17.かいぶつ。
びぃー、びぃー、びぃー。
「はい、シナクっすけど。
ああ、どうしました? ギリスさん。
ええ。ええ。
はい、いらっしゃいますよ。まさしくこの場に。
聞こえます? そう、この歌声。
テオ族にリュートつま弾かせて帝国慕情を、今、歌っていらっしゃるのがわれらの皇帝閣下でございます。さっきから北方自由騎士団の団長さんと交代交代で歌っていらっしゃいまして……。
え?
そうですか、ギリスさんも、これからこちらに来ますか。ええ。まあ、今さら、誰も文句はいわないと思いますです。はい。ええ。
それでは、また、のちほど……」
「ギリスか?」
「ええ。
皇帝閣下がここにいらっしゃるだろうと推測をつけられまして……」
「ま、ここまでくれば隠すのも無駄というものであるしな。
そもそも、管制所で目撃をされた時点で、こうなることは予測できたわけだし……」
「しかし……いいのかなぁ?
天下皇帝様がこんなに気軽に出歩いていても……」
「いいもなにも、父様は普段から気軽にお忍びで出歩いておるぞ。
たとえば、だな……。
父様!」
「なにかな? ティリ」
「黄色小路の脇に入った串焼き屋で一番うまいのは?」
「野豚と獅子唐のはさみ焼きであろうよ」
「ほれ、この通りじゃ」
「……は、はは……」
「おつきのカクもスケも、あれで当代では随一の手練れ。
多少出歩いても、滅多なことにはなるまいが……いきなり、ここに来るのは計算外であった……」
「いや、誰も想像できませんて、こんなこと」
「しかし、ティリよ。
いいな、このピザというものは。なかなかに香ばしく、シンプルであるがゆえに奥深い。
こんな簡単な調理法を、なぜ今まで誰も思いつかなかったのか……帝都でも、作らせるかな?」
「ギルドの出版局が、今度調理法の本も作るそうですから、それには掲載されるんじゃないですかね?」
「そうなのか? シナクよ」
「そうらしいですね。この前、王子がそんなことをいっていましたけど。
前に出した本が予想以上に好評で、でも、内容的にはほとんどモンスター肉の調理法に終始していたから、今度は別の切り口で……って、王子自身も例によって前世の世界の料理をかなり紹介しているようです。
パスタとかうどんとかお好み焼きとかクレープとか……」
「ほとんど粉物ばかりではないか」
「王子の趣味でしょう。
あの人、家庭料理とかあまり詳しくないようで……」
「ま、あれのおかげで迷宮内の食生活がいささか豊かになったことは認めよう。
麺料理というのも、こちらにはまるでなかったからな」
「ところで、ティリよ。
そろそろ紹介して欲しいものだが、そこにいるのが、兄上の薫陶を受けたとかいう……」
「ああ。どうも。
冒険者の、シナクといいます」
「やはり、そなたがシナクどのか。
ティリから送られてくる文とか折衝官省の報告書、それに日報でもよく見る名だな。
なかなか、有望な青年であるらしいが……」
「いえいえ。それほどでもなく……」
「謙遜することもあるまい。
もしもそなたがいなければ、現在の迷宮もかなり違った形になっていたことだろうと、うちの文官たちの意見も一致しておる。
ところで、シナクどのよ。
うちのティリの方はすでにその気になっておるようだが、どうだ?
将来的に、うちと縁続きになるというのは……」
「抜け駆けはよして貰おうか、皇帝」
「……ぬ」
「このシナクには、このわたしが先に唾をつけている。
これでもこれは、未来の剣聖候補だ。第一、これがたかだか皇族の入り婿で済むたまか」
「貴様!」
「無礼な!」
「皇帝が怖くて剣聖をやってられるか!」
「カク、スケ、さがれ!」
「「……はっ!」」
……ばたん。
「……すいません!
