1話 早朝、自転車で
朝四時。幅の広い道路だが、車の影は一つもない。脇には電気屋や飲食店が並ぶが、一つも明かりが灯っていない。
一つだけ人影があった。自転車に乗る人影だ。学校を目指している。電車を使った方が遙かに早いが、電車は使わない。どんな遅れも許されないからである。
彼女にとって遅延証明書は言い訳にならない。
彼女の名は成多純華。髪はウルフカットの黒髪。今は向かい風で荒れるようになびいている。口には黒いマスクをつけている。黒い学ランを着ている。黒いスカートを短く履いて、黒いタイツで素肌を隠している。黒いペダルを踏む靴は黒い。
つまり、全身が黒い。それが早朝の淡い闇に溶けて、存在感を霧のように薄くしていた。
電気屋や飲食店が並んでいた道が、いつの間にか民家ばかりになっていて、さらにしばらくして校門の前についた。校門は閉じている。
スミカは足首の力だけで跳んで校門の上に登ると、サドルを持って自転車を持ち上げた。掲げられた逆さまの自転車を校門の内側に投げ込み、自らも内側へ飛び込む。倒れている自転車を軽く蹴って起こし、乗ったまま校舎に向かった。
この一連の動作は軽々と、流れるように行われた。つまり彼女はこの侵入方法を複数回行っており、彼女の筋力は異常値を示しているということだ。
彼女は自転車を下りると、雨樋のパイプを登って三階のベランダに入り込む。そしてほかの窓には見向きもせず、二つ目の教室の三番目の窓を開けた。彼女はこの窓が開いていることを知っていた。
教室には一人だけ少女、九々流仄香がいた。机に突っ伏して、紙を下敷きにして眠っていた。長袖の白いセーラー服を着ている。少女は冬だろうが夏だろうがこの服を着ている。髪は雪のように白く、それを子供らしく横で結んでいる。染めているわけでも、外国人な訳でもない。スミカが手をぽんと乗せると少女は目覚めて、体を伸ばしてあくびをして、目を三回ぱちくりと瞬きさせた。
彼女はいつも学校で寝泊まりしている。それが誰にも見つからずいるのは、スミカが誰もいないうちに彼女を起こしに行くからだ。
「おはよー」
ホノカが言うと、スミカはうなずいた。スミカは机の上の紙を手に取り見つめる。落書きのようなものが描かれている。複数の図形とそれを結ぶ直線だ。字は一切書かれていない。
「それはー、今日のさくせんー」
ホノカはそう言った。スミカは紙を机に置いた。書かれた内容を理解はできなかったが、スミカにとってはそれでよかった。
ホノカがその紙を裸のまま鞄に入れ、本を鞄から取り出して鞄を背負った後に読み始めた。本の題は、『科学者は巨悪』。
二人はベランダに出た。スミカは窓の鍵を安全ピンでピッキングして閉じた。そして本を読んだままのホノカをおぶり、飛び降りる。
ホノカは空中で三度ページをめくった。問題なく読めている。速読は彼女の特技だ。スミカはちょうど自転車の上にしなやかに着地した。本は落ちていない。
スミカがおんぶしているホノカを下ろすと、ホノカは自転車のキャリアに乗る。二人乗りだ。ホノカは本のページを開いた。落ちないようにスミカに捕まるなどといったことはしない。
少し明るくなった空の下を自転車が走る。様々な物が世界に映り始める。煙突の煙や電波塔の赤色。住宅地に出没した殺人ツキノワグマの死骸や、海の向こうの巨大怪獣の影。魔法少女の変身時に溢れる、銀色の光などだ。
ホノカはページをめくる。ここまでで百七度目だ。
「きりがないったら!!」
『魔法少女☆シルバーライト』はステッキ型銃剣を振るい、『増殖魔物ブエルフェル』の群れを切り払う。
「本体は別の場所にいるルー。探すスー」
