74.たいりくほう、あれこれ。
商人宿、飼い葉桶亭。
どんどんどん。
「……どーぞくくぅーん! どーぞくくぅーん!」
「……うーん……。
なんだ、こんな朝から……ふぁ……。
今……今、開けますから……。
あ。
せめて、下くらいは履かなければ……。
はいはい。
今……開けますからね……」
がちゃっ。
「……どーぞくくぅーん!」
がばっ!
「……ん?」
「すごいのね、あのきぼりんちゃん。
一度見聞きしたものは忘れないって完璧な記憶力は!
あたしも欲しいくらい!
それでね、どーぞくくぅーん!
あの子もう地の民の言葉もリザードマンの言葉もすっかりマスターしちゃったから、この預かり物のコインを返しに来たんだけど……」
「……ちょ……いきなり、抱きついて……そんなぐるぐる回っても……目が回るっていうか……先生? リリス博士なのか?」
どさっ。
「……ぐげぇ!」
「ぐげぇ?
あら。
ベッドの上に、先客……」
「……いいから、さっさとどけ」
「はい、先生。
おれからも、体を離してくださいねー」
「……けちぃ……」
街路。
「……ふぁっ。
大丈夫かな、あの人たち。
雲行きが怪しくなりそうだったんで、着替えと荷物だけを持って、そのまま部屋に置いて来ちゃったけど……。
あわてて朝飯も食ってこなかったから、どっかの屋台でなにかかき込んでいくかなー。
迷宮にある食堂は、今の時間帯は激戦区だと聞いているし……。
お。
あそこの、粥の店でいいか」
「シナクではないか!」
「ああ、リンナさん、おはよう」
「いつもより早いな」
「ああ。
朝から、珍客が来まして……」
「珍客?」
「リリス博士。
これ、わざわざ返しに来たんですよ。
それでたたき起こされて……ふぁ。
宿でメシも食いそびれたから、ここの屋台でかきこもうかなと……」
「……ほぉ……」
「なんですか、その目は」
「おおかた、あの魔女と博士が鉢合わせして気まずくなって、早々に逃げてきたのであろう」
「その通りですけどね。
おじさん、このミルク粥ってのを一杯ね」
「はいよー」
「おぬしもぼちぼち態度をはっきりせんと、周囲に誤解をばらまくばかりだぞ」
「……ずず……はあ、暖まるなあ。
態度? 誤解?」
「……これだから……。
それ、さっさと粥でもなんでもすすって、今日の仕事にいくぞ」
迷宮内、管制所。
「今日は、昨日ほど他のパーティのやり残しはなさそうですか?」
「ええ。
おかげさまで……その手の案件は数が少なく、ルリーカさんとバッカスさんのコンビで手が足りそうです。
代わりといってはなんですが、大量発生により封鎖されていた地域が今日より解放されることになりました。
シナクさんたちのパーティには、そこの探索の続きをお願いします」
「はいはい。
いつもの通りのお仕事ですねー」
迷宮内、某所。
「売店、混んでましたね」
「例の式紙とやらが、正式に発売されたからの」
「使いようによっては、戦闘行為自体を激減できる代物だからな。
昨日、試用したパーティのはなしも伝わっているし、みな、競うように買っておったわ」
「実際、あれ、かなり楽できるからなー。
そういや、あれ、どれくらいの価格設定にしたんです?」
「どの式紙も、三十枚セットで銀貨一枚にしたとかいっておったの。
その値段に決めたのは、コニスであるが」
「三十枚で、銀貨一枚かぁ……。
銀貨っていうと高価に思えるけど、三十枚だし、実際の式紙の効果を考えると安い気もするし……微妙なラインだな……」
「拙者は発案者であるからな。
いくらでも、それこそ湯水のように使えるぞ」
「リンナさん自身が魔法を使った方が、早くありません?」
「一概に、そうともいいきれんな。
あれらは一応、自分の判断でうごくようになっておるし……それなりに、複雑に術式を組み合わせておるし……」
「そんなもんなんですか」
「そんなもんだ」
「ところでシナクよ。
今日は、いっこうにモンスターと遭遇せぬが……」
「はずれの日かもしれませんが……まだまだ、油断はできませんよ、ティリ様」
「油断はせぬ。期待はしておる。
昨日のように次から次へとモンスターを討伐する仕事の方が、わらわは性に合うようじゃ」
「そりゃ、そうでしょう。
っと、いったはしから……」
「……そりゃ!」
ずしゃ。
「やはり、遠方のモンスターを最初に見つけるのはシナクであるな。
シナクがいれば、式紙子鹿とやらは無用なのではないか?」
「ははは。
違いない」
「発案者が笑ってどうするんですか、リンナさん」
「そうはいってもだな、シナク。
シナクのその集中力というか獲物をかぎつける勘は、一種独特の鋭敏さを持っておることは、確かだ」
「あっ。もう一体」
「せいっ!」
ざっ。
「ほれ、みよ」
「その割に、指さすばかりで自分で葬ろうとはせぬし……」
「それは、お二人があまりにもやる気満々でいらっしゃるから、水を差しては悪いなーっと、遠慮しているだけです。
どうせ大物と遭遇したら、先頭にでるのはおれですし……」
「それもそうか」
「はい、そこ」
「やっ!」
ずしゅ。
「この術式付加というやつも、離れた場所を攻撃できるのはいいが、反撃がされない分、退屈に感じてしまうのが玉に傷よの」
「……迷宮の奥深くに入りながら退屈を感じられるのは、ティリ様くらいなものです。
それに……あ、また」
「はいっ!」
ざっ。
「それに、今後も、敵のモンスターが遠くから攻撃をしかけてこないとは、限りませんよ。
今までだって、またっく例がないわけではないし……下手をすると、魔法を使えるようなモンスターだって、出現するかも知れない」
「魔法、か。
だが、魔法を使えるということは、それなりの知能があるということであろう。
だとしたらそれは、モンスターというても例の帝国官吏の領分なのではないか?」
「大陸法で権利を認められる異族の定義は、主に二つ。
一つは、道具や言語を使用する知能があること。
もう一つは、大陸共通語に翻訳可能な言語を使用していることです。
もともと、ティリ様のご先祖様が、交易を振興させようとして制定した法ですから……」
「たとえ知能が高くとも、ヒトと対話が不可能な種族は、異族とは認められない」
「かろうじて対話は可能であるが、敵対種族と認定されて保護されない種族もある」
「よっ」
ざしゅ。
「代表的なところだと、亜種も多いオークとか……」
「みつけたら、即、討伐対象となるヒト型モンスターの代表であるの」
……うぉぉぉぉぉぉぉぉん……
「ん?」
「あ」
「お」
「かなり前、ここに流れてくる前だけど、ジャイアントオークの討伐をしたことがあって……そんときに、聞いたような声だな」
「噂をすれば影、かな?」
「まだわかりませんけどね。
声だけでは、なんとも判断できません」
「この先に、いってみればはっきりするじゃろ」
「その前に……よっ!」
ずしゃ。
「慎重さを、忘れずに。
大物の前にでる前に、負傷者を出して出直すことになったら……ティリ様なら、悔やんでも悔やみきれないでしょう」
「まったくじゃ!
せっかくここまで来たのじゃ。
オークかなにか知らぬが、大物の一体やニ体、狩っていかんと格好がつかん!」
「大物狩りは、昨日さんざんやってきましたけどね……」
「それとこれとは、はなしが別であろう」
「そういうシナクも、難敵を目前にしたときが、一番生き生きとしておるからの」




