86.まじょとまおうとねこみみと。
魔女の塔内部。
「……改造してぇ……」
『不穏な』
「こうして願望をわざわざ口にしているということは、実際にはやらないということだよ。
安心しろ。
しかし、お前さん、奇妙な具合に混ざり合ったもんだなあ」
『魔王の因子とやらか?』
「ああ。
遺伝子どころか、存在論レベルで浸食しようとしている。
しぶといというか、いじましいというか、生き汚いというか……」
『なんだかよくわからないが、その浸食とやらは阻止できそうなのか?』
「ああ?
このわたしを誰だと思っている。
魔王の残骸の一つや二つどうにかできなくて、なにが不眠の魔女だ。
お前さんの体の中から、魔王の因子を一掃することだって余裕で出来る。
それやったら、お前さんの生命維持も困難になるから、実際にはやれないけどな」
『……そうなのか?』
「実は、そうなのだ。
魔王の因子に取りつかれていなかったら、お前さんはとうにくたばっていたことだろう。
そのくらい、ボロボロだったんだ。本来のお前さんの体は。
だから、現在の焦点は、お前さんを活かす程度には魔王の因子を活性化し、なおかつ、体の主導権はお前さんが握り続けるバランスを維持するにはどうするか、ということになる。
剣聖の邸宅で与えた銀色の籠手は、いわば応急処置でな。
もっと根本的な部分で対策を講じる必要があるわけだが……」
『なら、さっさとそいつをやってくれ』
「対価は、どうする?
わたしとしても極めて珍しい症例だし、その調査だけでも充分元が取れるとも思っているのだが、同時に、お前さん自身がどれほど強固な意志を持ってこいつをどうにかしたいと思っているのか、確かめたいとも思っているわけだ。
お前さん自身は、なにを支払えるかね?」
『そういわれてもな。
おれは、この身ひとつを除いては、なにも持たない身の上だ。
支払える財貨なども持たない。
今のこの体に興味があるというのなら、このまま献体してもいいくらいなのだが……』
「まあ、待て。はやまるな。
今のその状態、あやうい均衡を保ちつつ、どうにかお前さんが自分の意志と生命を手放さないでいる状態こそが珍しいのだ。
死体の解剖からは得られる情報と所見は、所詮陳腐なものにすぎん。
だからお前さんには、天寿を全うするまで生きてもらう。そして、その様子も、内部から逐一詳細にモニターさせてもらう。
それこそ、細胞の一つ一つをトレースするくらいの精度でな」
『監視がつけられる、ということなのか?』
「監視というのとは、少々ニュアンスが違ってくるのだが……。
わたしが興味を持っているのは、お前さんの生命であって言動ではない。お前さんがなにをしようとお前さんの勝手だし、干渉するつもりもない。
わたしが知りたいのは、お前さんの体内でなにが起こっているのか、今後なにが起こるの……そういった、様態の変化だ。
とりあえず、モニターを目的としてナノマシンは入れさせてもらうぞ」
『……な、なの……』
「ふむ。
適切な語彙がそっちにないため、翻訳不可能か。
目に見えないくらい細かい機械をたくさんお前さんの体に植えつけて、それで常時体内の変化を記録させてもらう、ということだ。
ほれ、注射をするから腕を出せ」
『その針をさして、なのとやらを入れるのか?』
「ああ、そうだ。
害はないし、お前さんの体が異物と認識することもないはずだ。ちくっと刺すだけで、ほんの少しの養分と引き替えにあっという間に増殖し、血管を通してお前さんの体の隅々にまで増殖して監視をしはじめる。
実際には、微妙に健康を維持する機能さえあるわけだが……」
『あんたは、医者なのか?』
「ときにより、医者の真似事をすることもあるだけの酔狂な知的探求者だ。
ほれ、そんなに痛くはなかったろう。
針を刺したあとに、しばらくこの綿を当てて押さえておけ。
これで、今後、お前さんの体になんらかの異常が起こった場合、すぐにわたしが知るところとなるわけだな」
『あんたは、おれがこのまま生きることを望んでいるんだよな?』
「ああ、そうだ。
きわめて珍しいサンプルだからな。出来ればこのまま、手元において経過を観察したい」
『それで……結局のところ、おれはあんたになにを支払えばいいのだ?』
「ああ、そのはなしの途中だったな。
お前さんには……そうさな。
わたし好みの装備を纏って活躍してもらおう。
前に、その寝台に寝ていたやつは、自分で選ばせたら一番地味で堅実な武器しか選択しなかったからな。
あいつはどうにも、ケレン味に欠けるとことがあって、放っておくと地味な選択をし続ける傾向がある。
対抗馬のお前さんとしては、もっとこう、いちいちど派手な、人目を引きつける要素が欲しいところだな。
それこそ、なにか技を繰り出すたびに痛格好いい技名を大声で叫ぶとか……」
『……いったい、なんのはなしだ?』
「お前さん、これから冒険者というやつになるんだろう?
