30.おうじ、どうこく。
迷宮内、帝国大学分室ピス族保有知識審議会。
「……こちらが、腐り水……皆様方のいうところの、原油にあたるものではないかと……」
『サンプル提供に感謝する。
成分分析の結果は、おってお知らせしよう。
これは、地上に沸いたものであるのか?』
「残念ながら、この世界には地中奥深くに埋蔵しているものを掘り出す技術がございませんのでな。
某国の沼地にわき出していた油を採取して、取り寄せたものにございます」
『どれほどの量であるのか?』
「その沼地は、この腐り水が水面上に分厚くはりついておるため、草木も生えぬ不毛の地と化しております。
沼地の面積はさほど広いとはいぬものの、臭い水の厚さは人の背丈に数倍するほどであるとか……」
『それほどのものか。
これを無事に精製することができれば、われらの車両や機械なども迷宮外で恒常的に作動させることが可能となる。
知性機械は、迷宮の外に動かすつもりはないが……』
「ええ。
先生方もおっしゃっておりましたが、あの機械に収納された知識の中には、われらの世界にはいささか刺激が強すぎるものも多々あり……ここの場で、外部に出してもよい情報と、決して外に出してはないらない情報、この峻別を厳しくおこない続ける必要があるかと」
『それが、この世界のためでもあるし、われらピス族の存在を安泰にするためでもある。
ギルドから、この町の郊外に広がる原野を農地として開拓する案が提出されているが、これなどは帝国的な規範としては許されるものなのか?』
「記録にあった、機械力を生かした大規模農場でございますか?」
『とはいっても、この企画書によると、ピス族の機械が投入されるのは、最初の土壌改良の段階だけのようであるが……』
「いずれにせよ、資本と人力を集中的に投下して農園を経営する方法は、今のところ前例が報告されておりません。
ギルドの主導でおこなうということであれば、帝国も農学者を呼び寄せて経過を見届けさせていただきたく存じます」
『実際に作業に入るのは、雪が溶けてからになる。
その他に、周辺地域とこの町を結ぶ街道も、何本か増やしたいそうだ。
迷宮の外で機械が使えるようになると、様々な仕事も捗るのだがな』
剣聖所有山荘内。
「……まさか、いきなりおれの褒め殺し大会が始まるとは思わなかった……。
おれ……ちょっと気疲れしすぎたから、もう寝るわ……」
「あっ。
まだいいではないか、シナクよ。
おぬし、温泉にもまだ一回しか浸かっておらぬであろう。
今度は熱燗でも飲みながら……」
「……いや。
仮にまた入るにしても、今度はひとりで、誰もいない時間に入りたいです。
ではみなさん、おやすみなさい」
「そうか。もう寝るか。
それではわたしも……」
「ちょっと待て、魔女!」
「なにか?」
「なにかも、なにも……。
また、シナクと一緒に寝るつもりではないだろうな?
全裸で」
「当然だろう。
あいつはわたしの抱き枕なのだからな」
「いいや、ここでは当然とはみなさぬ!」
「なにをいきりたっておるのだ、魔法剣士に帝国皇女よ。
一度は四人で枕を並べた仲ではないか」
「だからだ!
あのときはうまうまとおぬしのペースにはめられてしまったが……」
「そうか?
みな、かなり積極的でノリノリだったような記憶が……」
「……とにかく!
今宵、この場ではおぬしの欲するままにはさせん!」
「……えー……」
「露骨に不満そうな顔をするな!
おぬしは毎晩のようにシナクを抱いて寝ておるのであろう!」
「そうだが、それがなにか?
なに、やつには少し、貸しがあるのでな。
あれも妙に義理堅いところがあるから、その貸しを返すまで、こちらのいうことには逆らわん」
「そんなけしからんことが許せるか!
魔女よ、今宵は少々つきあっていただこう。
なに、退屈はさせんから安心しろ」
「……ほう。
花札か……」
「ちょいとした、運試しよ。
これで勝利した者が、今夜、シナクとともに寝るという案はどうか?」
「では、コニスちゃん。
われわれもお風呂に入って寝ることにしましょうか」
「はいはーい!
そうしましょう、そうしましょう!」
「今夜はもう、お開きのようですね。
興味深いはなしも聞けましたし、われらも部屋に下がりますか、姉さん」
「そうね。
冒険者の中にも、面白そうなのやまともそうなのがいるとわかっただけでも収穫だわ」
「まるで、まともじゃない冒険者と面識があるかのような口振りが気になりますが……」
「気のせいよ、テリス」
「くそっ!
リア充どもめ!
くそっ!」
「……ちょっといいっすか、王子。
王子様って地位を考えると、もうお子さんがいてもおかしくない年齢だし、許嫁の一人や二人、いらっしゃるはずでしょう?
なのになんだって、そう、他人の男女関係をうらやみますか?」
「理解していても容易に解消できないのがルサンチマンだ!」
「……うわぁっ!」
「いいか、ハイネス。
確かに、余の地位ならば女性には不自由せん。 父王が子宝にめぐまれなかったこともあって、自薦他薦の正姫婦人候補はダースで数えた方がはやいくらい来ておるし、周囲からもよき後宮をしつらえてさっさと後継者を作れとせっつかれておるほどだ」
「リアルハーレムっすね。
まことに結構なことじゃないっすか」
「結構なことがあるか!」
「……うわぁっ!」
「家系を絶やさぬため、必要に迫られて政治的判断で差し出された下心満載の女たちが集うリアルハーレム!
そこにロマンはあるか? いや、ない!」
「王子……。
王子は、女性が好きなのではなかったんですか?」
「女性は好きだとも、もちろん!
しかしそれ以上に、この余を女性が好いてくれるというシュチュエーションが好きなのだ!
リアルハーレムにあるのは子作りだの縁組みだのというリアルな事情だけで、個々人の思惑なぞおおよそ省みられることはない!
余はなあ、女性が好きである以上に、女性にモテたいのだぁ!」
「……やっぱりこいつ、殴りてぇ……」
「あらあら。
王子様、女に夢をみるお年頃なのねぇ……」
「おなごにモテるのなぞ、造作もないことであろうに……」
「カス兄ぃは、昔っから城下でやりたい放題のことやってたからな!
町娘どもにも騒がれておったしな!」
「おぬしもやりたい放題やってみればよかったではないか。
……いや、こっちに来てからは、派遣軍の総司令官職をなげうってまでして冒険者になったり、それなりにやりたい放題やるようになったか……。
その割には、身辺におなごの影が見あたらないが……」
「しょせん、カス兄ぃには、モテる男にはモテない男の心情は理解できん!」
「ははははは。
そんなもん、理解したくないに決まっておる。
だが愚痴にはつき合ってやるから、まあ飲め」
「……リア充、爆発しろぉ!」
「王子様の扱いになれてるなあ、カスクレイド卿」
迷宮内、先進医療センター。
「……生理食塩水、王国軍の重傷者にも効果がありましたね」
「生物学的には、どうやらわれわれヒト族とほとんど同じであるらしいな。
ピス族のいう、遺伝子とやらを解析することが出来れば、もっと詳しいことも判明するのであろうが……」
「失血によるショック死を回避するため、生理食塩水の愉液が有効であることが証明されただけでも、今はよしとしましょう。こちらは、特殊な例外を除いて大半の異族にも適用できる療法ですし、臨床では大いに役立つはずです。
血液型の判定法と輸血実験の追証実験の結果も、各地で行われているところですし……」