先に視線をやって、陽菜子は思わず目を丸めた。

何故なら、件の硯が身を潜ませることなく、棚に陳列されていたからだ。



「ねぇ、あれって、硯だよね。じいちゃんの持ってる物と似てるもん」

「それは、そうなんだけど……」



意気込む少年とは逆に、陽菜子は困って歯切れの悪い返事を返す。

あんなに売られるのを嫌がっていたのに、一体どうしたというのだろうか。

もしかしたら、転寝をしていて、隠れ損なってしまったのかもしれない。

どうするべきかと慌てていた陽菜子の肩に、突然ぽんと大きな手がのせられた。

驚いて振り返ると、いつの間にやってきたのか、店長がにこやかにこちらを見下ろしていた。



「ひなちゃん、どうしたの? あれ、お客さん?」

「あ、店長、そうなんですけど、あの……」

「僕、硯を買いに来たんです! だから、あの硯を売ってください!」



少年は元気な声で用件を伝えると、ずっと握り締めていた手を開いた。

その両手には500円玉が、一枚ずつ握られていた。

まじまじとそれを見下ろしてから、陽菜子は店長を振り仰いだ。


小学生の使う文具屋の硯ならば、この値段で購入することも可能だろう。

しかし、この店にある年代物の硯が、1000円で買えるとは到底思えない。

何となく少年にも分かっているのか、眉を下げて自信なさげに問いかけてきた。



「あの、これじゃ足りないですか?」



差し出した両手を下ろし、俯いていた少年はやがて勢いよく顔を上げた。

その顔はどこか必死で、子供なりの決意に満ちた表情だ。



「足りない分は、僕のおこずかいを持ってきます。少ししかないけど、毎日持って来きます! だから、あの硯を売ってください!」



目を丸くする陽菜子の前で、少年は思い切り頭を下げた。

しんと静まった店内の空気を壊したのは、店長の暢気な声だった。



「うん、良いよ」

「本当に!」

「ほんと、ほんと。じゃあ、1000円丁度になります」



そう言って、店長は少年から500円玉を2枚受け取る。

そのまま棚に近付いて硯を手に取ると、少年に振り返った。



「今包んでくるから、ちょっと待っててね」



硯を手に店の奥へ消えていった店長を、唖然と見送っていた陽菜子だったが、ふと我に返ると少年を見下ろす。

彼自身もまだ困惑気味なのか、落ち着かない様子で空いた両手を閉じたり開いたりしている。

その様子を暫らく見つめていた陽菜子は、先ほどから気になっていた事を少年に問いかけた。



「ねぇ、どうしてあの硯が欲しかったの?」

「え?」

「だって、あんな古いものより、新品の硯の方が良くない?」



陽菜子の問いに、少年は考え込むように首を傾げた。

だが、すぐに小さく頷くと、目を細めて嬉しそうに笑う。



「何でか分かんないけど、あれは僕のだって思ったんだ。これじゃなきゃ、駄目だって。だから、どうしても欲しかったんだ」



そう言って微笑む少年の顔に、夢で見た男性の姿が重なり、陽菜子は息を飲む。

彼女が言葉を失っている間に、店長は硯の包装を終えたようだった。

薄い青の包装紙に包まれた硯は、白いビニール袋に入れられている。

店長は身を屈ませると、少年にビニール袋を差し出した。



「はい、お待ちどうさま」

「ありがとう!」



少年は元気に礼を言い、硯を小さな胸に抱きしめた。

店から駆け出そうとする少年に、陽菜子は思わず声をかける。



「ねぇ!」



彼は立ち止まり、不思議そうに首を傾げた。



「大切に使ってね!」

「うん、ずっと、大事にするね!」



陽菜子達に向かって手を振ると、少年は今度こそ店を飛び出して駆けて行く。

小さくなっていく後姿を暫らく見送ってから、陽菜子は隣に立つ店長におずおずと視線を向けた。



「あの、良かったんですか?」

「それはあの硯を売ったこと? それとも、値段のことかな?」

「……どっちも、ですけど」



もごもごと口ごもりながら、陽菜子は視線を落とす。

もし、陽菜子が見た夢が本当なら、あれは相当な年代物で、ましてや身分の高そうな人が使っていたものだ。

とても、1000円で売買されるような代物ではない。

それに、何だかんだで店の商品を大切にしている店長が、ぽんと硯を売ったことも意外ではあった。



「うーん、あの硯って、僕がこの店を継ぐ前からあったから、元の値段とか分からないしね」



腕を組み、何かを思い出すように首を捻りながら、店長は難しい顔をする。

だが、すぐにいつもの笑みを浮かべると、びしりと人差し指を立てた。



「で、何で硯を売ったのかっていうのは、あんなに必死だったし、大切にしてくれそうだったからかなぁ」



