ギガントマキア
今日は少し早めにお茶会を切り上げ、私はアスクを誘って書斎へ向かった。魔女ラミアーの話で空気が重かった事もあり、リリィも笑顔で送り出してくれた。
私は書斎の椅子に腰かけ、アスクは机の上でとぐろを巻く。アスクの顔がこちらに向いた所で、私は彼へと笑みを向けた。
「イノの事はわかってるつもりだよ。彼女はラミアーの悲劇を知る必要があったんだよね?」
「……ありがとう、ケンジ。君がこの館の主になってくれて、本当に良かったと思っているよ」
アスクの言葉いつもより堅い。この話はやはり、陽気な口調で語れるものでは無いのだろう。
私はラミアーの話を聞いた後から、ずっと考えていた事をアスクに問う。
「ゼウスの血を引くと言うのは、それだけ過酷な運命を背負うって事なんだね?」
「ああ、その通りだ。イノの才能が並なら良かった。けど、そうじゃないからね」
アスクの言葉に私は首を傾げる。普通ならば才能が無い方が苦労するはず。どうして、イノの才能が問題になるのだろうか?
私が疑問に思っていると、アスクは少し考えて違う話を私に振った。
「所でケンジ。ゼウスが浮気をすると、ヘラは相手の女性を呪うだろう? それが何故だかわかるかい?」
「えっ……? いや、わからないな……」
普通に考えれば夫婦喧嘩になるだろう。けれど、これまでそんな話を聞いていない。ゼウスに無理やり孕まされても、被害に会うのは相手の女性だけだ。
もしかすると、人間の命が玩具の様に軽いから? けれど、それが理由ならヘラが怒り狂うのも説明が付かないか……。
「答えはとても簡単さ。それはゼウスが最強だから。女神ヘラがどれ程怒り狂っても、ゼウスが黙れと言ったら黙るしかないんだ」
「――はっ……?」
アスクの言葉が理解出来ない。言葉の意味はわかるのに、頭がそれを拒絶していた。
浮気をしておいて、怒った妻に黙れだって? そんな馬鹿な話があるだろうか?
「そもそもだがね。ヘラはゼウスの姉なんだ。そして結婚を司る女神で、夫婦は愛し合うのが当然。浮気なんて絶対に許せないと言う性格でね。ゼウスからの求婚に対して、浮気をしないと約束した上で受け入れた訳だ」
「えっ、待って……。ゼウスはヘラに、浮気をしないと約束した……?」
「その通りだよ、ケンジ。そして、ゼウスは当然の様に約束を破った。初めはヘラの怒りもゼウスに向いた。けれど、逆にゼウスはヘラを吊し上げ、オリュンポスの山で他の神々への見せしめにしたんだ」
「――っ……?!」
……何だそれは? それじゃあ、人々を呪うヘラも被害者? 全てはゼウスが原因って事なのか?
「どうして……。そんな暴挙を、他の神々は許せるんだ……?」
「先程も言った通り、ゼウスが最強だからだよ? そうだね。ケンジはギガントマキアを知るべきだね」
「ギガントマキア?」
聞き覚えのない名前だ。恐らくは初めて聞く名である。私は大人しくアスクの言葉に耳を傾けた。
「神々の祖。そして、ゼウスの祖母である、女神ガイアが起こした反乱でね。多くの神々と巨人が力を合わせ、ゼウスを支配者の座から引きずり降ろそうとしたんだ。何せゼウスは自分の兄弟と、自分に従う神々しか存在を認めなかったからね」
「…………」
これまで聞いた話から、その説明に驚きは無かった。むしろ、神々だってゼウスを許せなかったのだと、ホッとした位である。
「けれど、ゼウスの力は圧倒的だった。彼は天空を支配する神であり、彼の操る雷が余りにも強過ぎた。反乱勢力の半分近くを、ゼウス一人で倒してしまう程にね」
「雷の力……?」
「そう、ゼウスを象徴する力。雷の力がある限り、ゼウスにはどんな神も逆らえない。ゼウスの怒りに触れた途端、逃げる間も無く焼かれてしまうのだからね」
確かに雷は凄まじく早い。光ったと思ったら落ちている。それは目で見て避けれる物では無いはずだ。
ゼウスが最強と言われる所以はわかった。ただ、それと同時に不安が過る。今朝にアスクが告げた、イノへの警告についてだ。
アスクは人前で電気を使わない方が良いと言った。ただ、この話を聞いた後では、別の意図を含んでいるのではと思えて来たのだ。
「……イノは、雷の力を扱えた方が良いのかな?」
私の問い掛けに、アスクはすぐに答えなかった。彼はすっと視線を窓の外に向ける。それから、ポツリとこう漏らした。
「……ケイローン様の最後の弟子に、ヘラクレスがいたのを覚えているかな? 彼はゼウスの敵を討たせる為に、彼が人間に産ませた子供なんだ。先程話したギガントマキアでも、ゼウスと同じ数だけ神々や巨人を殺している」
「えっ……?」
急に話が変わったのもそうだが、ヘラクレスの強さにも驚かされる。半神半人でありながら、ゼウスに並ぶ程の力を持っていたと言うのだろうか?
「もし、今も彼が生きていれば、ゼウスもここまで暴君にならなかっただろう。けれど、彼はとある事故で命を落としてね。今の世にゼウスを止められる存在は誰もいないんだ」
私の心臓がドクンと跳ねる。ヘラクレスが生きていれば、ゼウスを止められたかもしれない。アスクはそう口にした。
それはつまり、ゼウスの血を引く子であれば、ゼウスに並びうる可能性がある。そういう意味ではないだろうか……。
「人間だけじゃない。むしろ、神々の方が望んでいるかもしれないね。ゼウスを止められる英雄が、再びこの世に現れないかと」
アスクの言葉には悲しみが含まれていた。イノの待ち受ける運命とは、それ程までに重い物だと言うのか?
私もセメレも、イノにそんな未来を望んでいない。けれど、彼女の才能の片りんを見れば、多くの人々は望んでしまうのだろう。
「才能が無ければ、望まれる事も無かった。けれど、イノには間違いなく才能がある。その可能性は、ヘラクレスにすら匹敵するかもしれない……」
それは私が始めに感じた疑問。その答えであった。才能が無い方が苦労するのではないか、と……。
イノの才能は突出している。それはこの世界の多くの人々、多くの神々に望まれるものだったのだ。
「これもきっと、巡り合わせなんだろうね……」
アスクの瞳が私を捉える。その憐みはイノだけではない。私に対しても向けられていた。
セメレやイノが、私に出会わなければ良かったとは思わない。きっとそうなれば、彼女達はこの先も苦しみ続ける事になったのだから。
けれど、私は彼女達と出会った。そして、私はイノの師匠になってしまった。彼女の将来に責任を背負う立場に立ってしまったのだ。
この先、イノをどうするべきか。それを決めるのはアスクでは無い。師匠となった、私の務めと言う事なのだろう……。




