9.おうこくぐん。
王国軍、行軍中。
「はっはぁ!
遅い! 実に遅いもんだなあ!
遅すぎて、退屈で、欠伸が……ふぁ……」
「重い装備を背負った上で、雪原上の行軍です。
速度なんてでるわけないでしょう、小隊長」
「ったく、これだからよぅ、大軍なんてのは……。
あとほんの少しで目的地に着くってのに……。
あー。
はやく迷宮とやらとドンパチやりてぇー!」
「いい加減に、その、数分に一回不謹慎なことを喚く癖は直してください、小隊長。
小隊長に率いられれているわれわれまで血に飢えた戦闘狂だと誤解されます」
「なぁなぁ!
おれたち、小隊の連中だけだったらよ、こんな烏合の衆を無視したら、ここからならあっという間に到着するんじゃね?」
「なんですか、そのドヤ顔は。
仮に、小隊だけで行動して先に到着したとしても、今回は小隊長に裁量権が与えられていませんから、なにも行動できませんよ。
先に到着して他のみなさんが到着するまでこの寒空の下、ポツネンと雪の上につったっているおつもりですか?」
「だぁーかぁーらぁ、さぁー。
先行して、偵察すんのよ。
軍事行動でなければ、そんなにおとがめも受けないだろ?
表向きは観光とかいうことにして、さ」
「軍務遂行中に観光? 正気ですか?
そんな破天荒で身勝手な提案、あの常識人のヘレドラリク卿が許可するもんですか」
「うーん! じゃあ……そうだ! 休暇だ!
そういや、おれ、ここ数年あっちこっちに転戦につぐ転戦で、まともに休暇なんかとったことねーや!
そんじゃあ、ちょっくら休暇願いを提出してくる!」
「あ!
小隊長!」
王国軍、将校用馬車。
「……グリハムくんが、休暇願い?」
「はっ!
つい先ほど、司令部経由で届けられました!」
「ふむ。
このタイミングで、休暇ですか……。
どの道、グリハムくんの出番は、もう少し先ですしね……。
グリハムくんの勤怠状況を確認してください」
「一日以上の休暇を取ったのは、二年半以上前のことになるそうです。
休暇願いの書式にも、遺漏はありません」
「それでは……お断りする理由も、ありませんな。
なにせ彼は、王国のために幾多の戦歴をあげてきた、歴戦の勇者だ。
緊急時ならともかく、まっとうの手続きを経て申請された休暇願いを却下する理由も、ありませんね。
よろしい。
申請されたとおり、グリハムくんに休暇を」
「はっ!」
雪原上。
「ひゃっはぁー!
堅物の常識人だとばかり思っていたが、なかなかどうして、はなしがわかるおっさんだったぜ! ヘレドラリク卿!
やっぱあれだな!
正規の手続きをちゃんと踏んだのが勝因だな!
ヘレドラリク卿みたいなタイプには、絡め手よりも正攻法のが効果的なんだ!
そんじゃあ、王国の有象無象たちよ!
俺様は、一足先にあっちにいって待ってるからなぁ!」
王国軍、将校用馬車。
「んふ。
ねえ、感じる?」
「感じるよ、姉さん。
この距離からでもわかる、巨大な魔力のかたまり」
「すごい……。
いまだに、少しづつ、魔力が増えてる……」
「方角からして、あれが迷宮というやつなのかな?」
「そう……なの、でしょうね。
ああ……あの巨大な魔力の中に、入っていくなんて……」
「そうだね、姉さん。
ぼくたち魔法使いにとっては……とても、気持ちがいいことになりそうだね」
王国軍、行軍中。
「……この雪の中、延々歩かされて三ヶ月以上……」
「明日か、明後日あたりには到着するってよ」
「はっ。
到着するから、なんだってんだ。
おれたち下っ端にしてみれば、自分の死に場所みたいなもんじゃねーか」
「迷宮は、他の戦場とは違うと聞いたぞ?」
「ふん。
せいぜいがとこ、敵が同じ人間か、それともモンスターか……くらいしか、違いなんざねーよ。
ちょっとでも考えて見ろよ!
