71.めいきゅうにあんねいなし。
迷宮内、某所。
「バッカス、そこで止まって。
それ以上、進んではいけない」
「わはははははははは。
わかった。
この先に、なにかあるのだな?」
「あの部屋に入ったものは、体が硬直して動かなくなると報告されている。
直接、攻撃された様子もないことから、邪眼持ちのモンスターがいる可能性が高い。
報告者は、硬直した前衛を引きずって持ち帰った後衛。
硬直した者は、そのときの姿勢のままで寝台に横たわっている」
「……近づけないのか?
どうする?」
「そんなときこそ、これ」
「わはははははははは。
なるほど」
「「……式紙、瓜坊! 起動!
いけぇっ!」」
「「ぷぎぃっ!」」
ギルド本部。
「場所を貸して欲しい、ですか?」
「ええ。
ようやくなんとか最初の人選がすんで、わが軍も対迷宮用の訓練を開始するはこびになったわけですが……なにぶんこの季節、外は一面の雪。
なにより、本番の場所にできるだけ近い環境で訓練を行いたいので……」
「それで、迷宮内の空間を貸してくれ、ですか……」
「ええ。
そちらの研修所との合同訓練も考えてみたんだが、こっちはどうしたって大人数になってしまう。
試験的に実施する初回の訓練生だけでも五百名を越え、それがうまくいくとなればその十倍以上の人数に、一気に膨れ上がるって寸法だ。そうなるってえと、どうしたって客分としての分を越える。そちらさんにとっても、いい迷惑でしょう。
もちろん、タダでとはいいません。今回の訓練には相応の予算もついておりますから、その中からこちらのギルドへ相応の見返りを用意させてもらいます。
適切な迷宮内空間の賃貸と、そこへ出入りできる転移陣の敷設、それに……」
「訓練用の資材、施設の用意。
あとは……什器や事務器、紙や文具類などの細々としたものも、ご入り用でしょうか?」
「へへへ。
よく、おわかりで。
そこまで一括してお世話いただいた場合の、見積もりなどを出していただいて……」
「ギルドといたしましても、王国軍とは良好な関係を保ちたいので、可能な限り勉強させていただきます。
とりあえず、今回は、五百名前後の訓練生を受け入れることが可能な床面積があればいいのですね?
それから、食事の用意はいかがいたしましょう? 混雑する時間をはずしていただければ、修練所の食堂も利用していただくことも可能ですが……」
「では、食堂の利用料も込みで、見積もりをお願いします」
迷宮内、某所。
「進めない……だと?」
「ええ。
どうも……透明で巨大ななにかが、通路を塞いでいるみたいで……。
強引に武器でそのなにかを引き裂いて通ることも考えたそうですが、なにぶん、ここは迷宮です。その結果、なにが起こるのか予測できない。
それで、大事を取って引き返してきたそうですが……」
「それが、わらわたちのところにたらい回しにされてきた、というわけじゃな」
「で、どうします?
武器の術式で押してみると、かすかに弾力があるなにか硬いものが、確かにあるようですが……」
「弾力のある、見えない壁……か。
拙者の魔法で、吹き飛ばしてみるかの?」
「あの見えないのの中から、毒液とか毒ガスとか出てきたらどうするんです?」
「む。
では逆に……カチンコチンに凍らせてから、破砕するか?
それならば、確実であろう」
「……それは、よさそうな案ですね。
お願いできますか?」
「よし、ではいくぞ。もう少し、退いておれ。
……………………断絶氷獄陣!」
「……うわっ!
本当に、急に冷えてきた……」
「ふふん。
この気温であると、顔に霜がつくな」
「物理的な限界まで、あの透明ななにものかの温度を下げたからな」
「……魔法、すげぇ……」
「なに、周囲にある迷宮の魔力を使用できるからこそ、可能な芸当。
ほれ、急いであの透明なのをかち割らないと、冷気にあてられたわれらの方が体を壊すぞ」
「……ですね。
では、景気よくいきますか!
……ごっ!
硬ってぇ……」
「限界近くまで冷えておるからな。
それだけ、凍り方も固くなる」
「で……勢いをつけた上に、術式で、野太刀の質量を増して……でやぁー!」
ガキッ!
「この! この!」
ガッ! ガッ!
「……はぁ。
こりゃ、時間がかかりそうだな……」
「……灼熱刀!」
ずばっ!
「……あっ。
魔法剣!
リンナさん、ずるい!」
「ずるいもなにもあるか。
常々、シナクも魔法を覚えるようにといっておるのに……。
ほれ、手を休めるな」
迷宮内、修練所。
「……とまあ、修練所の施設は、このようなものであるな。
これで、一通り説明したかと思うが……」
「わざわざ案内していただき、誠に有り難く……」
「なんのなんの。
普段、使い慣れておる場所をまわって軽く説明するだけのこと。
おぬしには、知恵も貸してもらったことだしな。この程度の礼は当然のこと……」
「それはそうと、王子様。
冒険者になる、という決心には、変わりはありませんぬか?」
「ない。
大きないくさがないこの世界、余はこのチート能力をなんのために得たのか今まで不思議に思っておったが、この迷宮へ来て初めて使いどころに得心した。
余はまさに、この迷宮を制覇するためにこの世界に転生してきたのに相違ない!」
「そのような戯れ言はさておき……決意のほどがそこまで強固ということであれば、もはやなにもいいますまい。
王子様生来の特性から考えても、よほどのことがなければ身の安全も保障されていることでしょうし、これと決意した王子様の行く手を阻めるもの、そう多くはないはずです」
「ふむ。
司令部が余をあえて連れ戻そうとせぬのも、そういった事情が多いからだと予測しておる」
「立場上、公然とお助けすることはできませんが、これからもどうかご壮健であれ」
「おぬしらもな。
軍務に携わる者にこういうのもなんであるが、達者で暮らせよ」
迷宮内、某所。
「わはははははははは。
狒狒の群れか?」
「そう。狒狒の群れ。
ざっと見、三十匹以上。
一体と交戦しはじめると、他の狒狒も寄ってくる。
前に遭遇したパーティは、多数対少数の戦いになるため、勝ち目なしと判断して撤退」
「わはははははははは。
リンナが作った式紙があれば、そのパーティだけでも対処できたかも知れんな」
「そうなれば、今後は、ルリーカたちの出番も減る。
今から追尾型の攻撃魔法を駆動するから、もしあの狒狒たちがこちらに気づいて寄ってきたら……」
「わはははははははは。
むろん、ルリーカには指一本、触れさせん!」
「……ファイヤーバード、アイスバード、ウィンドバード、サンダーバード……。
アクティブモード、起動」
迷宮内、某所。
「透明ななにか、とやらを凍らせて割ってきたはいいが……なにか、この場所……妙に空気が湿ってはおるまいか?」
「いわれてみれば……。
それに、気温も……なんだか、なま暖かくて……」
「……匂いも……。
どことなく、生臭いような……」
「あれからだいぶ歩いたが、その間、モンスターの影すら見えぬのことも気になる」
「まてよ……。
この壁……湿ってる!
それに、地面も! なんか粘っこい!」
「……これは……まさか!
シナク! 帝国皇女!
壁や床を、武器でひっかいてみよ!」
「……こうか?
わっ!
壁から血が出た!」
「床もじゃ!」
「一目散に、透明ななにかを壊した場所まで後退する!
これは……ここは、迷宮の通路に擬態した、モンスターの体内だっ!」