4話:鳴るゴング
「遅いぞ、どうなってる」
ユウコがインカムを通してスミカに言った。
「ちょっと遅れる。大丈夫」
スミカはそう答えた。ユウコはため息をした。
「うんー。待ってるー」
ホノカがそう言った。3人は通信を切った。
「なんで遅れるんだろー」
ホノカがユウコの方を向いて聞いた。
「わからん……だが、嬉しそうな声だった」
「うれしそうー?」
ホノカがオウム返しした。ユウコは頷いた。
「通り過ぎないようゆっくり歩いていたいような、回り道をして行きたいような、そんな声だ」
ユウコが言った。ホノカは会話をやめた。
スミカは試着室のカーテンを開けた。ギンガが選んだ服を、スミカは着た。
「どう、かな……?」
スミカがそう言って、恥ずかしげに微笑んだ。
ギンガは下から上へ、品定めするようにじっくりとスミカを見た。
大きな黒いブーツが足首を覆う。スミカが足を少し動かすたびに、光の当たり方が変わった。光の流れを追うように、ギンガは視線を上げていった。
白いニーハイソックスがすらっと伸びている。細い足だが、骨張ってはいない。滑らかでシンプルなその形状は、ギンガの視線を上に誘導した。その先を見ると、体脂肪率の少ないふとももが少しだけ覗いていた、ジッパーを開いた黒いマウンテンパーカーの裾に隠れながら。
だらんと足らした左腕もちょうどその高さだ。袖の半分以下の太さの手首。オーバーサイズのパーカーが逆に体型を引き立てている。
羽織られた黒の間に、薄青のデニムショートパンツが履かれている。前股のチャックに沿って視線を上に上げると、へそがちょうどその真上にあった。両脇で揺れる黒が白い肌色をより白く美しく描いている。そのへそに触れようとギンガは手を伸ばした。スミカは後ずさった。
灰色無地のぴっちりしたトップスに、体のラインが浮かび上がる。彼女の平均的な胸が持つ、女性的な魅力を引き出している。鎖骨の隙間に、彼女の細い首に視線を通して、そして彼女の顔を見る。一瞬目が合った後、スミカは目を背けた。まつげの長いキリッとした目を細め、右手でウルフカットのバサバサした後ろ髪をいじっている。
スミカはスタイルが良い。女性の理想的な体型に近い。スミカは顔が良い。狼のようなキレがある、クールな顔立ちをしている。だからこういう服が似合う。
「うん、やっぱり似合ってる」
ギンガがそう言って笑った。スミカは少し困り顔で笑った。そして、スミカはギンガの服を改めて見た。ギンガがここで買った服を。
銀色の髪がふわりと揺れている。ギンガは自分を見つめるスミカの顔を少し不思議そうに見上げた後、いたずらっぽく笑った。
暖かい色味の肌を上から下になぞるように視線を落として行き、鎖骨に沿って右にそらした。
白いワンピース。肩にかかるフリルにそって目を動かす。胸の中心の大きな水色のリボン。可憐だ。
スミカがリボンを見たことに気づくと、ギンガはリボンがいびつじゃないか手で触れて確認した。
スミカは手を体に横に戻した。左腕の袖についている小さな白リボンを目で追った。
スカート部分は膝の少し下くらいの丈で、そこから下は黒いタイツが影のように伸びていた。その影に浮かぶように、白いローファーが地を踏んでいた。
影を切り裂いてローファーが動いたかと思うと、ギンガがくるりと一回転した。こなれた動きだ。そして、目を細めて笑い、こう言った。
「気に入ってくれた?」
スミカは頷いた。ギンガはスミカの手を握って、走るように歩き出した。スミカの手は引っ張られて、体は少しよろけた。ギンガは振り向いた。二人は笑った。
「行こっか」
市の体育館。そこまで広くはない。観客もそこまで多くはない。だから人を探すのは、それほど困難なことではない。スミカは観戦席のホノカの存在を確認し近づいた。ギンガもそれについていった。
「おはよー」
目を向けずにホノカは言った。スミカは頷いた。ホノカは本を読んでいた。題は「怪人白面」。
すごいスピードで読んでいる。ギンガはあっけにとられていた。