別の選択しもあるんだろうが……そいつが、金を得るためにも、こっちの世界に慣れるためにも、一番手っ取り早い進路だし、大多数のお前さんの同僚たちもそうした選択をしているとこだというし……」
『あの山荘の中にいたやつらと同じ仕事、か。
それがいやだというわけではないが……おれに、勤まるのか?
はなしを聞く限りだと、かなりきつくて特殊なスキルが必要な感じだったが……』
「自覚はないのだろうがな。
今のお前さんは、魔王の因子のおかげでたいがいの人間を余裕で凌駕する存在となっている。スペック的な意味でな。
あえて陳腐かつわかりやすい表現をするのなら、超人的な……いや、この場合は、魔王的な能力を持つに至っている。
今のお前さんなら、冒険者だろうと他の何者かだろうと、なりたいものになれるさ」
『魔王的な能力……ねぇ……』
「あとで、現時点の身体能力も測定する予定だが、そのときにいやでも思い知ることになるだろう。
あと二、三日は、この塔でその体を調査させてもらう予定だが……」
しゅん。
『……ん?』
「あっ」
「……あら?」
『……猫、耳……』
「あ!
お前!
ひょっとして……」
「……半裸の美少年に身を乗り出している白衣の女性。
どことなく、背徳的な香りが……」
「ゼグス、そいつをひっ捕らえろ!」
『え?』
「はやくしろ!
こうみえてもわたしは、体を使うことにはからっきし自信がないんだっ!」
「わたくし、捕まってしまいますの?
なぜに、そのような無体な真似を……」
「わたしの興味を引いたからだ!
ええい!
さっさと動かないか、ゼグス!」
『えっと……あの、でも……』
「ゼグスさんとおっしゃいますの?
そちらの、珍しい髪の色のお方……」
『……あんたの耳ほどでも、ないと思うけど……。
あんた、異族なのか?
それにしては、顔つきはヒトそのものだが……』
「これでも一応、ヒト族のはずですけど。
少なくとも、生まれたときには」
『ああ。
そうだな。
おれも、生まれたときにはヒト族だったはずだ。
今では、純粋にヒト族と断言できるのかどうか……』
「どうした拍子か、猫と、混ざってしまったようですから」
『こっちは、魔王だ』
「お互い、奇妙な境遇になりましたね」
『まったくだ』
「なにをしているのか、ゼグス!
ほのぼの世間話をしている場合か!」
『いや、だって……この人、本当に捕まえなくちゃあ駄目か?』
「あちらの白衣の方がわたくしを拘束したいとおっしゃるのなら、わたくしとしても協力をするのにやぶさかではないのですが……。
いかんせん、目下のところ、わたくしの居場所はわたくしの居場所はわたくし自身の意志では固定できない状態ですので、無駄な努力に終わるかと。
こうしてはなしている間にも……」
しゅん。
『……消えた』