106.ぜんらとねこみみ。
商人宿、飼い葉桶亭。
「……ふぅ」
どさ。
「今日も、変な一日だった……」
どさ。
「よう」
「おう。
なんだ、全裸か。
昨夜は、こっちに来なかったようだが……」
「あの魔王混じりを、いろいろといじくるのに夢中になっていたからな」
「……あまりいじるなよ。
ああいう、いたいけな子を……」
「あやうく魔改造する欲求に屈するところだったが、どうにか堪えきったぞ」
「それが普通だから。
そんなことで胸を張るなよ」
「ということで、安全性を高める以上のことはあまりしていないから、安心しろ」
「あまりしていない、というあたりですでに安心できないな。
ああ、それから……」
「なんだ?」
「ひょっとすると……いや、おそらく確実に、近いうちにこの宿を引き払うことになりそうだ」
「別の場所に移るつもりか?」
「いいや。
迷宮の中に、パーティのセーフハウスを借りるんだと。
おれはどうでもいいんだけれど、うちのパーティの女性陣がえらく熱心で、結局は押し切られた」
「ほぉ……。
それは、迷宮の中にあるのか?」
「まあ、そうなるわな。
義勇兵向けに造った邸宅が余っているから、安く借りられるんだそうだ」
「こちらにしてみれば、お前だんがどこにいようともあまり関係はないのだがな。
迷宮内ということは、それなりに利点もあるな。
このわたしも、いよいよ迷宮内に拠点を持つわけか……」
「……お、おい……。
なにも、あんたまで入り浸る必要は、微塵もないわけで……」
「なに、ただでとはいわん。
どうせ、家事やら雑事やらを行う使用人は、これから雇うつもりなのであろう。
だったら、うちのきぼりんを何体か貸して……」
「あれ、きぼりんっていったら、迷宮の中では魔法知識ばっちこいのエキスパートだから!
そんなのを家政婦扱いしていたら、もったいなくてしかたがない!」
「……そうか?
あんなの、木彫りの人形なのに……」
「その木彫りの人形を、無駄にハイスペックに造りすぎているんだよ、あんたは!」
「そうか……。
では今度は、もっと単純な作業しか出来ない、家事専用の人形でも造ってみるかな?
陶器でもいいのだが、あれは焼くのに時間がかかるから……いっそのこと、布と綿で自律制御のぬいぐるみでも……」
「そういうの、いっさいいらないから!」
「……いらないのか?」
「いらない。
ご近所の手前ってのもある。
あんまり、異様な風体のがパーティの家に出入りして欲しくない」
「……せっかく、引っ越し祝いにいいかなーとか思ったのに……」
「あー。
気持ちだけは、ありがたく頂いておく。
なんだかんだで、あんたには世話になっているしな。
最近では、ゼグスくんのこととか……」
「あれは別に、お前さんが気にかけることでもなかろう。
放置すれば、確かにかなりやばい案件だったのだが……」
「……後半、なんかものすごく不穏なことをさらりといってた気がするんだけど……」
「すでに適切な処理は施したから、今となっては問題ない」
「そうなのか?」
「そうなのだ」
「……ふぁ……。
まあ、おれの回りもギルドも迷宮も、まだまだ前途多難の問題山積み。
さっさと寝て、明日に備え……」
しゅん。
「……あら?」
「え?」
「あ!」
「あらあらあら。
これはこれは、お楽しみのところをお邪魔してしまったようで……」
「あ、いや……。
これとおれとは、まったくそういう関係ではないんだけれども……。
って、全裸に抱きつけれているこの有様でいっても、説得力ないか……」
「……そこを動くな!