こちらに、皇帝閣下がいらっしゃると聞いて……来たん、ですけど……。
なんなんですか? この状況」
「ギリスさん、いらっしゃい。
こちらが、われらが皇帝閣下にこざいます。
皇帝様。
こちらが、うちのギルドの事務方筆頭になる、ギリス嬢になります」
「……剣聖様に抱きつかれたままでそんなこといっても、ぜんぜん様になっていませんよ、シナクさん」
「おれにいわないでください、ギリスさん」
「……なっ!」
「どうした? スケ」
「こんな……膨大な魔力は……」
「……あ。あれも来るのか……」
しゅん。
「……なんだ、この有様は?
予想外に、人が多いようだが……」
「……とりあえず、服を着ていてくれて助かったよ」
「あの……この人……この、方は……」
「ああ。
これは、塔の魔女とかいう、ここいらでは有名な魔法使いだそうです。
別名、不眠のタンとかいうそうで……」
「五賢魔の一人! 道理で……」
「あ。あっさり納得するんだ」
「それは……魔力量を考えれば、得心がいきますから……。
それに、最近ではギルドの運営にも関与している節があると、報告書にもありましたし……。
だけど……生きているうちに、五賢魔の一人とまみえようとは……」
「それで、抱き枕よ。
こいつらは?」
「こいつらいうな。
この方たちはな、皇帝閣下とそのおつきの二名。
それでこっちが、北方自由騎士団の団長さんだそうだ」
「そうか。こうして一緒に和やかにやっているということは、当座の敵ではないわけだな?」
「敵ではない。むしろ、味方だ。
特に今回の水竜作戦では、ギルドの助けになってくるという」
「……そういうことか。
最近、迷宮の周辺が妙に騒がしくなったかと思っていたが、なるほど。
そういう繋がりなわけか……」
「現在、多国籍混合の軍隊が、迷宮の外に集結しつつあります」
「あれ、な。
だけど……たったあれだけの戦力で、あの水竜を完全に叩くのは、かなり難しいと思うぞ……」
「……そうなのか?
あの水竜って、そこまで……なのか?」
「そこまで、なのだ。
わたしとしては、そのまま静観して封印指定をし、さわらぬ神に祟りなしと決め込むことをギルドに提案したのだが、なぜだか、それもはねつけられてな。
ま、おおかた、なんかの政治的判断とか、そんなごちゃごちゃした理由があるんだろう」
「魔女さんのおっしゃるとおり、水竜作戦は外部からの要請にギルドが動かされる形で発動したものですが……魔女さん。
あの水竜は、そこまで難物ですか?」
「難物、だなあ。
体自体も大きいが、それ以上に体内にある魔力量が多い。あれだけの魔力を蓄えているとなると、実際にはどれほどのことが出来るのか……」
「お前でも駄目か?」
「わたしがやるとなると、鍾乳洞や迷宮ごと吹き飛ばすことになるな。わたしの専門はどちらかというと研究方面だし、ちまちまと細かい攻撃魔法は不得手なのだ」
「迷宮はもとより、あの鍾乳洞だってなくなっては困ります。
あの鍾乳洞は、迷宮内の生活用水全般の水源になっているわけでして……」
「だから、非力なヒト族でもなんとかあの水竜とやり合うため、同じ土俵に上がるための策は授けてやったろう?
あとは、その多国籍軍次第だ」
「つまり、あの水竜とは……伝説や伝承にしか登場しないような、そんな強大な力を秘めたモンスターなのか?」
「ああ。
この世界の気候や様相を損ない、半永久的な爪痕を残せるくらいの潜在能力は秘めていると、そう踏んでおいた方がいい。
皇帝とやら。
お前さんがここにいるということは、その多国籍軍とやらを指揮するのもお前さんなのだろう。
ゆめゆめ、油断するなよ。
持てる戦力をすべてぶつけても、滅することが可能かどうかわからない……あれは、そんな怪物だ」