月夜の晩に
今日も一日があっという間に過ぎた。セメレ達が来てからまだ二日だけど、やる事が増えたからか時間の流れがとても速い。
私は夕食とシャワーを済ませ、一人寝室で椅子に座り、窓を覗き込む。夜空には月が無く、真ん丸なお月様がハッキリと見えた。
「本当に賑やかだな……。私が本当に求めていたのは……」
私は言葉の途中で口を閉ざす。それは何となく、口にしてはいけない気がしたのだ。
出産時に妻・幸子を亡くし、その後は一人で娘の愛子を育てた。けれど、ありきたりな家庭で良かったんだ。私はただ妻と子が居てくれる、そんな生活を望んでいただけなのに……。
私は顔を上げて前に進むと決めた。しかし、いざ目の前に望んだ生活が転がり込んで来たら、それを手にするのを躊躇してしまっている。
セメレは妻になる事を望んでくれている。イノも私の娘になりたいと言ってくれた。ならば、後は私の気持ち一つなのだ。それなのに、私は未だに婚約に留めている。
その理由はわかっている。私は二人に対して、亡くなった妻子を重ねて見てしまうからだ。それが何だか申し訳なくて、どうしても躊躇してしまうのだ。
ずっと待たせるのも申し訳ない。いずれは答えを出さねばならない。そうわかっているのだが、どうすればこの心に整理を付けられるのだろうか……。
――コンコン……。
夜空を眺めて悩んでいると、扉をノックする音が聞こえて来た。
「どうぞ。入って下さい」
だれだろうかと思っていると、扉を開いたのはセメレだった。彼女は顔をほんのり赤らめながら、恥じらうようにこう尋ねて来た。
「少しで構いません……。二人っきりで語らう時間を頂けませんか?」
そう言えば私はプロポーズの際に、互いに語り合いましょうと言った。けれど、イノや皆と一緒の時間はあっても、彼女と二人っきりで話し合う時間を持てていない。
その事を申し訳ないなと思いながら、私は笑顔で彼女に告げた。
「ええ、構いませんよ。場所はここで良かったでしょうか?」
私の問いにセメレは頷く。そして、椅子を引きながら、私に並んで窓際に座る。
「今は何をなさっていたのでしょうか?」
「夜空を眺めていました。それ以外には何も」
「まあ、そうでしたか。今夜は月が綺麗ですね」
セメレの言葉にドキリとする。けれど、微笑みながら月を眺める横顔を見て、今の言葉に他意は無いのだと理解する。
夏目漱石の言葉だったかな? 『月が綺麗ですね』に『愛しています』の意味を含ませるのは。きっと、日本独自の文化なのだろうね。
私もセメレと一緒に月を眺める。言葉は無いけど心地良い時間だった。
誰かと一緒に過ごす時間は、やはり私の穴を埋めてくれる。ずっとポッカリ開いていた、心の傷が癒される様な気がした。
「――ケンジ様、どうなされたのですか? どことなく、寂しそうに見えるのですが……」
セメレの言葉にハッとなる。彼女の方を向くと、心配そうな瞳が私を見つめていた。
私はそんな顔をしていたのだろうか? そう思っていると、セメレは微笑みながらこう告げた。
「勿論、わかりますよ。ずっと見ておりますので。今の私は、ケンジ様に夢中なのですから……」
「そ、そうなのですか……?」
ハッキリ告げられ、私は顔が熱くなるのを感じる。すると、私の照れが感染したのだろう。セメレもどこか恥ずかしそうに頬を染めた。
気恥ずかしい空気の中、時間だけが過ぎる。けれど、セメレは私の言葉を待っていた。上目遣いで見つめられ続け、私は観念して口を開いた。
「その、いずれ話さなくてはと思っていたのですが……。私は過去に妻と子を亡くしていましてね……。どうしても、セメレとイノの事を、その二人と重ねて見てしまうのです……」
「――っ……」
私の言葉にセメレは息を飲む。少し前の甘い空気は一瞬にして霧散してしまった。
まあ、確かにそういう空気で話す内容では無いよな。私は苦笑を浮かべて、セメレへと続きを話す。
「妻は三十年程前に、娘の出産時に命を落としました。そして、その五年後に娘は事故で亡くなりました。私はアスク達と出会うまで、ずっとその悲しみを引き摺って生きて来たのです」
「三十年も、ですか……」
本来の私がジジイである事は彼女も知っている。私が不老長寿の霊薬で若返ったのは、アスクの仕業だと彼女の前で話があったからね。
そして、私に妻子がいた事もだ。それを知っていてなお、彼女は私との結婚を望んでくれている。真剣な眼差しを向ける彼女に、私も真剣な眼差しを返す。
「この地に来て、気持ちを切り替えようと思えました。残りの人生を贖罪では無く、私の為に使おうと決めました。……けれど、いざセメレ達との家庭を想像すると、それが叶わなかった妻と子の姿で浮かぶのです」
そう、それが私には耐えられなかった。まるで二人が、亡くなった幸子と愛子の代用品みたいに思えてしまって。
そんな扱いを受けたと知れば、誰だって傷付くだろう。それをわかっていて、私は二人の好意を受け取っても良いのだろうかと……。
けれど、セメレの反応は私の想像とは異なっていた。彼女は嬉しそうに微笑みながら、私の手の上に自らの手をそっと重ねた。
「三十年もずっと変わらず、愛し続けているのですね。それだけケンジ様が、愛情深いと言う証明です。私はそれを、とても嬉しく思います」
「えっ……?」
セメレの言葉に私は戸惑う。私には彼女の喜ぶ理由がわからなかった。
私の心が未だ他の女性にあるままだと言うのだ。それは決して、彼女にとって喜ばしい事では無いと思うのだが……。
「積み重ねた時間、積み重ねた思い出は、未だ私に勝ち目がありません。何せ私は出会ってまだ二日。婚約をしたとはいえ、殆ど他人と変わらないのですから」
それはセメレの言う通りだ。私達は出会って間もない。他人と言っても良い関係である。
それだと言うのに、彼女は嬉しそうに微笑んでいる。私の手をギュッと握り、力強くこう告げる。
「けれど、時間と思い出を積み重ねた先に、ケンジ様の愛は必ずあるのだと。それをケンジ様自身が証明なされています。ならば私は、その先を信じて努力するのみです。亡くなられた奥様にも負けない程に、私もケンジ様を愛し続けましょう」
「――あっ……」
セメレの言葉を聞いて、私は自らの間違いに気付く。今はセメレに妻の幻影を見てしまう。けれど、それはずっと続く訳では無いのだと。
セメレやイノと共に過ごし、思い出が積み重なれば、いずれ二人は私の大切な人となる。それは決して、亡くなった妻子の代用品等では無くだ。
「話して下さり、ありがとう御座いました。どうか焦らないで下さい。これから共に、時間と思い出を重ねて参りましょう」
セメレはそっと私の手を取る。そして、持ち上げた私の手の甲に、そっと唇を重ねる。彼女は愛おしそうにその手を見つめ、ゆっくり椅子から腰を上げた。
「本日は話せて良かったです。お休みなさい、ケンジ様」
「うん、お休みなさい。私も話せて良かったよ、セメレ」
セメレの微笑みに、私も微笑んで返す。そして、彼女は私の寝室から去って行った。
私は一人になった部屋で、先程と同じく夜空を眺める。
「……彼女であれば、きっと許してくれるよね?」
亡くなった幸子と愛子を想いながら。それに、セメレとイノを想いながら。私は穏やかな気持ちで、明るい月を眺め続けた。