目の前に突き付けられた店長の指と、その奥の笑顔を交互に見つめてから、陽菜子は少年が消えていった路地を見やった。



「……あの子、硯を見たときに、僕のだって思ったって言ってました」



さわさわと狭い路地を風が駆け抜け、店の前で枝を広げる広葉樹の葉を撫でていく。

舞い上がる髪を片手で押さえ、陽菜子はぽつりと独り言のように呟いた。



「店長、生まれ変わりって、あるのかな?」

「さぁ、僕はそこらへんはよく分からないなぁ」



迷信臭いと笑われるだろうかと、ほんの少し心配していたが、店長は案外真面目に答えてくれる。

まぁ、この店自体が非現実的な事ばかり起こるのだから、彼にとってはそれほど不可思議な質問でもないのかもしれない。

そもそも、妖怪のいる店の店長をしている時点で普通ではないだろう。


色々と思いを巡らせていた陽菜子は、隣で店長が動く気配に我に返る。

隣を振り仰ぐと、店長が大きくあくびをしながら体を伸ばしていた。

息を吐き出すと供に身体の力を抜き、次いで身を起こした店長は陽菜を見下ろす。



「でも、あの子が見つけて、硯が選んだなら、どっちでも良いんじゃないかな?」



小首を傾げて笑みを浮かべる店長を、陽菜子はじっと見返した。

そして、黙ったまま、再び外へと視線を向ける。

何故身を隠さなかったのか、硯に尋ねる術はもうない。

あの少年が、おとのの生まれ変わりだったのかも、きっと永遠に謎のままだ。


この先にある物語は、彼らのモノであって、陽菜子が立ち入るものではない。

だから、陽菜子は静かに目を閉じた。

買われて行った先で、あの硯が大切に使われれば良い。

あの間延びした穏やかな声で、誇らしげに胸を張っていられるようにと、そう願う。



「さて、僕は残りの仕事があるから、ひなちゃんは引き続き店番お願いね」

「あ、はい」



くるりと踵を返した店長は、そのまま店の奥へと消えていった。

その後姿を見送ってから、陽菜子はゆっくりと店内を見渡す。

しんと静まり返った店内は、息を潜めたように、どこか寂しげに見えた。

硯の姿が消えた陳列棚を目にして、ほんの少し物悲しい気分になる。


そんな時、店の奥でバサバサと何かが崩れ落ちるような音が響いた。

ぼんやりとしていた陽菜子は、店内から突然上がった声に、びくりと肩を跳ね上げた。



『わー!』



どうやら、客がいる間は身を潜めていた小妖怪達が騒ぎ出したようだ。

彼らは一箇所に集まり、わーわー、きゃーきゃー跳ね回っている。



『一つ目が本の山に潰されたぞ!』

『これはいかん、重すぎて動かんぞ』

『ひなー! はよう来んか、これをどけろ』



こっちへ来いと手招く妖怪達に、陽菜子は溜め息を付きながら近付く。



「もー、何やってるの」

『この前、てれびでやっておった、ろっくくらいみんぐをしていたら本が崩れたのだ』



彼らが指差したのは、うず高く積まれた古本の山だ。

確かに、山は山だが、明らかにロッククライミングには適さない物体だ。



「こんな不安定なものでやったら、崩れるに決まってるじゃない」



呆れて肩を竦める陽菜子に、妖怪達は目くじらを立てて騒ぎ立てる。



『なにおぅ! ひなの癖に生意気な!』

『お仕置きじゃ!』

「わー、もう! 引っ張るのやめてってば」



肩に飛び乗って髪を引っ張る子鬼や、ぽこぽこと頬を叩くひょっとこに陽菜子は堪らず降参の白旗を振る。

威力は低くとも、両側からやられると鬱陶しいことこの上ない。

分かれば良いと満足げに肩から飛び降り、小妖怪達は崩れた本の山へと駆けて行く。

ほっと小さく安堵の息を付いて、陽菜子は何となく戸口を振り返った。



『ひーなー!』

「わーかってるってば!」



口々に自分を呼ぶ妖怪達に答え、陽菜子は踵を返す。

どうやら、彼らは感傷に浸る暇すら与えてくれないらしい。

知らず知らずのうちに、陽菜子の口元に笑みが零れる。

そんな彼女の耳元を、ふんわりと穏やかな風が撫でていく。



『――よいか、わしはおとのの硯じゃあ』



どこか遠くで、誇らしげな硯の声が聞こえた気がした。








これにて、陽菜子とおとのの硯は終了となります。

今回のお話は、硯の「わしは、おとのの硯じゃあ」という声が耳から離れず、衝動的に書いたお話でした(笑)

付喪神とは、道具を大切に扱い手入れを絶やさぬようにという教訓や、長く身の回りの役に立ってくれた道具に対する感謝の心から生まれたと言われています。

私自身、すぐに物を買い換えてしまう方なので、なるべく長く大切に使って、硯の仲間を増やせるように頑張りたいですね!




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