イノと家妖精③(イノ視点)
夕食とシャワーを終え、アガウエに寝かしつけられた後。真っ暗な部屋の中、私はベッドの上で身を起こします。
「――明かりよ……」
私は魔法によって小さな明かりを生み出します。星明りを集めた小さな灯。外に漏れる事の無い、とても小さな明かりです。
「ねえ、ブラウン……。少しだけ、お話出来ない……?」
私は新しく出来た友達に呼びかけます。家妖精の彼女ならば、私の言葉が聞こえていると信じて。
そして、ブラウンは私の呼びかけに応じてくれる。彼女はベッドの脇にそっと現れ、いたずらっぽい笑みを浮かべました。
「いけないのよ、イノ? 人間の子供は、もう寝る時間なんだから」
「うん、わかってる。だから、お話するのはちょっとで良いの……」
ブラウンは咎める言葉と裏腹に、嬉しそうに微笑みます。そして、ベッドにちょこんと腰かけました。
彼女も見た目は私と同じく五歳児程です。けれど、中身がそうで無いのも同じらしく、見守る様に私を見つめ続けていました。
私は初めて出来たお友達に興味が尽きません。そして、身を乗り出して彼女に問います。
「ブラウンはいつから、この屋敷に居るの? 賢者ケイローンがお弟子さんを育て始めた頃から?」
「ううん、もっと前からよ。ケイローンがまだ幼い頃。太陽の神アポロン様と月の女神アルテミス様が、お二人でケイローンを育て始めた時からずっと居るわ」
ブラウンの言葉に私は驚きます。思った以上に、彼女が長生きと言う事もあります。けれど、それ以上にケイローン様の生い立ちに詳しい事にです。
賢者ケイローン様が多くの英雄を育てた事は有名です。けれど、彼自身がどの様に育ったのかは、殆ど知られていないはず。私の好奇心がとても疼きます。
「ケイローン様は、アポロン様とアルテミス様がお育てになられたのね? どうしてお二人は、ケイローン様をお育てになられたのかしら?」
私の問いにブラウンは悩む仕草を見せる。けれど、じっと私の瞳を見つめた後に、覚悟を決めたみたいに話し始めた。
「ケイローンがクロノス様の子で、母親に捨てられた孤児だからよ」
「えっ……」
私は思わず息を飲む。そんな過去を私は知らない。けれど、ブラウンの目が嘘では無いと語っていた。
「クロノス様は妻の目を欺く為、馬に姿を変えてニンフと交わったの。その結果、下半身が馬の姿でケイローン様は生れてね。母のニンフは醜い姿だって彼を捨てちゃったの」
「――っ……?!」
ブラウンの説明に私の胸が締め付けられる。クロノス様とはゼウスの父親。そんな御方もまた、ゼウスと同じく浮気をして子を成していた。
ニンフとは自然界に生まれる精霊であり、下位の神でもある存在。その母から捨てられた。ケイローン様はどんなお気持ちだったのでしょうか……。
「アポロン様はゼウス様の子でね。血縁であもあるケイローン様を哀れに思われたの。それでこの屋敷を建てて、ケイローン様をお育てになられたのよ。アルテミス様はアポロン様の双子の妹で、兄のアポロン様のお手伝いをした感じかしら?」
「そう、なのですね……」
ケイローン様のお気持ちはわからない。けれど、ケイローン様にも救いの手があった事に、私は心底安堵しました。
彼の為に屋敷を立て、アポロン様は手ずからお育てになられた。そして、そのケイローン様は立派に育ち、多くの英雄達をお育てになった。
きっと、その人生は悪い事ばかりではなかったのだろう。そうでなければ、アスク様やリリィ様の様に、心優しい方々が残っているはずがないでしょうから……。
「その人生は幸せだったのかしら……。亡くなられたのは、五年前だったかしら?」
「違うわよ、イノ。ケイローン様は三十年以上前にお亡くなりになられているわ」
「えっ……?」
ブラウンの言葉に私は驚く。お父様やアスク様は、前の主人が五年前に亡くなったと言っていました。そして、お父様が新しい主人として屋敷を引き継いだのだと。
しかし、ブラウンの顔は真剣なものだ。決して悪戯で嘘を言っている様子でもない。私が混乱していると、ブラウンは声を潜めてこう続けた。
「アスクは隠したがっているけど、お友達のイノには教えてあげる。五年前に亡くなったのは、ケイローンの弟子のアスクレーピオスよ。ケイローンが無くなった後に、彼がこの屋敷を引き継いでいたの」
「アスクレーピオス……?」
その名前には聞き覚えがあります。アルゴナウタイの一員で、治療を得意とする魔法使いです。
そして、冒険を終えた後も世界を旅し、医療技術を人々に伝えたと言われています。医者と呼ばれる人たちは、彼を医療の神として崇めているとか……。
「当然、リリィやアステリオスも知っているわ。けれど、アスクが話したがらないから、彼の為に黙っているの。きっとアスクは、まだ本来のご主人様の事を引きづっているのね」
「本来のご主人様……?」
私達は思い違いをしていました。アスク様がケイローン様の使い魔だと、疑う事無く信じていました。
なにせあれ程の知性を有する蛇です。ケイローン様の使い魔と言われれば、納得するほかありません。
しかし、実際には違っていた? アスク様はケイローン様では無く、アスクレーピオス様の使い魔だったと言うことなの?
私が信じられないと言う気持ちで居ると、それをブラウンは察したのだろう。彼女は目を伏せながら、やり切れない感情を込めてこう零した。
「アスクレーピオスはとても良い子だった。けれど、彼は優秀過ぎたのよ。彼は死者蘇生と言う、神にすら成せない偉業を成し遂げたの。そして、その才能を恐れたゼウスは、彼を雷で焼き殺したわ」
「――うそっ……」
死者を蘇生する事が可能なの? そんな話は物語ですら聞いた事がありません……。
しかも、それを為し得た人物が殺された? ゼウスが才能を恐れたが為に?
私の中で激しい怒りが沸き上がります。母や多くの人々を悲しませただけでは無い。それ程の偉人を恐れによって殺してしまった事実にだ。
私の父親でもある主神ゼウス。その存在がどれ程この世界にとって害であるのか、私はその存在を呪わずにはいられませんでした。
そんな私に対して、ブラウンは悲しそうに微笑みます。そして、優しい眼差しを向けてこう続けました。
「……それでね。アスクレーピオスは死後に星になったの。彼の偉業が神々に認められ、彼は神の一員として迎え入れられたわ。そして、彼は空に上がり――蛇使い座になったのよ?」
「蛇使い座……?」
私の中で何かのパーツが、カチリとはまった気がした。蛇使い座となったアスクレーピオス様。その使い魔である白蛇のアスク様。
そのピースが何を意味するのか、それはまだわかりません。けれど、そこに何か大きな意味があるのではと、私はそんな予感がして仕方がありませんでした。




