0.おうじさま。
王国軍野営地、将校用天幕内。
「……ふん。
これが、今までに派遣され、そして何故か進軍途上で急病になったり事故にあったりして任務を放棄した大貴族どものリストか。
ええと……脚気、糖尿病、通風、落馬に……なんと、落雷だと!」
「なにぶん、ほかに何物のない原野でのことにて」
「ゼルセルダイ卿は、途中の立ち寄った町で、売春宿に向かう途上、路地裏で地元の暴漢に襲われたと聞く」
「口がさない下々の者が面白半分に広めたデマにございます」
「バルスリスト卿は、野営中、忍び込んだ何者かに、両手両脚をヘシ折られたとか」
「それが誠であったとすれば、護衛に当たっていた兵士たちもその責を問われて処分されているはずでございます」
「ふん。
おおかた、襲われた側のバルスリスト卿自身が処分を受けることをおそれて、必死になってもみ消し工作をしたのだろうよ。
間近に落雷を受けたズラフルリカ卿は、配下の軍を放り出して単騎で郷里に逃げ帰ったとか」
「まったくの事実でございます。
おかげを持ちまして、この隊の行軍は、次の指揮官が派遣されてくるまでの半月以上、何もない雪原の真ん中に野営しなければなりませんでした」
「ズラフルリカ卿は、自主的に蟄居の上、領主の地位を息子に譲ったとかいっていたな。王から預かった軍勢を放棄した罪がそれですべて許されはしまいが、何もしないで沙汰を待つよりはましか。
ふふん。
どいつここいつも、口ほどにもない大貴族どもめ。
だが、これからは違うぞ!
この、ルテリャスリ王子自らが指揮を執る以上、謎の襲撃者ごとき、軽く一蹴してくれるわ!」
港町デラルデラム近郊、商隊野営地。
「ほんじゃあ、身代わり頼むな、コニス。
なに、その兜をかぶって外に突っ立っていれば、ばれやしねえって……」
「この夜中にただつっ立っているだけ、って寒いんだから早く帰ってきてよね!」
「わかっているから、もう少し静かにな。
そんじゃあ、いってくる」
ざっ。
「……白ずくめの格好してあんだけ早く移動されると、保護色以前に、シナクくんのことを知らない人なら、自分の目をまず疑いたくなるし……。
迷宮を離れられるように、定期的に商隊の護衛に志願して、ときおりこっそり抜け出して……。
実行するのは、シナクくんだったり、剣聖様だったり、リンナさんだったりするけど、お偉いさんの襲撃を実行より、アリバイ工作とか前後のつじつま合わせとかのが面倒だったり……。
一応は、秘密にしているけど……ギリスさん、もうそろそろやばいんだよね。なんか、かなり不審に思いはじめている。
無理もないんだけどね。こんなに立て続けに、大軍を率いている大貴族様が、事故とか急病とかで、立て続けに任務を放棄するなんて偶然、普通だったらありえないし……。
ん?
こんな夜中に、デラルデラム方角から、誰か来る。
この吹雪の中に? 誰が?
盗賊なら、いくらなんでも、あんなみよがしに来るとは思わないし……。
んー、んー……。
あれ?」
「……コニスちゃん!」
「しぃー! しぃー! しぃー!
レニーくん、わたし、今、シナクくんだから!」
「それどころじゃないんです!
今度、迷宮派遣軍の司令としてやってきたのがですね……あの、ルテリャスリ王子なんです!」
「マジで!」
「その情報をつかんで、その場で港町で転移してここまで駆けつけたのですが……間に合いませんでしたか。
はやく、シナクくんを止めないと……。
あの王子に手を出すと……とんでもないことに……」
王国軍野営地、将校用天幕内。
「あいかわらず、ザルもいいところだなあ、王国軍。
何度も襲撃されているんだから、もう少し引き締まってもいいと思うんだが……。
うちの新人さんたちなら、間違いなく基礎コース戻りにするな。
ま、襲撃なんてなかったことにされているんだから、仕方がない面もあるのか。
さ。
いよいよ、お偉いさんをしばらく使い物にならなくするだけの簡単なお仕事、いきますよー」
「……一番豪華な天幕の、一番豪華な寝所……。
不用心だなあ。
せめて、影武者くらいたてる工夫が欲しいところだが……。
……よっ!」
キン!
