56.りんじぞういんきょうかん。
「なぜ拙者は、このような面白い時期に健康体ではないのだ!」
「餓えて死にかけてたからでしょう。
はい、これ。
新しい紙とインクと、それに果物。
果物屋がいうには、王都近郊の農家がようやく栽培に成功した南方原産の珍味だそうです。値段も結構しましたが、それ以上に上品でさっぱりとした甘味が魅力です」
「この次に今度のような騒動があったら、そのときこそ!」
「はいはい。
そのためにも、食べて寝て、早く回復してくださいね。
あと、リンナさんも十分活躍したそうじゃないですか?
女子宿舎に逃げ込んだ人たちを追いかけてきたゴロツキどもを、片っ端から電撃魔法をぶつけて行動不能にしてたって聞いてますよ」
「魔法オンリーは暴れたうちにはいらん!
ああ。思うままにならないこの体が恨めしい!
シナク!
おぬしは、今回の仕掛けのこと、最初から知っておったのか!」
「いんや。
今回……まあ、そもそものきっかけとなった情報をギリスさんにもたらしたのは、どうもおれになるみたいですけどね。あとはもう、ギリスさんが裏を取って必要な手配をして、と……。
おれなんかは、最後の最後、すべてのお膳立てが整って仕掛けが発動する寸前になって、ようやく仕掛けの存在を知らされた口です」
「くそぉー!
食って寝て、一刻も早く往事の体調を取り戻してやるぅー!」
迷宮内、教官詰め所。
「はぁ……。
今回の件の、被害者さんたちで……」
「さよう。
多くは幼少時に連れ去られたか買われたかして以降、冒険者の下働きをしてきた者だそうでな。
自由になったはいいが、どうにも、今後、いく当てもない。
現場での経験は長いしそれなりのスキルもあるから、こちらでおのおのの適性を見極め、必要なら指導もして、冒険者としての独り立ちできるようにしてくれとの、ギルドからのお達しだ」
「こりゃ……どちらかというと、今までみてきた新人さんたちとは、逆のパターンかな……」
「うむ。
今、順番に腕前の方を検分しているところだが……みな、実力不相応に……覇気がない。
普段から、最低限の自信にもかけておるというか……」
「で、しょうねえ。
長年、罵られながらこき使われていれば、そうもなりますって……。
例によって、能力判定の方はお任せします。
あと、高いレベルの非戦闘系スキルをお持ちの方がいたら、どんどんこっちに回してください。
現状、座学を担当できる人材が、極端に少ないんだ。実務経験者の手を借りられるんなら、これほどありがたいことはない……」
「はい、本日から座学の講義を開始します。
今、この場にいるのは実戦実習でそれなりの成績を修めることができた人たちばかりです。それに加えて、後ろの方に何人か見学の方がいらっしゃいますが、この方々のことは気にしないでください。
今日は、地図の書き方を説明します。
正確な地図を書ける能力、これは、今、みなさんが漠然と認識している以上に、重要なスキルです。
未踏地区の地図は、その精度に等級をつけてギルドが買い取ってくれます。モンスターの討伐所賞金と比較すると低額に思えるかも知れませんが、毎日安定してモンスターと遭遇できる、というわけでもありません。立て続けに何十体も遭遇する日もあれば、一日歩き回っても、一体も遭遇しない日もあります。安定した収入源を確保できることは、実績以外に収入の当てがない冒険者にとって、とても大事なことです。
それ以外に、常に現在地を把握することは、迷宮内では、死活問題になります。収入の問題を無視したとしても、決しておろそかにはできない技能です。
欲をいえばパーティ内の全員にこのスキルを修めてもらいたいところですが、最低限、構成員の半分以上が普通に地図が書け、現在地を把握できるようになってください。その程度のことがクリアできないパーティは、ちょいとしたアクシデントで容易にロストしてしまうことでしょう。
過去の経験からいっても、周囲から一目置かれた剛の者が自身のちょいとした過失からロストしてしまった例を、おれは、いくつもあげることができます。戦闘の場でどんなに勇猛に戦えたとしても、そんなことはまったく関係なくロストしてしまう事例がざらにあるということを肝に銘じて、真剣に修得してください。
では、実技についての解説に移ります。
自分で地図を書く場合、まず重要なのは、二つ。現在、自分が向いている方角と、それまで歩んだ歩数、この二つを把握することです。この二つさえ把握できていれば、地図が書けなくとも迷宮から帰還できる可能性はかなり増大します。
でもまあ、そこまでわかっていれば、普通に地図を書いた方がよっぽど手っ取り早いんですけどね。
さてみなさん。
この中で、迷宮内を進んでいる最中、それまでに歩いてきた歩数を数えたことがある人は、何人いますか? いたら、手を挙げてください。
……はい。
予想通り、皆無ですね。
今度の実習のときにでも、一度試してみてください。一見簡単そうでいて、これがいかに大変なことか、実感できるでしょう。
とりあえず、最初の一歩として、この講義が終わった直後から、その日一日歩いた歩数と方角をメモしてみてください。同じパーティの方と行動をともにして、あとで答え合わせをしてみるのもいいでしょう……」
「……どうですか?
今の講義を聞いてみて。
ここにいるみなさんにとっては、なにを今さらと失笑されるような、初歩的な内容だと思うのですが……。
これからみなさんに手伝っていただきたいのは、こうした新人さん向けの講義や教材の準備、対面しての指導、実習時の引率など……ようは、素人さんをどうにか使えるところまで持って行くためのあれこれ、すべてです。
最初から大勢の人前に出るのはきついと思うので、まずは教材の方から手を着けますか。
こちらが、現在のところ、用意されている教材になります。
お恥ずかしいはなしですが、間に合わせでおれが過去にはなした内容を筆記したものが元になっています。
まだまだ内容に偏りや不備があると思いますので、これを読んでみて、なにごとかご指摘、補遺していただければ幸いです。
どうか、みなさまがこれまでに経験してきた学んできたことを、これからの人に手渡してあげてください」
「どうですか、実戦訓練の手伝いに駆り出された人の様子は?」
「かなりおどおどした様子で、正直、最初はかなり危ぶんだものだが……。
実際に動いてみると、まるで違うものだな。
新人たちはもとより、われらの型にはまった動きとも違う。臨機応変で……そう、どことなく、シナクどのの動きと似たような印象を受ける」
「おれも彼らも、実戦で学んだ我流って点では似ていますからね」
「一対一の稽古などは、どうもまだ、実際に対面すると、他人を怖がって足がすくむようなのだが……パーティ模擬戦のモンスター役などでは、実によい動きをする。
あれで精神的なくびきから完全に逃れることができたら……あれらは、かなり化けるかもしれんぞ」
「時間をかけて、慣らしていくよりほかないでしょう。
多くの人と触れあえるこの場は、彼らにとってもそれなりにいい環境かもしれませんね。
彼らは、人づきあいを学ぶ。
新人さんたちも、彼らから学ぶ。
そんな風に、このままうまく推移してくれるといいんですけどね」