イノの反応
遅めの朝食を終えた後、私とセメレは書斎に向かった。そして、書斎ではイノが魔導書を開き、アスクがお喋りをしている所だった。
部屋にやって来た私達を、イノは不思議そうに見つめている。すると、アスクがテーブルの上で陽気に声を掛けて来た。
「やあ、ケンジ。そんなに緊張してどうしたんだい? 何か話したい事があるのかな?」
「ははは、そんなに緊張してたかな? うん、イノとアスクに話しておこうと思ってね」
アスクにはやはりお見通しみたいだ。私の返事を聞くと、とぐろを巻いて聞きの姿勢に入った。
私はイノを正面から見据える。今度はイノが緊張感を漂わせるが、私は微笑みながら彼女に報告した。
「急な話となったけれど、私とセメレは正式に夫婦となった。今日からイノは、私の娘となるんだよ」
「えっ……? 今日から、お師匠様の娘に……?」
イノはポカンと口を開け、そのまま視線を母親に向ける。視線を向けられたセメレは、優しく微笑み頷いた。
すると、イノの表情が徐々に変わる。瞳に涙を溜めながら、笑顔を浮かべてこう述べた。
「お母様、ご結婚おめでとう御座います……」
「ありがとう、イノ。喜んで貰えて嬉しいわ」
嬉しそうに微笑む母に、イノはグッと涙を堪える。そして、その視線を次に私へと向けた。
「お師匠様……。今日より、お父様と呼ばせて頂いても……?」
「うん、勿論構わないよ。イノの呼びたい様に呼んでおくれ」
五歳児にしては、とても礼儀正しい。そこに違和感は感じるが、それはイノが王族だからかな?
ただ、私がイノの問いを肯定すると、彼女は堪らず涙を零す。そして、それを隠す様に俯くと、セメレに向かってこう頼んだ。
「お母様、申し訳ありません……。お父様と、二人っきりで……。少し話を、させて下さい……」
「……ええ、わかりました。それでは私は、一階のリビングで待たせて頂きましょう」
セメレは一瞬戸惑うが、すぐに頷いて私を見た。私はセメレに問題無いと頷きを返す。
すると、テーブルの上のアスクが、いつもの口調で口を開いた。
「なら、僕も一緒に行こうかな? 王女様――いや、セメレと一緒に一階で待つよ」
私とアスクは親友である。どうやら、セメレの立ち位置も、それに準ずるものへと変える気らしい。
私はそれを嬉しく思う。そして、頷こうとした所で、横からイノが口を挟んだ。
「いえ、アスク様は……。一緒に、聞いていて下さい……」
「ふむ、そうかい? そういう事なら残るとするが……」
イノの意図がわからず、流石のアスクも困惑気味だった。けれど、彼がセメレに視線を向けると、彼女は苦笑気味に頷いた。
「では、一階に下ります。話が終わりましたら、お声掛け下さい」
「うん、済まないね。少しばかり、下で待っていて貰えるかな?」
この場の皆が、イノの願いを尊重する。そして、セメレが一人で部屋を出て、私とアスクは部屋に残った。
すると、今までずっと我慢していたのだろう。イノは私に飛びつくと、お腹に顔を埋めて嗚咽を漏らす。
「お、お父様……! ありがとう、御座います……! お母様を、選んで頂き……!」
「う、うん……? どうしたんだい、イノ? 喜んでるのとも、違う様だけど……」
母の結婚や、父が出来た喜びなら、もっとシンプルな反応だろう。けれど、この慟哭はそんな単純な感情に思えなかった。
これまでずっと、イノは感情を抑える所があった。その心の壁が、急に決壊した様な劇的な反応だったからだ。
「ぐすっ……。お、お父様は……。ご存じ、なのでしょうか……? お母様が、死ぬ気だったと……」
「えっ……?」
イノは何の事を言っているのだろうか? 私には思い当たる節が無く、ただ戸惑う事しか出来なかった。
「長く生きても、残り十年……。私が成人したら……。独り立ち、出来る歳になれば……。自ら命を、絶つつもりだったと……」
「何だって……?」
私は頭が真っ白になる。そんな話は聞いていない。どうしてそんな話になるんだ?
「ひっく……。全ての苦しみを、一身に受け……。私達に害が及ばぬ様に……。私をアガウエと、ライスに託し……。自らの旅を、終えるつもりだったと……」
「――っ……?!」
イノの説明を聞いて、少しずつだが理解が出来た。セメレは同じ場所に一日以上居られない。永遠に放浪し続けねばならない呪いを受けている。
そして、セメレはその終わり無い旅に、娘や従者を永遠に付き合わせる気が無い。自分なりの終わりを、セメレは自分自身で定めていたのだろう。
――その終わりこそが、イノの成人……。
イノを育て上げ、国に返すのが最後の責務。それをゴールと定めて、セメレはこれまで生き続けていたのだ……。
「お父様、ありがとう御座います……! お母様を、選んで頂き……! お母様に、幸せを与えて頂き……! お母様の、不幸な未来は……! お父様のお陰で……!」
「イノ……」
そして、賢いイノはそれに気付いていた。自分の為だけに母が生き、自分の分まで不幸を背負う気だったのだと。
彼女は愛する母の悲運を知り、それにずっと耐えて来た。自らの力では、どうにも出来ないと絶望して……。
「ぐすっ……。お母様を、どうかお願いします……。幸せに、してあげて下さい……。その為ならば、私は何でもしますから……」
「……イノ。今、何でもと言ったね?」
私はイノの肩に手を置き、そっとその身を引き剥がす。彼女はグチャグチャな顔で、私を見上げて頷いた。
その力強い黄金の瞳には、固い決意が滲んでいた。何でも言ってくれと、その瞳が語っていた。
「ならば、私と約束して欲しい。これからイノは、自らの幸せの為に生きると。決して母親の為でも、不幸な道へと進まないと」
「――えっ……?」
イノはポカンと口を開け、驚いた視線で私を見上げる。彼女は何を言われたのか、理解出来ない様子だった。私はイノが理解出来るように、ゆっくり、優しく言い聞かせた。
「イノが母の幸せを望む様に、セメレも娘の幸せを望んでいる。イノが不幸になれば、セメレが悲しむ事になる。わかるね、イノ?」
「――っ、はい……。わかります……」
イノは黄金の瞳をギュッと閉じ、ボロボロと涙を零す。嗚咽を堪えながら、私の話に耳を傾けていた。
「ならば、私と約束できるね? セメレを喜ばせる為に、イノは幸せに生きるんだ。それがセメレにとっても、私にとっても喜びとなる」
「は、い……。ひっく……。イノは、幸せに、生きます……」
イノは堪え切れず嗚咽を漏らす。そんな彼女を、私は膝を付いて、優しく抱き寄せた。
「約束だよ? 私も二人の幸せの為、生きると約束するから」
「お、お父様……。お父様ぁ……!!!」
私の首に手を回し、力いっぱい抱き締めるイノ。彼女はあらん限りの声で、力いっぱい泣き叫んだ。
きっとこの声は、一階のセメレやアガウエにも聞こえているだろう。けれど、二人なら何が起きたか、きっと察しているだろう。
私はテーブルの上のアスクを見つめる。すると彼は、どこか優しさを感じる眼差しで、私の事を見つめ返してくれていた。




