172.むしのじょおう。
迷宮内、某所。
ダダダダダダダダダダダダダダ……。
「……連絡が来ない、ということは……ゼグスの能力は、シナクのコインよりは有効距離が短いわけか?
ま、それでもあやつならば、滅多なこともなかろうが……」
「どうしました、ティリ様」
「なんでもない。
疲れた者はおらぬか?
一時帰投して代わりの者と交代してもよいのだが……」
「もう少し稼がしてくださいよ」
「芋虫がいなければ、機銃で一掃していくだけですからね。
疲れるもなにもありませんや」
「ふふん。
その意気やよし、といっておこう。
だが……もう少ししたら、総員、脱出札をしようせい。
ナビズ族経由で知らされたところによると、この先はまだまだ長いらしい。
それに、修練所で待機している者たちにも適当に稼がせてやらねば、後で不平が出る」
「はいはい」
「ティリ様が、そのようにおっしゃるなら……」
「それに……披露が溜まっているときといい気になって気が緩んでいるときは、事故が起こりやすいことでもあるしの。
人員は適当に回転させておいた方が、無難であろう」
迷宮内、某所。
「人外か。魔王の因子を受け継いだのか」
『ある高名な魔女に、そう診断された』
「ふむ。魔女にか」
『特にこの右腕に、魔王の因子が濃く留まっているという。生まれながらのおれの右腕は、少し前に焼け落ちた。こいつは、魔王の因子が勝手に形作った腕だ。そしてこの銀色の籠手は、魔王の因子を押さえ込み、これ以上おれが浸食されないようにする作用があるそうだ』
「それで……今は人外、と」
『こうなったらもはや、尋常のヒト族とは呼べまい』
「面白いな、おぬしは」
『面白い……か?』
「そのような境遇にありながら、絶望するでもなし、自嘲するでもなし……実に自然体を保っているようにも思える。
脆弱なるヒト族とは思えぬほど強靱な内面を備えていると見える」
『そんなにおおげさなはなしでもないさ。
ただなあ……今、おれの周りにいるやつらが、なんというか、一人で深刻になるのが馬鹿馬鹿しくなる雰囲気を醸し出しているというか……』
「……ふむん?」
『あ、いや……仕事に戻っていいか?
一応、問われたことには一通り答えられたと思うが……』
「ああ、そうであったな。
おぬしはいまだ、仕事中であったな。いや、邪魔をして悪かった」
『いいけどな。
では……いでよ、熱線虫!』
「おお!」
『なぎはらえ!』
ぎゅん。
『……露払いだ。
先を急ごう』
「は、は。
ゼグスとかいったか。
面白い、面白いぞ、おぬしは。
おれもこれまであまたの世界を渡ってきたが、それでもおぬしのような者に出会ったことはない」
『好きにいってろ』
『……汝、我が僕となれ!』
「ほほう。
そうやって殴ると、先ほどのように……」
『そうだ。
この腕が、殴った魔獣の性質を記録して再現できるようになるらしい。
今後のためにも、今のうちにより多くの魔獣をこの腕におぼえさせたいのでな』
「おぬしであるならば、素のままでも通常のヒト族よりは数段上の能力であろうに……」
『そうはいっても、この迷宮で相手にするのはヒト族ではなく魔獣だ。
様々な状況に対応できるよう、用意しておくに越したことはない』
「……と、誰ぞにいいつけられでもしたか?」
『まあな。
今のおれの周りには、適切な助言者に事欠かないのでな』
「ことによると、その身に備わった超常の能力よりもその助言者たちとの関係の方が、おぬしにとっては貴重な宝物になるのやも知れぬな」
『異族の癖に、ときおり妙に分別くさいことをいううな、あんたは』
迷宮内、某所。
「……はぁ、はぁ」
「おじさん、息切れているし」
「うるせいっ!
こちとら、お前みたいな動く死体じゃねーんだよ!
