64.てりす、しどう。
王国軍、将校用天幕。
しゅん。
「……まだ、テリスは帰っていない。
ダミーのアバターを消して……。
さて……まだ少し、この顔の皺が完全に消えるまで、寝たきりの病人でいましょう。
以前通りの容貌を取り戻したら、んふ。んふふふふふふ。
そう、何とか口実を作って、迷宮に。
できれば……冒険者になろうと軍から飛び出した王子に、直接、取り入って……。
かなりの変わり者で、奇矯な言動が多いと聞くが、所詮、世間知らずの王族。
直接あってしまえば、手玉に取るのはたやすい……」
レスピス邸内。
「……結局、なにしに来たの、あの人?」
「彼の中には、魔法使いのあるべき姿というものが確固として存在し、このような札を率先して製造、販売するルリーカの有り様は、その理想像から逸脱していた。
だから、ルリーカの意図をわざわざ確認しに来た」
「に、しては……ずいぶんとまた、あっさりと帰って行ったけど……」
「おそらく、彼の中で、今まで抱いてきた魔法使いの理想像が正しいものであったのかどうか……疑念が、生まれはじめている。
明らかに、彼は途中から動揺していた」
「頭でっかちの若造には、よくること。
いってしまえば、それだけのことであるが……なにしろやつは、王国軍魔法兵の頭領であるからな。
今後、どのような影響を及ぼすことやら……」
「……不安を煽るようなことをいわないでくださいよ、リンナさん」
「影響といっても、必ずしも悪い方にばかり転がるものではないぞ、シナク」
「それでは、リンナさんは、いい方に転がるって予想しているんですか?
確かに、今のを見ていると、前にレニーに聞いた印象よりは、よっぽど素直な反応だとは思いましたが……」
「いい方に転がる、ともいわん。
あやつ一人がどのように変わろうとも、やつが所属するのは王国軍という巨大な組織。結論をいってしまえば、大勢に影響するほどではなかろう。
ただ、やつ個人のことについていってしまえば……やつが変われば変わるほど、周囲との軋轢を生み、溝が深くなる。
あの手の優秀な若者が、それまで身を置いていた環境や価値観に一度疑念を抱きはじめるとなると……苦労は、するであろうな。
その苦労を乗り越えて、周囲を自分の方に同調させるかとが出来るかどうか……それが、見物ではあるな」
王国軍、魔法兵詰め所。
「迷宮内を、見学……ですか?」
「ええ。
われら王国軍は、迷宮内でどのようなことが起きているのか、あまりにも知らすぎる。名目上は、迷宮派遣軍であるはずなのに……」
「ですが……そうした作戦を考案するのは、参謀本部や司令部の仕事であるはず。
下手に動くと、管轄を侵すことにはなりませんか?」
「聞くところによると、かの野盗狩りのグレハムは、司令部に申請を取って休暇を得、敵地である迷宮を視察したそうだ。それも、わが軍にわずか数日だけ先行してな。
われら魔法兵も、それ習うことにしよう」
「全員で休暇を取らせるのですか?
テリス様がおっしゃるのなら、従いもしますが……」
「いいや、勘違いするな。
今後の参考にするため、魔法兵に迷宮を見学してください……と、そんな風に司令部に上申してくるのさ。
素直にな」
「司令部が、こちらの思い通りに動いてくれますかね?」
「こればっかりは、なんともいえないが……資材が到着し、本格的に城塞の建造に着工するまで、あと数日の猶予がある。
その間、われら魔法兵は、手が空いているからな。
うちの司令部は、あれで寛容なところもあるから……案外、下手な小細工なぞしない方が、こちらの提案を呑んでくれるのかもしれない」
王国軍、司令部。
「魔法兵が……迷宮を、見学……ですか?」
「はっ。
申請の書類が、たった今届きました」
「テリスくんの直筆ですね、これは……。
さて、何を考えていますやら……。
だがこれも、職務に忠実な姿勢に、見ないこともない……。
最初の資材が届くまでには、まだ間がありましたね?」
「はっ。
到着は、明後日以降の予定であります」
「いいでしょう。
それまで、魔法兵もあまりやることがありません。基礎工事の為の穴掘りは、一般兵士がいくらでもいることですしね。
明日、丸一日、魔法兵の仕事を開けてください。
魔法兵へは、明日一日で見学をすべて終了するようにと。
冒険者ギルドへの繋ぎも、お願いします」
ギルド本部。
「王国軍の魔法兵が……見学、ですか?」
「はい。
たった今、申し込みの書状が届きました。
面倒くさいし、断っちゃいますか?」
「そうしたいのは山々ですが、そうもいかないでしょう。
このギルドには、王国からもお金を出してもらっているのですから」
「では、了承するということで」
「あ、フェリスさん。
明日はその魔法兵さんたちの案内をお願いします」
「このフェリスがですか?」
「ええ。
くれぐれも、粗相のないように。
それから、出来るだけオープンに」
「はい。
そうと決まれば粉骨砕身、このフェリス、オープンかつ慇懃無礼に……」
「いいから、王国軍への返信を書いちゃってください」
「はい」
「魔法兵……ということは、現場を見たがった場合、やはりルリーカさんのパーティと同行させた方がいいんでしょうか?
リンナさんも魔法を使えますが……シナクさんのパーティは、あの速度に追いつくのがまず大変ですものね。
魔法使いの軍人さんなら、何とかしてしまう気もしますが……」
商人宿、飼い葉桶亭。
「で、今日の変わったことは?」
「こうしていちいち報告するのも、面倒だよな」
「いいではないか、それくらい」
「ま、いいけんどな。
あ、きぼりん、いきなり増えてたけど、あれは?」
「ああ。
きぼりん本人から、多忙につき、もっと多くのボディを使ってもいいか、って提案があってな。
あいつが自発的になにかして欲しいっていってくるのも珍しかったんで、許可した」
「へえ。
あいつ、おねだりとかしたことがないのか?」
「形こそはヒト型だが、生物ではないからな。根本的な部分で、欲望というものが欠如しているんだ、あれは。
最初から生きてはいないから、死の恐怖とも無縁。生存本能もない。そんな存在がなにかをねだってくるのは、きわめて珍しい」
「そんな存在に、人間のことを学んで、人間に近くなれと命じているのか、あんたは」
「ま、座興だ。
それでも、予想以上にいい成果をだしているからな、あれは」
「欲望がないくせに、おねだりをするくらいには?」
「欲望がないくせに、おねだりをするくらいには」
「それから、トーチカ虫ってのが出てきたな。
どっかーんって、砲弾を打ち出す虫。でかいけど、あれは虫の一種だと思うけど……。
いや、カニか?」
「どっかーん、か」
「ああ。
どっかーん、だ。合計三発も発射された。
防御術式のおかげで事なきを得たが……あれは、幸運以外の何者でもなかったな」
「防御術式……お前さんの、あの、兜とか胸当てか」
「そ。
あんたみたいな規格外にしてみりゃ、それこそオモチャみたいなもんなんだろうけど……」
「そうでもない。
なかなか巧妙なものだ」
「あ、そ。
いずれにせよ、そいつで命が助かったんだから、文句はいわないけどな。
あとは、王国軍の魔法兵のお頭だとかいう若い男と、ルリーカの屋敷であった」
「ああ、あれか」
「知ってるのか?」
「ちょっとな。
あの男も、今後、どう動くかなー」