「ん?
……弾かれた?」
カン! キン!
「布団の中に鉄板でも仕込んでるのか?
……布団、はいでみるか……」
ざっ。
「……小太りの男が、寝ているだけだな。
さて、起きる前に……」
カン!
「なんで?
なにに、当たってるんだ?」
カン! キン! カン!
「……さむっ」
「……いけね。気がついた!
撤退!」
「……む。
布団……何者かに、はがされて……。
む!
切り裂かれたあとがある!
ものども! 出合え出合え!
癖者が、余の寝所に!」
「……騒いだときには、遠く離れてー、と……。
失敗したのはしかたがない。
逃げる逃げる。
足跡は、吹雪がすぐに隠してくれるよー、と。
しかし……あれ、何者だ?」
港町デラルデラム近郊、商隊野営地。
「コニス、交代交代。
兜脱いで、自分のテントに帰っていいぞ。
いやあ、失敗失敗。
今回は、初黒星だ」
「シナクさん!」
「ありゃ? レニー。
いつの間に?」
「無事でしたか?」
「お、おう。一応。
襲撃は、失敗したけどな。なに、もう一度くらい、チャンスはあるさ」
「いえ、彼に関しては、以後も一切手出ししない方がよろしいでしょう」
「なんで?」
「彼は、この王国の第一王子。
ルテリャスリ『鉄壁』王子です。
あやゆる災厄、物理、魔法の攻撃を跳ね返す体質の持ち主です。
事実上、無敵です」
「それって……レニーの幸運補正みたいなもんか?」
「ええ。
高貴な血筋の者に多く生まれるという、レアな体質の一例です」
「地位からいっても、手を出さない方がかえって無難、と」
「業腹ではありますが。
王国も馬鹿ではなかったということですね。
……度重なる指揮官の、自主的な辞任劇に対して、二重の意味で手を出しにくい人材をあてがった、ということです」
王国軍野営地、将校用天幕内。
「逃がしたか?」
「逃がしたというより……周囲には、人もいませんし、なにもありません。目下、周囲を探索させておりますが……なにぶんこの吹雪で視界もろくに効かず、ともすれば近場であっても遭難しかねない有様でありまして、捜索をするにしても、おのずから限度というものがあります!
一番近い人里、港町デラルデラムまで夏場でも馬で一日の距離があります。ましてや、この吹雪、よもや、徒歩で移動する者があるとも思いませんが……」
「よい。
はなから、期待しておらん。
そのネズミも……少しでも骨があるネズミなら、再度、襲ってくることもあろうよ。
ふふ。
それよりも……。
やはり、襲撃者は実在したか!
面白い! 面白くなってきたぞ!」
港町デラルデラム近郊、商隊野営地。
「レニーよ。
その王子様の地位と能力は、よくわかった。下手に手を出さない方がいい、ってことも含めてな。
でさ。
肝心の、性格とか人となりはどんな感じよ」
「一言でいいまして、傲岸不遜。
世界は自分を中心に回っていると思っているような方です。
まつりごとや軍事にも、あまり興味はありません。
かといって、趣味や異性にかまけて、国庫に手を出す風でもなく……」
「……ん?
じゃあ、王族としては、比較的無害な部類じゃね?」
「ただね、シナクさん。
かの王子は、てんせいしゃでちーとだと自称していて、事情を知っている者の間では、虚言癖の持ち主という事になっています」
「てんせいしゃ?
ちーと?」
「王子様本人がいうことには、こことは異なる世界での生を記憶したまま生まれてきた、卓越した能力の持ち主、という意味になるそうです」