気味の悪いしゃべり方で、『サポート用マスコットデバイス☆ゆるぴょりん』が言う。渋い低音だ。
「めんどくさいってば……」
ブエルフェルに囲まれた少女は飛び上がる。触手攻撃をかわしながら高い空まで飛び、銀の羽がまだ弱い日光を跳ね返し輝く。
「マジカルステッキ☆フォルムチェンジ!」
そう少女が叫ぶと、ステッキ型銃剣は少女の身の丈ほどの巨大ドリルになった。
「マジカル☆ドリル☆エクスカベイト!!」
狙うはブエルフェルが最も密集した一点。襲いかかる触手を毎秒十万回転ではね除けながら、そのドリルを大地まで突き刺す。
地中で灰色の真珠のような物が割れた。それが本体だ。ブエルフェルは一斉に消えた。
「な、なぜわかったのだ!!!」
怪人少女、クリムホライゾン(本名、空徒夕子)は仮面の下の瞳を丸くして驚いた。
「なんとなくってね!!」
シルバーライトは答えた。銃剣に戻したステッキをビルの上のユウコに向ける。
ユウコはマジカル銃弾を特殊合金マントではじきながら、民家の屋根を渡り駆けていく。逃げているのだ。
「追えエー、逃がすなナー」
ゆるぴょりんが言った。シルバーライトはいつの間にかユウコの背後に立っていた。
「マジカル☆パイルバンカー☆ストライク!!」
ユウコはマントで防ぐも、吹き飛ばされる。その体は三軒先の民家の屋根を貫いた。ユウコはその民家の住人に「すまない!」と謝った。マントには大きな穴が開いていた。赤黒い合成金属繊維が宙を舞っていた。
「覚悟してよね……死なない程度に追い詰めるから」
シルバーライトはそう言って、天井にぶち開けられた穴からユウコを見つめた。
ユウコは口を少し開けて笑った……開けた口に冷や汗が入り込んだ。
「読みおわったー」
そう言って、ホノカが本を投げるとちょうどぽすんと自転車の籠に収まった。
「つまらなかったー」
彼女はやろうと思えばつまらなかった理由とその改善案、そして評価できる点とそれを活かす方法を十万文字でまとめて学会に提出し、賞を手にすることさえできるが、その一言で本の感想を終えた。
わざわざ感想を言う必要もないし、ホノカは賞にも興味がない。あの本の何倍も面白い本を書いて世間にその存在を認めさせスーパースターとして文学史に名を刻むのも造作のないことだが、ホノカは誰かに認められようとする欲求が全くない。
スミカは少し気になって片手でハンドルを握ったまま片手で本を取り読み始めたが、最初のページを読んで頭が痛くなってやめた。スミカには少し難しすぎたようだ。
激しい音が聞こえる。戦いの音だ。スミカはハンドルをこぐ足を速めた。音のする方に向かって、音の速度で進み始めた。
ホノカはうたた寝を始めた。自転車のキャリアの上で、誰の体にもよりかからず、自分の力だけで体を支えながら。
目の前で民家が吹き飛んだ。スミカは自転車を横に向けて急停止させた。
その勢いで飛ばされそうになるホノカの体を支えながら自転車を下りると、土埃の中からユウコが現れた。
そのユウコに、シルバーライトがマジカル☆メリケンサックで襲いかかる。顔面めがけてストレートだ。
スミカ……即ち、『怪人少女ブラックマスク』はシルバーライトの腕をつかんだ。止まる拳。戸惑うシルバーライトに一撃入れる。すると二人の距離は離れ、廃墟となった民家をまたいで睨み合う形となった。
「何人いても無駄だってば!」
シルバーライトは殴られた脇腹を押さえながら言った。不敵に笑っていた。彼女には絶対に勝つという自信がある。
後ろではホノカ(怪人少女ホワイトルール)がユウコに紙を渡している。作戦の紙だ。
悪の秘密結社、JKⅢ。
構成員、女子高生三名。
反撃開始。




