160.そんざいのたえられないあいまいさ。
「……他者から名を呼ばれたことで、不確定であった事象が確定したか……」
『ゼグス。この魔女、なにいってるの?』
『おれに訊くな』
「それで……記憶を取り戻したミルレイ・ギニオス嬢は、これよりどうするつもりか?
今までのように勝手気ままに出たり消えたりも出来ないだろうし……」
「……そういわれましても。
今までだって、自分の意志で出たり消えたりしていたわけではありませんし……」
「そうなのか?」
「そうなのです」
「だが……ここに現れてからもうかなり経つが……今のところ、この場に確定しているようだが……」
「はっ。
そういわれてみれば!
これは……」
「これは?」
「……ピザとエールがおいしいせいですかね?」
「太るぞ。
その組み合わせは」
「えええええ!」
『ゼグス。
今のやりとり、早口すぎて全部くちびる読めなかったんだけど?』
『魔女によると、ピザとエールの組み合わせは効果的に太るそうだ』
『『えええええ!』』
『どうした! ラキス、ニクル』
「第一、お前さん、超自然な存在に片足突っ込んでいる身で体重のことを気にかけるというのもたいしたミスマッチではないか?」
「いえ、魔女さん。それとこれとははなしが別ですよ。
気になるものはやっぱり気になります」
「……存在と不在の間を軽くひと跨ぎする者が、それか……」
「わたくしは、魔女さんのように立派な背丈やお胸に恵まれていませんから……」
「そこでわたしを引き合いに出すな!
で……どうなんだ?」
「どう、とは……なにが、ですか?」
「だから……今、この場に居続けているのは、自分の意志で、なのか?」
「……さて? どうなのでしょうか?」
「自覚なし、か。
では、試して見ろ」
「試す……ですか?」
「すぐ先の未来……数分後とか数十秒後のこの場に、移動してみろ。
自分の意志で自分の存在を確定できるのなら、それくらいのことは出来るはずだ」
「すぐ先の未来……ですか?
そうと念じれば、移動できるのですか?」
「意識的に移動できるのであれば、な。
正直なところ、わたしにもお前さんの存在形態自体、どのような原理が働いてそうなっているのかまるで理解できていないので、なんともいえん。
まずは、試して見ろ」
「あ。はい。
では……」
しゅん。
「……わっ。
わたくしが、目の前に現れました!」
「……着地点を近くに設定しすぎたのだろう。
しかし……同一の存在が同一の時空に発生しても排除されないのか……」
「……はぁー……」
「わたくし、こういう顔立ちをしているのですね」
「鏡をみるときとは左右が反転していますので、これはこれで新鮮な……」
『……なんか猫耳が、二人に増えているようだけど……』
『近い将来に移動するはずが、なにかの間違えで今現在に移動した結果らしい』
『……どういうこと?』
『おれに訊くな』
「ぼちぼち移動しないと、もう一人のお前さんが現れないというパラドックスが発生することになるぞ。
前からこの場にいた方のお前さんは、さっさと移動して見ろ。
実際、もう一人のお前さんがこの場に現れたんだから、成功することはすでに確定しているんだ。
安心して、自分の意志で移動していい」
「あ。はい。
魔女さん……そういうものなのですか?」
「そういうものなのだ。
では、まだ自分の意志で移動した経験がない方の猫耳は、試して見ろ」
「では……はい!」
しゅん。
『また、一人になった』
『魔女の解説も、わかったようなわからないような……』
『翻訳してくれる?』
『あとで、ゆっくりな。
おれとしても混乱中で、どうにも理解が追いついていない』
「で、残った猫耳よ。
これでお前さんは、自分の意志で時空を跳躍した経験を持ったわけだ」
「そう……なるんですかね?」
「そうなるのだ。
完全に自分の意志で……とはいわないものの、今後は多少の融通が利くようになるだろう。
自分の存在について、だが……」
「はぁ……そういうもんですか……」
「そういうもんなのだ。
それで……これから先、どうするね?
これまでのようにあちこちをさまよい歩いて過ごすか、それとも、自分の意志でどこぞの時空に腰を落ち着けるか……」
「魔女さんは……自分のところに来い、とか、誘ってくださらないんですか?
あんなに調べたがっていたのに……」
「お前さんは観察対象だからな。
あまりこちらの意志を押しつけても、面白味がない。観察対象自身の意志でどのような選択をするのかを見極めるのが、観察の醍醐味だ」
「そうなんですか?」
「そうなのだ。
お前さんが望むのであれば、うちの塔に住んで貰っても構わないのだが……それは、俗世間との交渉を絶って引きこもることを意味する。
身の安全は保証できるが、まだ若いお前さんにとってはかなり退屈な生活になるだろう」
「……なるほどぉ……。
えーと、ですねぇ。
魔女さん。
例えば、これからお父様のいるところにいきたいなーとか思えば……」
「今のお前さんなら、ひとっとびだな。転移魔法と同じ要領だ。相手の居場所さえ確定しているのなら、造作もなくそこに移動できる」
「……若干、というか、かなり、そうする自信がないのですが……」
「ま、確かにまだ慣れていないからな。
もう少しの練習が必要となるか。
でも、最初の難関である、自分の意志で移動するということはクリア出来たのだから、もっと突っ込んだ使い方を学習するのも時間の問題だろう」
「そういうことですか。ではわたくしは……将来的には、どこにでも自由自在に移動とやらを出来るようになるわけですね?」
「そうならない理由がないからな」
「それを訊いて安心しました。
では、わたくしは……しばらく、この自由を満喫することにいたします」
「……おい」
「いつでも帰れるのなら……もうしばらく色々と見て回ってからでも遅くはないですよね?
これでもわたくし、箱入りでしたから屋敷の外にはあまり出たことがなかったもので……」
「本格的に、家出をするつもりか?」
「失敬な。
お父様のところに帰る途中で、ほんの少し寄り道するだけですよ。
今までのおはなしを総合しますと、わたくし、空間だけではなく時間も移動できる存在になったようですし、多少の寄り道については後でどうとでも埋め合わせがつくでしょう!」
「……こいつは……」
『で、どうなったの、ゼグス』
『猫耳は、箱入り娘から家出娘に進化したそうだ。
少なくとも本人は、そうなりたいと宣言した』
『……ふうーん……。
あ。
でも……』
『なんだ?』
『あの子にかかっていた懸賞金、どうなるんだろ?
本人が出頭しても、ギルドはお金くれるのかな?』
『……そのへん、突っ込んでみるか?』
「なるほど。
こいつの父親が懸けた賞金、か」
『そういうのがあると、あちらのニクルから聞いたのだが』
「それと……わたしが存在が不確定な猫に懸けた猫への懸賞金もあるな」
『そう……なのか?』
「ああ。前に、ギルドにかけあってな。
その二つを合わせると、かなりの大金になるはずなのだが……ふむ。
ちょっと待っていろ」
『ああ』
「おい、お前ら。
そっちの事業でまとまった資本金が必要だとかいっていたな?」
「え……ああ。
なんだ全裸、いきなり……」
「それは、ミスリルのインゴット十本分以上になるのか?」
「いや……さすがに、そこまでの大金は必要ではないが……」
「わかった。
では……ここにいきなり、どかんとミスリルのインゴット十本以上を出資してくれる金主が現れたとしたら……その金主を、丁重に扱うだろうな?」