29.かいせんまえのじゅんび。
迷宮内、求人・パーティメンバー募集掲示板前。
「……楽器演奏者募集?」
「未経験可。経験者優遇。初心者にも丁寧に教えます。
勤務時間、交代制。希望により変速シフトでも可。
勤務場所、迷宮内総合醸成所。
……なんだ、こりゃ?」
「時魔法ってやつの関連かな?」
「時魔法? なんだ、そりゃ」
「詳しくは知らないが、噂によると音楽の力で時間の流れを操作する魔法らしい。
前々から楽器の演奏が出来るやつへの求人は出ていたんだが、ここへ来て百名以上の大増員ってのが腑に落ちないな……」
「ここへ来て、か。
となると……やはり、例の水竜作戦関連なんじゃないか?」
「水竜作戦と醸造所……に、いったいなんの関連が?」
「さあな。
まさかあそこで、対水竜用の秘密兵器とかを作っているわけでもあるまいし……」
ギルド本部。
「抗生物質増産の目処は?」
「大陸中から楽師を集めて原料となるカビを培養しているところです。
精製作業も含め、突貫で増産につとめているところですが、果たしてそれで間に合うかどうか……」
「製造工程が確立している以上、あとはリソースをどれだけ割けるかという問題ですからね。
多国籍軍も、当初の予定よりもかなり大規模なものになってきているようですし……」
「ギリスさんは、多国籍軍の被害が大きくなるものとお考えですか?」
「そうならないのが、一番いいのでしょうけど……戦闘に詳しい方々何名かに、別個に意見をいただいてみた感触では、悲観的な意見が多かったもので……。
なんでも、相手の正体が見極められていないのにぶっつけ本番で決戦をするのは、こちらが著しく不利な条件を押しつけられるのと同じだとかで……」
「こちらが得ることが出来情報はすべて、多国籍軍に渡しています。
そこからどのように勝つための算段をするのかは、彼らが考えるべきことでしょう」
「それは、そうなのでしょうが……かといって、うやむやのうちに犠牲が増えるのを座視することも出来ません。
医療品や寝台、医者や看護用の人員なども手当たり次第集めては揃えてはみましたが……おそらく、当日になったらそれでも足りないくらいでしょうね。
仮に多国籍軍が全滅したとしても、王国軍は水竜を完全にしとめることが出来ると豪語していましたが……」
「……多国籍軍も適わなかった相手を王国軍が……ですか?
それは、いったい誰が?」
「参謀総長の、ヘレドラリク卿です。
彼は、意味もなく虚勢を張るような性格ではありません。そのヘレドラリク卿が保証しているのですから、なにか確かなあてがあるということでしょう。
あの城塞には、わたしたちが知らされていないような秘密兵器が隠されているのかも知れません」
迷宮内、安酒横町。
「おい、聞いたか?
今日は、ドラゴニュートのギダルが一人勝ちだってよ」
「水竜作戦の演習で、シナク、ギダル、ゼグスの三人は通常業務から外されているはずじゃなかったのか?」
「総合演習は、午前中のうちに終わったとよ。
水上戦の経験が浅いシナクは居残り自主練習で、ゼグスは特殊案件に何度か引っ張られて、今日、大量発生の始末に出たのは居残り組とギダルだと」
「ってことは……今日の討伐数は、ギダルの一人勝ちか?」
「ああ。
すでに討伐数千体を超えている」
「どんな大群が相手でも、あっという間に始末するからな、あいつは。
可愛い気がないというか……」
「ドラゴニュートに可愛い気があってたまるか?
なんでも、ブレスの一発でたいていのモンスターを黙らせることが出来るそうだ。
危なとかいって、ブレスを使用するときはナビズ族も近寄らせない。従って、あいつのブレスの正体も、誰も知らない」
「魔王の因子を受け継ぐゼグスと並んで、ギルドにEXランクを認定されているだけあるよな。
熟練した魔法兵も、破壊力においては一人一軍に匹敵するとかいわれているけど……」
「たぶん、その魔法兵より上なんじゃないか?
ブレスとかの特殊能力を除いて、単純に身体能力だけを比較してもヒト族よりはよっぽど頑強だし……」
「それはともかく……今日も儲け損なったことだけは確かだな」
「お前、ギダルに賭けてなかったのか?
シナクかゼグス、ギダルの三人に賭けていれば、まず硬いところだったのに……」
「その三人は硬すぎて儲けが少ないんだよ!」
「ああ……確かに。
元金プラス多少の……といったところだからな」
「演習がある今日なら、別のやつにもつけいる好きがあると思ったのに……」
「最近、地味に討伐数上げている冒険者も増えてきているよな。
コンスタントに毎日三桁を討伐しているのも、もう何百人も出ているわけだし……」
「ただ……そういうのはエンカウント率にも左右されるし、やっぱりどこかで無理をするんだろうな。
強引に成績を上げているやつは、負傷者率も高い」
「だな。
ガツガツして不眠不休で迷宮に入り浸るよりも、休み休み迷宮に入っていくくらいの緩いスタンスの方が、結局は長続きする」
「別に成績優秀者でなくても、普通に冒険者をしていれば、金には不自由しないはずだしな」
「だからといって、昼間っから飲んだくれているおれたちみたいなのばかりが増えても、ギルドも困るんだろうが……」
「いいの、いいの。
たまには散財して金を回さないとな。冒険者は吝嗇なやつばかりだと思われる」
「まったくだ。
そういや聞いたか?
引退したムスラムのやつが鉄板焼とかいう新手の料理屋を出したそうだが、これがなかなかいけるらしい。
この横町でしばらく店を続けて、儲けが出るようだったら王都にも出店を出すとかいってたが……」
「それで、客の入りは?」
「今のところは、上々のようだな。物珍しさも手伝っているから、どこまで続くかはわからないが……」
迷宮内、鍾乳洞。
「ふぃー」
「どうですか? シナクさん。
もう慣れてきましたか?」
「ああ。なんとなく、コツは掴めてきたような気がする。
魔法で高速化しているとき、空気がねっとりと重く感じるの、ありゃ、実際に重くなっているわけではなくておれの動きに空気がついていけなくて、手足にまとわりついているから……らしいな。
おれの周りの空気まで高速化されているわけではないから、おれの動きとのギャップがありすぎて重く感じるんだ。
だから、水も空気も、触れるといつもより抵抗を大きく感じる。
もっとも、多少の水滴なら例の複合防御術式が勝手に逸らしてくれるようだが……」
「それで、うまく使いこなせそうですか?
使いこなす、というより、この場合は特殊な環境に順応できそうですか? というべきなのかも知れませんが……」
「ま、なんとかなるんじゃね? あと何日か練習すれば。
この場合は、慣れるというよりもアレだな。
自分の動きを先読みして、障害物とぶち当たらないように振る舞うことの方が大切なようだな。
テオ族の術者は、作戦当日までここに詰めるんだろ?」
「ええ。
他の方にも高速化魔法に慣れていただかねばなりませんから……」
「では、それにおれも便乗だな。
作戦当日までは、水に落ちないであの板に乗れるようにしておくわ。
今回の作戦で、おれはあくまで予備戦力だけど……」
「当日、なにが起こるのかは予測できない……ですか?」
「ああ。
ルリーカとかあの全裸とかが太鼓判押しているくらいだから、少なくとも水竜を転移させるところまではうまくいくと思うんだけどな。
だけど……どーも……」
「厭な予感が、しますか?」
「そこまで、重いもんでもないけどな。
どーも、なにか見落としていることがあるんじゃないかって思えてならないんだ。
気のせいなら、いいんだけどな……」