101.たいぷらいたー、ことはじめ。
迷宮内、商工会某所。
「これが……簡易打鍵機か」
『持ち運びも可能な印字機械だと思っていただききたい。
地の民の技術により機構の部分はかなり前に完成していたのだが、ようやく満足のいくインクリボンの開発に成功し、晴れて完成の運びとなった』
「ここに紙を挟んで……ぐるりと回して……。
鍵のひとつに、一種類の文字が対応しているのか……。
それで鍵を押すと……」
がちゃん。
「……おお。
確かに、文字が刻印された!
つまりこれは……小型の印刷機なわけだ!」
『印刷機とは違い、文書の複製は出来ない。
あくまで、一部づつ印字するだけのものだ。
カーボン紙かそれに準ずるものを用意できれば、一度に二部の文書を作成することも可能だが、そちらの開発にはまだ成功していない』
「一部づつ、か……。
だか、それだと……手書きの方が、はやくはないか?」
『慣れれば、手書きよりも遙かにはやく打鍵出来るようになる。
それに、ギルドの内部でも事務処理の煩雑さは日に日に増してきている。
手書きを繰り返していけば、それだけ読み間違えや誤記の原因にもなる。
これが普及すれば、書類整理の効率化と書類可読性を大幅に向上することが出来る。
表意文字と数種類の表音文字を組み合わせるわれらピス族の表記体系とは違い、大陸標準語はほぼ完全な表音文字だけで文章を記す。
その性質も、この簡易打鍵機にとって有利な要因となった』
「それでこれは……すぐにでも量産が可能なのか?」
『見掛けほど複雑な構造ではない。
金属部品のほとんどは鋳物だし、外郭部分などは木製でも他の素材ででも好きに使って作ることが出来る。
しっかりとした設計図とそれをまともに読める教育を受けた技師であるのなら、誰でも部品を組み立てることは可能だと思う』
「そうか。
今、活版印刷機が諸国に飛ぶように売れているからな。
そと近い昨日を持ったこの簡易打鍵機にも、それなりの需要があるだろう。
少し余裕を持って多めに作って、見本を大陸各地のギルド渉外員のところに送ることにしよう」
『それと平行して、ギルド関連の事務員や少学舎にも配布していくべきだと思う。
非効率的な筆写など、いつまでもやらせておくべきではない』
迷宮内、管制所。
「……探索業務に流れて来た騎士さんたちのパーティには、これでだいたい案内人が行き渡ったかなぁ?」
「なんとかねー。
Aランク以上の戦闘管制スキル持ちを総動員してばらして半ば無理矢理各騎士団に押し込んで、それでも数が足りないからBランクとか、戦闘管制のスキルを持っていなくてもそれなりの探索業務のキャリアがあって、細かいところまで目配りが出来る人までかき集めてあてがって……」
「戦力増大、ったって、初心者さんにあんなにいっぺんに押し掛けてこられても、対応に困るというかなんというか……」
「戦闘管制もそうだけど、銃器とかその他の術式使用スキルも各冒険者さんたちでそれぞれに教え合う風潮が出来上がっていたからどうにかなったけど……」
「まっさらな初心者だけではなく、中堅以上の冒険者のスキルアップまでギルド主導で面倒を見るようだったら、ギルドの事務方は全員揃って討ち死にしているよ。
業務過多で」
「大量の元魔王軍兵士を、短期間に使えるようにしたノウハウが、こんなところで活きてくるなんて思わなかった……」
「あのイベントがなかったら……冒険者による自主的なスキルアップも、今ほど盛んはなっていなかっただろうしね……。
あれより前だと、冒険者の人たちは今よりもっと個人主義な感じだったし……」
「パーティの面子も、ほとんど固定して動かなかったし……」
「今と比べると、もっとずっと閉鎖的だったよね。雰囲気的に」
「ちょうど、今の騎士さんたちと似ているかも知れない。
出身とかだけで固まって、他の人たちとはあまり慣れ合わずに……」
「騎士さんとか多国籍軍から流れてきた人たちも、結構色々だけどね。
中には気さくな人とか、好奇心旺盛で迷宮中を物珍しそうに駆け回っている人も多いし……」
「全体的に見ると、小さい国より大きくて豊かな国の方が柔軟に立ち回っているような気がする。
すぐに迷宮に入ろうとしないで、銃器とかその他の術式の使用法についてまず講習を受ける、っていう人は、大抵、懐に余裕がありそうな人たちだし」
「それと、身分のある騎士様たちよりもそれ以外の人たちの方が、視野が広いかなー、って……」
「結構、商工会に入り浸って目新しい道具についてしつこく説明を求めたりしている人、多いよね」
「魔法使いの人たちも、理屈っぽい人が多い。
機織機械の作動原理について説明を求められても、一介の事務員にはまともに答えられませんよー、だ」
「……ようやく受付業務、落ち着いたけど……これから、毎日こんな感じなのかなあ」
「事務方増員してくれないと、毎日これだと、わたしたち死ぬよ。
業務過多で!」
「うーん……でも、どうだろう?
少学舎の方でも、一通り読み書きが出来るようになったら、すぐにあっちこっちの現場に放り込まれるようだし……」
「あっちもこっちも人手が足りない、っと」
「相変わらずバブリー、だよね、この迷宮。
この忙しさ、いつまで続くんだろう?」
「迷宮が完全攻略されるまでじゃない?」
「完全攻略?
本当にされると思う?
この、果てしなき迷宮が?」
「……あ……は、は」
「迷宮が攻略されるのは、まだ先でしょうが……」
「あ。どうも」
「誰?」
「商工会の職員さん」
「……当面の敵である書類整理についての、強力な助っ人をお持ちしました」
「はいはい。
試作品の試験をしろってことですね?」
「今度はなんなんですかあ?
この間の消しゴムっていうの、インクが広がって紙が薄くなるだけで、まったく使い物にならなかったんですけどぉ」
「今度のは間違いありませんよ。
この……よっこらしょ、っと……」
「お。
意外と大きい」
「なにこれ?
機械?」
「機械は機械ですが、扱いは簡単です。
ここに紙を挟んで、こうグルリと回して……それで、この鍵を押すと……」
がちゃん。
「あ」
「字が」
「ああ。
鍵のひとつひとつが、この文字の判子を動かして紙に押しつける仕掛けね」
「そういうことになります。
なれると、手で文字を書くよりもずっと楽に、早く、文章を綴れます」
「慣れは必要だけど……楽っていえば、楽……かなあ?」
「……んー……。
しばらく使ってみないと、なんともいえない」
「字下げとか、特定の書式に合わせる場合はどうするの?」
「タブキーを設定しまして、打鍵を開始する場所を設定します。
いくつも設定すると、表なんかも簡単に作れるようになりますよ」
「いきなりそこまで高度な機能を使いこなすのは、無理だよ」
「そうだね。
まずは、慣れることが先決、と……」
「後は、インクリボンが乾いたときの取り替え方とか、詳しい説明書はこちらに……」