26.それぞれのよる。
商人宿、飼い葉桶亭。
「揉め」
「その無駄にでかい脂肪袋をか?」
「違う。
いや、そっちでも別に構わないのだが、まずは肩だ。
その次に、背中」
「……いいけど……。
仕事から自室に帰ってきて、第一声が、揉め、はないよな。全裸仁王立ちで待ちかまえているし。
しかし、あんた、こんな時間からおれの部屋に来ているの、珍しいな?」
「そうだな。
今日はちょっと、やりつけない仕事をするはめになって……。
あっ。
そこ……もっと強く……痛い。
もうちょい、弱く……。
うん。
そうそう。その調子……」
「やりつけない仕事?」
「ああ、そうだ。
躾のなってないガキどもにお灸を据えて、その他、簡単な商談をちょこちょこと……。
人に会うってだけでも気疲れするのに、強気Sっ気三割り増し若干妖艶入った仮装人格組み上げてそのペルソナをかぶって……の交渉となると、なあ……疲れ方が、違う。
やっぱ、あれだ。
わたしは、人に会わない方がいいな」
「その結論はどうかと思うけど、意外なことに、あんたはあんたで、仕事らしきこともやってたんだな」
「基本、研究三昧で、本当はこんな面倒なことはやりたくないんだがな。
それでも、どうしても避けられない仕事というのがときおり、発生したりするわけだ。
これも、しがらみってやつかな……」
「しがらみ……あんたが一番、無視しそうな単語だ」
「普段なら無視するところだが、今回の場合、避けられなかった」
「ま、しがらみだしな」
「そ、しがらみだから。
んっ」
「強かったか?」
「いや、そうでもない。
ただ、指の位置がずれたから、思わず声が……。
あっ……。
また……」
「いやらしい声を出すなよ。
わざとじゃないのか?」
「誰がいやらしい声など……んっ。
も、もういい。
今度は、背中から腰にかけて、頼む」
「はいはい。
一応、命を助けられた恩義があるしな。
これくらいは……」
「そうそう。
肩胛骨のあたりから……ふっ。
時間といえば、お前さんも、いつもよりずいぶんと早いお帰りだな」
「ああ。
今、王国軍の兵士が町にあふれていてな。
酒場にも入れなかった」
「そういうことか。
あの人数だしな。
この町のキャパシティを考えたら、当然の帰結ではある」
「しかし、マスターのところが長く使えないとなると、情報交換に支障をきたすな」
「数日で、なんとかなるのではないか?
こんだけの人数がいるなら、それをみこんで新しく商売をはじめる者も増えるはずだ。
それに、軍隊に慰安施設はつきものだ。
おっつけ、野営地周辺に兵隊向けの酒場なりなんなりが軒を並べるはずだし、そうなれば、町の方も少しは沈静化する」
「とくにマスターのところは、この町の酒場の中では、それなりに値が張るし……第一、女がいないからな。
ほかにいくところができれば、兵隊どもも自然とそっちに流れるか。
しかし、それでも数日はこのままだろうな」
「数日くらいは我慢できるだろ」
「我慢とかいうより……おれはどうでもいいんだけれど、ギリスさんあたりが、今、難しい時期だから、みんなに相談したがるんじゃないかなーっと……」
「ああ、ギルドの女か。
あの女も、あれでなかなかしたたかでいろいろ準備しているようだぞ」
「そうなのか?」
「そうだとも。
お前さんあたりは、水面下での目に見えない戦いにはあまり気にならないんだろうが……。
もし気になるようなら、本人に直接聞いてみるか、武器商人にでもたずねてみるがいい」
「ギリスさんとコニスね。
その二人に聞けばわかるんだな」
「はなしを聞ける、というだけだ。
そのはなしをお前さんがきちんと理解できるかどうかは、また別の問題だな」
「ああ、はいはい。
そうでしょうとも」
「あー。
お前さん、意外と、揉むのうまいな……。
だんだん、気持ちがよくなってきた。
お前さん、冒険者引退したら、こっちで食っていけるぞ」
「そーですねー。
そのうち、考えておきますわ」
「……んー……。
本当に、気持ちよく……」
「……寝たか。
さて、体を拭いて、おれも寝よう」
王国軍、総司令部。
「……報告は、以上となります」
「ご苦労。
さて、みなさん。
かねてよりの手筈どおり、明日よりこの派遣軍は、本格的に活動を開始します。
まず、この地図を見てください。
この町は、元は鉱山であった山の麓に位置しています。迷宮の出入り口となるのが、ここ。そして、町は、ここに位置します。
われら、王国軍はこれより、総力を持って、迷宮の入り口と町とをすっぽりと覆う形で、城塞の建築を開始します。
これは、来るべき迷宮からのモンスター大量発生をみこし、それらモンスターが他の地域へ侵攻するのを防止するための防波堤として機能します。
すでにこの工事のために膨大な予算も計上され、当地の領主の承諾も得ております。初期の工事に必要な資材なども、着々と当地に向かい、移送されてくる最中です」
某邸宅。
「どうですか、コニスちゃん。
例の、包囲網の進展は……」
「順調、順調。
怖いくらいに、うまくいってるんだね!」
「ここに来るまで、何ヶ月も前から布石を打ってきましたからね。
いかな高級軍人といえど、高貴な女性たちにはかないませんよ」
「特にヘレドラリク卿は、有能ではあるけどその分、融通が利かないからね!
趣味も禄にない仕事人間だってはなしだし、社交界への出入りもお義理程度だし!」
「そこが、仇になります。
さて……場合により、王国の名だたる重鎮たちの奥方が、彼の罷免を要求してくると知ったら……彼は、どんな顔をするのでしょうか?」
「理で動く人は、えして感情でうごく人のことが理解できない!
ここまで準備が整っていれば、このカードはいつでも切ることができますよぉ……」
「あとは、カードを切るタイミングですが……」
「この町の発展のためにも、ギリギリまで遅らせるんだね!」
「ええ。
兵隊さんたちには、しばらく、この町の発展のためにも精一杯働いてもらいましょう」
ギルド本部。
「大量発生モンスターのお片づけ、今回は、はかばかしくありませんか?」
「そのようです。
モンスターとしては小型、しかし、夥しい数がネックになって……」
「……しかたがないですね。
では、お片づけが済んでいない場所だけを閉鎖したまま、別の地域を優先的に探索することで対処しましょう。
あとは……」
「あとは……紙の備蓄分が、そろそろ心許なく……」
「以前よりいっていたアレですね。
予想以上の消費量ですから、いくらあっても足りないくらいなんですが……大陸各地に散っている渉外さんたちにも、手頃なお値段なら即時、買いつけてこちらに送るように頼んでますけど……なかなか、消費量に追いつきませんね。
いっそのこと、ギルドで製紙業まで立ち上げてしまいましょうか?」
「あっ。それ、いいですね。
外部からの供給は、イマイチ安定しませんし……」
「それでは、この件はフェリスさんに一任します。事業計画書ができたら提出して……」
「え? いいんですか?」
「そろそろ、下働きだけではなく、フェリスさん主体で動くこともおぼえてください。
あと、なにかありますか?」
「えっとぉ……教練所の方から、今日、登録した人が、どうも王国の王子様らしいとの報告が……」
「……え?」
「それも、適正ランク、オールD」
「それが間違いでないのなら……一体、何を考えているんでしょうね?」