「……何か、私と話したりとかしないの?」
ギンガがそう言う。ホノカは本を読む手を止めない。
「べつにー」
ホノカは本を読み終わった。ポンと自分の膝に置いた。「フツーだったー」
「変な子……」
ギンガがそう言った。その後、ほんの少しの沈黙を気にしたギンガは「いや、悪い意味じゃなくってね?」と付け加えた。
「ありがとー」
ホノカがそう言った。
「良い意味でもないってば……」
困ったギンガはその銀の髪をわしゃわしゃとした。
スミカはユウコを見つけた。ホノカに手を振った後、ユウコに向かい歩いて行った。ギンガはついていった。
「良い服だな。それを買っていたのか」
ユウコがそう言った。スミカは微笑んだ。ユウコはため息をついた。
「……まあいい」
ユウコはそう言って、今度はギンガの方を見た。
「素顔で会うのは初めましてか。シルバーライト」
不敵に微笑むユウコが指しだした手を、ギンガは握らない。
「私は|稲瀬銀河≪イナセギンガ≫だっての。シルバーライトじゃない。今は」
ユウコは「ハハッ」と笑った。そして手をスラックスのポケットに入れた。
「警戒しているな」
「当然だっての」
ギンガはスミカを壁にするように、ユウコと微妙な距離を保ち続けている。
「私は空徒夕子だ」
ユウコがそう言って体重に身を任せパイプ椅子にストンと腰掛けた。そして、流し目でギンガを見ながら口を開けた。
「座っていろ、そろそろ始まるぞ」
控室。丸刈りの男は三回、吊られたサンドバッグを殴った。
一発目、コーチからなぜ遅れたのかと問われたことへの苛立ちを拳に乗せた。
二発目、未だある恐れを蹴飛ばそうともがく表面上の覚悟で拳を振るう。
三発目、理由もわからず有り余る力で拳を放つ。サンドバッグが縦に一回転した。
男は唖然とした。次に大声で笑った。そして吐きそうになった。気分が収まるともう一回殴った。サンドバッグは二回転した。
これはおかしい。俺はこんな強くない。あの女が何かしたに違いない。だが気分が良い。これで勝てる。これで勝とう。勝って気持ちよくなろう。
男はそんなふうに考えた。リングに上がる時間が来た。男は最後の一発を叩き込んだ。心地よかった。
試合が始まった。
丸刈りの男と長身の男が殴り合っていた。皆盛り上がっている。ギンガはどこか退屈そうに足を組み、肘を膝につけ、猫背で頬杖をついて見つめていた。
(この先どうなるのか)
複数パターンの思考を巡らせて、そのことだけを考える。どんな罠が私を待っているのか。
実現したパターンは、彼女の頭から三番目に出てきたものと一致していた。
試合中。丸刈りの男が放つクリーンヒットの右ストレートが長身の男をリングの右端から左端まで吹き飛ばした。丸刈りが倒れ込む長身を見てしばらく固まってから己の右腕を見つめるとその腕がグローブを突き破りハンマーのように変貌しているのに気づく。異常に細くなった右腕は、曲げたときだけ異常に太くなる。長身の男が顔を上げる。長身の男は怯えている。観客の多くは逃げ出す。
怪人はその瞬間三つ考えた。
(どうしてこんなことに)
(鏡はどこだ、俺はどれだけ醜くなった?)
(しかしいい気味だ、ざまあ見ろ!)
三つ目に至ったあたりで自己嫌悪で死にたくなったが、死のうとはしなかった。彼には未だ毒ガスのスプレーを探して口内に吹きかける勇気は塵ほども無かったからだ。
「そういうことね」
ギンガは不敵に笑い、シルバーライトへと変身した。そしてリングに降り立とうとする。しかし後ろから声がして止めた。
「待てテー」
ゆるぴょりんの声を聞いて振り向くと、逃げ遅れた観客が一人。ユウコによって捉えられ、ナイフを突きつけられていた。三十二歳ほどの女性。眼鏡をつけており、聡明そうな顔は怯えで歪んでいる。
「狡いっての!!」
シルバーライトは足を止めた。人質を取られ動けなくなった。しかし、これもまた想定内だ。
シルバーライトは冷や汗をかきながらも、不敵な笑みを崩さない。




