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ジジイ、異世界で魔女の師になる  作者: 秀文
第1部:ジジイ、異世界で魔女の師になる
48/67

一線

 その日の晩は、私からセメレを誘った。二人っきりで話がしたいと、寝る前に寝室へ訪ねて貰う様に頼んだのだ。


 そして、それが甘い空気の誘いで無いと、セメレはすぐに察したようだった。彼女は息を飲みながら、真剣な眼差しで頷いていた。


 その後、夜になってセメレが寝室に訪ねて来た。私は彼女を招き入れ、向かい合って椅子に座る。そして、アスクとの話を彼女に聞かせた。


「――そうですか。イノはその様な宿命を背負っていたのですね……」


 私の話を聞き終えて、セメレは神妙な顔で頷いた。思っていたよりも、冷静な反応に私は驚く。


 けれど、セメレは私を静かに見つめていた。彼女が私の言葉を待っていると感じ、私はその先についても口にする。


「私はイノの師として、出来る限りの事をしてあげるつもりです。私は決して、戦いを望んでいるのではありません。けれど、いざその時が来て、イノが命を落とす事が怖いからです」


 私の説明にセメレは再び頷く。やはり彼女は冷静なままだった。私はその事を不思議に感じながら話を続ける。


「もし、ゼウス様と対峙する事になれば、雷の力が最も脅威となります。ですので、私は雷について研究し、それをイノへと教えるつもりです。少なくともイノは、雷に焼かれない術を手に入れる必要があります」


 恐らくは、ゴム等の絶縁体では意味が無い。電気を通さなくても、その熱で身を焦がされてしまうからだ。


 けれど、この世界には炎から身を守るポーションがある。ならば、雷から身を守るポーションだって作れるはずだ。そう言った、この世界独自の防御手段が必要なのだ。


「それは危険な試みです。ゼウス様に研究を知られれば、私に雷が振り下ろされる可能性もあります。雷とはそれ程までに、ゼウス様にとって特別な物だからです」


 この地は太陽神の加護があり、他の神々が手出し出来ないと聞いている。けれど、ゼウスがそんなルールを守るとは思えない。ゼウスに知られれば全て終わりなのだ。


 それでも、私はそれを為さねばならない。亡くなった娘の愛子の様に、再び義娘のイノを失うなんて私には耐えられないのだから。


「だから、申し訳ありません。これは完全に私のエゴです。危険を承知で雷を研究し、イノにそれを伝授します。一番最悪の未来を避ける為に、リスクを取る事をご承知下さい」


 私はセメレへと頭を下げる。私はセメレに許可を取っているのではない。私がそう決めたのだと告げているだけなのだ。


 この決断はイノの師となった私の責任。そして、全てはこの館の主人となった、私の責任なのである。


 危険な雷に近寄らなければ、皆は屋敷で平穏に暮らせる。少なくともセメレは、ずっとこの屋敷で余生を過ごせるかもしれない。


 イノやセメレだけではない。アガウエにライオス君。リリィやアステリオスにすら危険が及ぶ可能性がある。


 私はそれを承知の上で、雷を研究すると決めた。これは完全に私の独断だ。だからこそ、私はせめて皆に、誠意だけは示そうと思ったんだ。


「……何を、謝る必要があるのでしょうか?」


 セメレの震える声が聞こえ、私は頭を上げて彼女を見る。すると、彼女は瞳に涙を溜めて、私へと微笑んでいた。


「ケンジ様は娘の為に、命を賭けて下さろうとしている……。感謝はあれども、謝られる理由がまったくわかりません……」


 彼女はそっと腕を伸ばす。そして、私の首に腕を絡め、自らの胸に私の頭を抱き寄せた。私は顔を包む柔らかな感触に、思わず身を固くしてしまう。


「ああ、出会えて良かった……。私の愛した人が、ケンジ様で本当に良かった……。それだけで私の人生は、幸福であったと思える程に……」


 私の頭にセメレの顔が覆いかぶさる。そして、すりすりと愛おしそうに頬ずりをする。私は胸の鼓動を感じながら、ただセメレにされるままにしていた。


 けれど、セメレはそっと私の頬を両手で挟む。そして、私の顔を持ち上げると、息がかかる距離まで自らの顔を近づけた。


「ケンジ様、どうかお許し下さい……。この溢れる思いを、私はもう抑えられません……」


 そう告げた彼女は、そっと顔を寄せる。そして、その柔らかな唇が、私の唇に重ねられた。


「セ、セメレ……?」


 顔を離したセメレは、潤んだ瞳で私を見つめていた。そして、そこには何かを期待する雰囲気が感じられた。


 三十年ぶりの口付けに、私の鼓動が早鐘の如く鳴る。頭では私が還暦のジジイとわかっていても、体は青年の様な反応を示していた。


 私は恐る恐る、セメレの背中に腕を回す。すると、彼女は優しく私を抱き返した。


「ああ、ケンジ様……。どうか、もっとケンジ様を感じさせて下さい……」


 私とて年若い少年では無い。結婚もしていれば、子供も居た成人男性である。言葉の意味が分からないはずが無かった。


 そして、私の若返った体は、本能が理性を凌駕してしまう。この美しい婚約者を、本当の意味で私の物にしたいと思ってしまったのだ。


「セメレ……!」


「はい、ケンジ様……」


 喜びを含んだセメレの声が、私の脳を甘く痺れさせる。そして、私はセメレを強く抱きよせ、その唇を奪った。



  ――これが若さと言う奴なのだろう。



 そんなつもりでは無かったのだ。けれど、私は冷静さを失って、セメレを求めてしまった。


 その結果、その場の勢いによって、私達は簡単に一線を越えてしまった……。

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