それより……」
「そうねー。
ここが最後、みたいなー。
ここより奥は、ほら……」
「一面の真っ黒焦げ、か……。
これ……あのドラゴニュートがやったのか?」
「いや、あのおにーさんかも知れないよ?」
「あの、銀の腕の若造か。
確かにあいつは、嗅ぎ慣れない、奇妙な匂いを放っていたが……」
(追跡ー)(追跡ー)
「あ。ネズミさんたちが……」
「放っておけ。
どうせ、まだまだ後からいくらでも来るんだろうし……」
「それで、どうする? おっさん。
わたしたちも、あの後を追う?」
「……あー。
まあ、この場で休んでいてもいいんじゃねーか?
今日はもう十分、稼いだし、後ろからくるやつらもまだまだ当分、追いついてくる気配はねーし……」
(ティリ様よりー)(連絡ー)(その場で待機でもよしー)(脱出札で帰ってもよしー)(ここまで働いてくれたからにはー)(好きにしろってー)
「……だ、そうだ。
おれは……帰るかな。
……ふぁ……。
昼間にたたき起こされたせいで、今になって眠たくなってきた」
「生きているとなにかと不便っすねぇ。
それでは、わたしは、あとの人たちが追いついてくるまでここで待機していることにします」
「死んでいるのに物好きなこったな、お前も」
「義理堅いといって欲しいっす」
「へいへい。
んじゃあ、な」
しゅん。
迷宮内、某所。
「わずかな時間に、ずいぶんとその腕におぼえこませたな。
その腕にはなにか。取り込める数に上限などはないのか?」
『さあな。
まだまだこうなってから日が浅いし、実際のところは、試してみなければなんともいえない』
「自分自身のことであろうに、試してみるまでからないのか。
それはまた……難儀なことよのう」
『難儀といえば、今のおれの状態そのものが酷く難儀だと思うのだが……。
それより……』
「おお。
あまたの虫の眷属を討伐し、ようやく到着したらしいの。
その源流とやらに」
『らしいな。
おそらく、この部屋が……。
見学者、手を出すなよ』
「それはいいのだが……いいのか? 仲間を待たずに。
一人では、何事かあったときに……」
『……構わん。どのみち、一度は死んだ身だ。
ここでどうにかなるようだったら、おれもそこまでの者だった、というだけのはなしだ。
それに……』
「それに?」
『おれは、自分の力がどこまで通用するのか、試してみたい。
そういう気持ちも、ある。これから先、単独で行動できる機会も、あまりなかろうからな』
「ふむ……ヒト族とは、まこと、奇っ怪な精神構造をしているものと見える」
『勝手にいってろ、異族』
……そこにいるのは誰か?
『……うぉ?』
「思念か?」
……さきほどわが眷属の痛みが、苦しみがとどめなく我に流れ込んでくる。
わが眷属を鏖殺した者は……。
『おれだ。
おれの仲間たちもそれなりに殺しているはずだが……大半は、おれ一人で殺した』
……なぜ、そのような無体な真似を……。
わが眷属は、次代の巣となる場所を探しにいっただけであるのに……。
『それでも襲われれば、反撃はするだろう。その原因を取り除くべく、こうして源流にまでいたるであろう。
こうして言葉が通じる以上、ギルドの方針として話し合いを試みなければならないそうだが……。
あんた。
おれたちと共存してみる気はあるか?』
……共存、だと?
これほどの、夥しい数のわが眷属を亡き者にしておいて、その張本人が共存というか!
『だから、それは殴られたから殴り返したまでのことだ。
今までのことは今までのこととして、これからお互いに傷つけ合わない方策を話し合う気はなのか?』
……どこまでも、自分勝手なことばかりを並べ立てる。
仮にわが巣にその気があったとしても……もはや、生きながらえる時間も余力もない。
次代の女王と巣を作るために、餌の蓄えと眷属のほとんど費やして……しかし、それも大半がすでに損なわれた。
わが巣と眷属に、遠い未来はない。
このまま放置しておいても、時が経ればわが巣と眷属はここまま朽ち果てようぞ。