あの冒険者たちが、百人以上束になって挑んでも、いまだにどうにもなってねーだぞ!」
「冒険者、か……」
「ピンキリではあるが……」
「強いやつは、それこそ、鬼のように強いよな。
それこそ、この軍のお偉いさんなんか、目じゃないくらいに……」
「しっ!
そのお偉いさんの耳に入ったら、鞭打ちくらいじゃすまされねーぞ」
「かまうもんかい。
王子様の軍勢といったところで、今残っているのは弱小貴族とそいつらが自分の領地から引き連れてきた、おれたちのような小物ばかりだ。
総勢五万以上とはいっても、実際に戦えるのは、果たして何人いることか……」
「お偉い大貴族の方々は、早々におともを連れて逃げ出しちまったからな!」
「おうとも。
王子様が指揮をとるといったって……お前ら、あの王子様がこれまで一回でもいくさごとに関わったってはなし……ちらりとでも、聞いたことがあるか?」
「だ、だが、この隊を実際に動かしているヘレドラリク卿は、なかなかの切れ者だと聞くぞ!」
「あと、野盗狩りのグリハムがいる!
あの方は、うちの村を救ってくれた英雄だ!」
「英雄であることは確かだが、野盗以上に血に飢えたグリハム、というやつもいるな」
「とかく、いくさごとがお好きらしい。
この間も、ドンパチしてぇー! とかいきなり大声を出して、副官に咎められていたぞ」
「あ。
それ、おれも聞いた」
「おれも」
「そんな人に……子飼いの配下ならともかく、こんな大軍を指揮できるもんかな……」
「……」
「……」
「……」
「あとは……」
「ああ、あの薄気味悪い連中……」
「……魔法使い、か」
「親玉らしい、まだ若い男女がいるだろ?
あれ、夫婦かと思ったら、どうやら姉と弟らしいぞ」
「え?
あいつら……」
「夜となく、昼となく……天幕や馬車の中で、やりまくっているそうじゃねーか」
「はばかることなく声をあげるから、丸聞こえだってな」
「全軍に知れ渡っているよ、それ」
「いくら……一人で、どえらい攻撃力を持っているといっても……」
「ああ。
えたいがしれないし……気味が悪いわな……」
「たしかに、これだけの人数だ。
凄いといえば、凄いと思うぜ。
田舎者のおれにだって、この派遣軍の凄さは、わかる。
だけどよぉ……」
「大丈夫なのか、この軍……」
王国軍、将校用馬車。
「無茶な指示とわかっていても、その無茶を無理にでもおし通すのが有能な臣下。
そう思って、これまでがんばってきましたが……うん。
なんとか、兵たちの忍耐力が限界に達する前に、到着できそうですね。
何度も立て続けに指揮官の辞任劇があったときは、どうなるものかと思っていましたが……いやあ、よかったよかった。
なんとかここまで来れたのも、きみたち有能な幕僚諸氏のおかげです」
「……もったいないお言葉を」
「今回の行軍は、前例がないことづくめ、異例づくめで、小官にとっても、幕僚諸氏にとっても、幾多の危難を乗り越えるための契機となりました。
たてつづけの辞任劇はもとより、そのために立ち往生し、そのたびに兵糧の計算をやり直し、物資の搬入路を設定し直し……上の無責任さに翻弄されたのは兵士もわれわれも同じです。
だが、この派遣軍が現地に到着するとなると、われわれも今度は別の危難に遭遇することになります。
すなわち、このたびの行軍も次のフェーズに入るということです。
これまでとはまた違う作業、発想が必要とされますが、幕僚諸氏におかれましては頭を切り替え、このままみんなで最後までのこのたびの行軍を完遂しましょう。
では……頼んでおいた物資の要請は、すでに発送していますね?」
「は!
王国宛に、大量の木材ならびに石材、その他諸々の建材を……この厳しい季節に、普請でもなさるのですか?」
「当然です。
目的地に着いたというのに、栄えある王国軍の将兵たちをいつまでも野営させておくわけにはいかないですからね。
みなさんも、いいかげん、固定した屋根と壁の中で眠りたいでしょう?」