猫耳!」
「きゃっ!」
「あ、おい。
全裸。
狭い部屋の中であんまり追いかけますなよ。
かわいそうに、すっかり怯えているじゃないか」
「黙ってわたしに解剖されろ!」
「はいそうですかと首肯出来るわけがありません!」
「逃げるな!」
「逃げます!」
バタバタバタ。
「あー。
もう、いい時間だし近所迷惑だから、いい加減にしろよー。
二人ともー……」
こんこん。
「ちょっといいかい? シナクさん。
階下の人から苦情が来たんだけれども……」
がちゃ。
「……あ」
「え?」
「あ?」
「あれまあ。
シナクさん、あまり羽目をはずしすぎないようにね。
いくら若いからといっても、あんまりがんばりすぎるのも……ねえ。
ああ。
いいからいいから。
下の人には、このわたしがうまくいっておくから。
それではみなさん、もう少し静かに夜を楽しんでいってくださいね。
うふふ」
ばたん。
「……ほれみろ。
お前らがあんまり騒がしくするから、またいらぬ誤解をされたじゃないか」
「あの……どうも、すいません」
「いえいえ。
もう、なんていうか……慣れっこなんですけどねー、こういうの……。
ははは」
「……ずいぶんと、わたしに対するときとは態度に差があるのだな……」
「黙れ全裸。
ここでの悪い誤解の元凶は、おおよそあんたに由来する」
「ぐ」
「で、だ。
猫耳のお嬢さん。
あんた、なんだかおれの周辺に出没しているような気がするんだけど……それって、偶然なのか?
一度は、この町からかなり離れた剣聖様の山荘にも出てきたし……。
これが偶然だとすれば、むしろそっちの方がすごいけどな」
「山荘……ですか?
確かにあなたとは、何度か顔を合わせているような気がするのですが……」
「気がする……。
ということは、記憶が明瞭ではないということか?」
「え?
ああ、そうです。全裸さん。
なんか……過去と未来……原因と結果が、こう、ごっちゃになっている感じで、頭の中で収拾がつかなくて……」
「……通常の記憶障害とは、異なる症状のようだな……」
「あの……すいません。
この全裸さんは……さきほど、解剖とかいっていましたが……お医者様なのでしょうか?」
「あー。
かなり高名な、魔法使いだそうだ。
治療も出来るから、医者としての役割もそれなりに果たせるのだろうけど……」
「高名な、魔法使いさん……ですか。
それで、わたくしを解剖したいと……ええ。
もちろん、解剖はされたくはありまえせんけどね。
ええ」
「あんたはすぐに消えるんで、こうして落ち着いてはなすのはこれが初めてだな。
その耳は、あれか?
生まれつきのものなのか?
異族にしては、ずいぶんと顔立ちがヒト族そのものだけど……」
「わたくしは、歴としたヒト族の、商人の娘なんですよ。
……あれ?
わたくしの名前、なんていいましたっけ?
お父様がかなり羽振りのいい商会のあるじであったことはおぼえているのですが……」
「なんだか頼りないな、おい。
言葉遣いからいって、育ちがいいとは思っていたが……大商会のあるじの娘さん、か。
そのへんを調べれば、あんたの身元は簡単に割れそうだな」
「え? 調べてくださるんですか?」
「調べるっていっても、心当たりにそれとなく聞いてまわるくらいしか出来ないけどな。
そんでもって、調べたからそれでどうなるってわけでもない。
大商会のあるじのお嬢さんが、猫耳になっている理由もわからない」
「これはですねえ……。
あの子を追いかけているうちに、いつの間にか……あれ?
わたくし、どうしてこんな姿になったんでしたっけ?」
「……記憶に欠落があるというよりは、因果関係がうまく理解できないのか……。
おい、猫耳娘。
その姿になってから、お前はどうやって過ごしていたんだ?」
「それはもう、あっちこっちに転々と現れては消えていきまして……基本、その繰り返しです」
「その間、食事や睡眠は? それとも、そういったものを必要としないくらい、短時間しか経過していないのか?」
「あれ?
そういえば、わたくし……。
お食事も睡眠も、もうかなり長いこと、摂っていないような……」
「……なるほど、な。
おい、おぼえておけ!
この男だ。
迷ったら、この男を捜せ!
お前なら、この男がみつけやすいはずだ……」
しゅん。
「……消えた……か」