陽菜子と霊感少年1
「……どうしよう」
陽菜子は途方にくれ、足元を見下ろした。
ふわふわと宙に浮く自分の足は透けていて、その先の景色が映っている。
丈のある雑草に紛れて、肌色の手らしきものと、制服のスカートの端が見え隠れしていた。
もう少し近くに寄れば、それが紛うことなく人間であることが分かるだろう。
そして、ピクリとも動かない腕を辿れば、自分と同じ顔に出くわすはずだ。
「……本当に、どうしよう」
溜め息を付いて、陽菜子は背後を振り返る。
犬の散歩をする若い女性、ウォーキングをする老夫婦、追いかけっこをする小学生。
たくさんの人が、彼女には気付かず川辺の道を通り過ぎていく。
人が透けて浮いているにも関わらず、誰も川辺に眼を向けることはない。
きっと、誰一人として、陽菜子のことが見えていないのだ。
きちんとした状況は飲み込めていないものの、自分は所謂幽霊と言う存在になってしまったのだろう。
考え事をしていて、川辺に転がり落ち、頭を打って死んでしまうだなんて、何と運がない。
初めは、自分の状況に唖然としながらも、何とかしなくてはならないと道行く人に声をかけた。
だが、誰一人として自分の声に答えてくれる者はなく、目線すら合わせてもらえない。
次第に、陽菜子は助けを求めることを躊躇するようになった。
人に見てもらえない自分は、本当に死んでしまったのだと見せ付けられる気がしたからだ。
かと言って、このまま自分の体を放っておくわけにはいかない。
誰にも見つけてもらえず、探し出された頃には白骨死体なんて、笑い話にもならないだろう。
陽菜子は小さく笑おうとしたが、あまり上手くいかなかった。
不自然に顔が歪み、じわりと涙が浮かんでくる。
陽菜子は慌てて首を振り、目元を擦って顔を上げた。
(だめだめ、諦めるのは早いよ! もしかしたら、霊感のある人が偶然ここを通るかもしれない)
霊能力者だなんて、そうそう居るはずはないけれど、可能性は0ではない。
口を引き結び、睨みつけるように川辺に視線を向けた時、一人の少年が立ち止まった。
ゆっくりとこちらを振り返った少年に、思わず体が跳ねる。
まじまじと彼を見詰めていた陽菜子は、ある事実に気付いて声を上げた。
彼の着ている制服に、見覚えがあったのだ。
あれは確か、陽菜子の通う高校の近くにある、有名進学校の制服だ。
そこに通う生徒は、殆どが有名大学に一発合格するらしい。
頭脳明晰少年に、オカルトだなんて、一番似合わない組み合わせだ。
もしかしたら、自分が見えているのかもと期待してしまったために、陽菜子は小さく溜め息をついた。
暫らく川原の方を眺めていた少年は、踵を返してこちらに近付いてきた。
眼を丸める陽菜子の横を通り過ぎ、自分が転がっている地点に滑り降りる。
雑草を掻き分けて進んだ彼は、どうやら陽菜子を見つけたようだった。
持っていた鞄を近くに放り、陽菜子の体の側にしゃがみ込む。
口元に手を近づけたり、手首の辺りを触っている様子の少年に、恐る恐る近付く。
「あの……」
「何だ」
「え?」
少年が呟いた言葉に、陽菜子は首を傾げた。
陽菜子が見えてないのだとしたら、彼の言葉は独り言に違いない。
でも、死体を前にして、何だとはどういうことだろうか。
黙って少年を見つめていると、彼は唐突に振り返った。
しっかりと視線が合い、陽菜子は緊張に体を固まらせる。
偶然にしては、迷いなくこちらを見詰める少年に、唾を飲み込む。
(もしかして、私のことが見えてる?)
「泣きそうな顔してるから、死んだことを受け入れられないのかと思った」
少年の言葉に、陽菜子は今度こそ眼を見開いた。
独り言としてはあまりにも不可解な言葉に、心臓が早鐘を打つ。
陽の光りで琥珀色に見える彼の瞳が、僅かに柔らいだ気がした。
「あんた、ちゃんと生きてるじゃないか」
「……え?」
あまりの衝撃的な内容に、数秒間固まっていた陽菜子は、慌てて自分の体に縋りつく。
幽霊である自分は、温もりを感じることはできない。
でも、確かに陽菜子の胸は呼吸に合わせて上下に動き、死体にしては血色が良かった。
「私、死んでなかったの?」
小さく呟いて、陽菜子はへなへなと己の体の上に座り込んだ。