41.みえないきょうてき。
迷宮内、修練所。
「モンスターの種類が多様化し、実用化される術式も多くなった今、後衛に期待される役割は重要になる一方です。
観測用式紙の制御と観測情報を常時チェックし、必要とあればパーティ各員への指示を行う。その上で、可能ならば戦闘への参加も辞さない。
それぞれの業務について、膨大な知識が必要となり、短時間でそのすべてをおぼえようとするのは無謀な挑戦だといえます。
おぼえるべきことを細分化し、ひとつひとつ歩着実に自分に必要な知識やスキルを身につけていってください。
焦らず地道に、というのが、結局は一番の近道だったりします」
「……カラスも、もういっぱしの教官だなあ」
「カラスだけではないな。
半熟教官どももほぼ全員、修練所と迷宮を半々に行き来しているそうだ。
元魔王軍二万を実際に叩き上げてみて、他人に物を教えることの面白さに気づいたらしい」
「そいつはまあ、まことに結構なことで」
「他人事のようないいようだな、シナクよ。
元はといえば、おぬしがそうし向けたせいであろうに」
「あのときにおれがやったのは、最初の一歩を後押ししたくらいのことですよ。
後は勝手に、連中が動き出した」
「それはともかくとして、だ。
シナクよ。
今日、こんなところに呼び出したのは他でもない、迷宮内治安維持隊の増強をギルドに依頼されたからだ。
もう一度、そっきも口にした最初の一歩をやって貰いたい」
「治安維持隊の増強……今さら、必要ですか?」
「今だから必要、とでもいうべきかな。
今や迷宮は、異族はもとより大陸中の様々な国、様々な民族が際限なく流入してくる坩堝となりつつある。
かろうじて言葉が通じるとはいえ、習慣からなにからまるで違う人間がこれだけ密集するようになれば、どうしたって摩擦やトラブルは増える」
「今までの治安維持隊では対処できないほどに?」
「……それだけではなく、だな。
あまり大きな声ではいえぬが、どうも、組織的な犯罪行為をするためにこっそり迷宮入りをしてくる連中も、今では少なくないらしい。
冒険者同士の小競り合いを制圧するくらいなら、今の治安維持隊だけでもどうにかできそうなものだが、この上に防犯とか捜査活動までやらねばならぬとなると、どうしたって……」
「ちょっ! ちょっと待ってください、リンナさん!
防犯はともかく、捜査活動って……」
「おぬしも噂くらい聞いたことはあるであろう。
不眠粉の流入とか……」
「あ……ああ。
あれ……組織的なものだったのか……」
「あの種の薬物が自然発生的に流行することはありえぬ。
組織的に迷宮内に広めている連中がいると見るべきであろうな。
金と、それにギルドの弱体化が目的であろう。
このギルドも、今では目立ちすぎるほど目立つ存在になっておる。
出る杭を見ればめいっぱいひっぱたいて地面に押し戻したい連中はどこにでもいる」
「……でも、それって……ひどく、難しくはないですが?
今では迷宮のそこいら中にナビズ族がいて、目を光らせ耳をそばだてている。
そんな迷宮の中で誰にも知られることなく組織的な犯罪を行うってのは、かなり難易度が高いと思いますけど……」
「とはいっても、実際に不眠粉の被害は拡大しておるからな。
やつらがどんな手を使って薬物汚染を進めているのかは想像もつかぬが、このまま手をこまねいていればさほど時をおかずにして内部からガタガタになるだけであろう」
「……はぁ。
それ、下手すると水竜よりもやばくないですか?
あっちは放置しておけば害がなかったけど、こっちは放置しておいたら確実にギルド全体が蝕まれる」
「つまるところ、人間の最大の敵は人間、なのであろう。
モンスターなどではなく、な」
「……で、この国の司直は出張ってこないんですか?
この王国にとっても、迷宮からの上がりは無視できないものになっていると思いますが」
「来ているとも、もちろん。
これから、向こうの責任者と会わせよう」
迷宮内、作戦小会議室。
「やあ、どうも。
王国警邏隊薬物対策室のシリスムといいます。
迷宮内の薬物汚染対策についての責任者とおもってください」
「ギルドの冒険者で、一時的に治安維持隊を預かっているリンナだ。
こちらは、同じく冒険者のシナク」
「一時的に?」
「警邏隊というのは、軍のように階級がある組織なのか?」
「そりゃあ、まあ。
そうでなくては組織的な捜査活動もままなりませんからね」
「だが、冒険者はそうではない。
多少の例外はあるものの、特定のクエストごとに契約を更新する浮き草稼業だ。
拙者は、水竜作戦の余波を受けて迷宮が混乱している今だけの臨時の責任者であると思っていただきたい」
「それで、一時的ですか?
そうおっしゃいますと、すぐに別の方にお仕事を引き継がれるわけで?」
「治安維持隊が現状に対応できるように育つまでは、この地位にいるつもりだ。
そちらの、薬物汚染対策解決の目処がつくまではな」
「そのように願いたいものですね。
足並みを揃えようにも、その相手がころころと変わるようですとこちらもやりきれません」
「では、早速本題に入りたいのだが……不眠粉の流入ルートはまだわからないのか?」
「わかていますが、あまり役にたちません」
「……どういうことですか? ええ、シリスムさん」
「この迷宮に物資が運び込まれるルートのすべてが使用されています。
どこか一カ所だけを潰しても、意味がありません」
「そこまで……大量に……」
「どうやらこちらでは、とても大量の需要が見込めるようですな。おまけにこちらの冒険者の方々は、懐も暖かいし不払いがない。
大陸中の組織が競うようにしてあの手この手で搬入しているようです」
「はた迷惑なはなしだ」
「そちらにしてみれば、そうなのでしょうな。
今までにこちらで発見された中毒患者の数は?」
「昨日の時点で、五十名を越えた」
「では、少なく見積もってもその百倍以上の人数が薬物に汚染されているとみてください。放置すれば、中毒患者はまだまだ増加するはずです。
やつらは疫病なみの伝播力を持っていますから」
「被害を抑える方法は?」
「薬物被害に関する正確な知識の徹底した広報。
中毒患者の早期発見と隔離、治療。
それに、流通経路を虱潰しに、根本的なことをいえば、製造元の組織諸共壊滅させることです」
「さっき、流入ルートを潰すのは難しいとかいってなかったか?」
「現実的なことをいえば、その通り。
薬物被害を根絶する方法をあくまで論理面のみに限定して考えるとこうなりますよ、ということです。
一種の理想論ですな。簡単にこう、うまくいくのなら、わたしたちの仕事も何十年も前になくなっていますよ」
「理想論、ね。
では、具体的に、今、おれたちに出来ることは?」
「薬物被害の広報と、中毒患者を発見するための定期検診の実施ですな。
薬物を広めている売人を一掃するのは難しいですが、血液を調査すれば薬物を使用したことがあるかどうかはすぐにわかります。
数日に一度、ギルドの関係者全員から採決して試薬を使用し、反応があった人を片っ端から隔離して治療すれば、汚染速度はかなり抑えられるはずです」
「理屈はわかるけど……設備や人員を用意する必要があるな。
当然、相応の金もかかる」
「そのあたりは、拙者がギリスにはなしておこう。
なに、放置した場合の被害を考えれば、はやめに徹底した対策を取る方がよっぽど安くつく」
「まったくで。
その理屈がわからない領主の方々が多くすぎて、われわれもいつも苦労させられていますよ」