最初のレッスン
私はセメレとイノを連れて書斎へやって来た。その最中にアスクも合流し、四人で書斎の中へと入る。
壁のずらりと並ぶ魔導書に、セメレは目を見開いていた。そして、信じられないとばかりに言葉を漏らす。
「これが、全てケイローン様の残した魔導書……。一体、どれ程の価値ある物なのか……」
「ははは、誰にも読まれなければ、無価値に朽ちて行くだけさ。ケンジやイノが手に取ってこそ、本当の価値が生れると言うものだよ」
アスクはいつも通りに陽気に告げる。けれど、セメレは目から鱗と言わんばかりに、感心した表情で頷いていた。
そのやり取りを横目に、私は赤い背表紙の魔導書を手に取る。そして、イノに手渡して問い掛ける。
「それは私が普段使っている、入門的な魔導書だね。流石にイノも、文字は読めないよね?」
五歳児のイノには流石に早いと思ったけれど、念の為にと確認してみる。イノは魔導書を数ページ捲り、難しい顔で首を振った。
「簡単な文字なら読めるのですが、この魔導書は難し過ぎます。今の私にはまだ早いみたいです」
「うん、読めなくて問題無いんだけどね……。えっと、文字は読めるんだ……」
やっぱりイノは普通じゃ無い。普通の五歳児では無いと考えて授業しないとな……。
私は返却された魔導書を受け取り、苦笑交じりにイノへと説明を続ける。
「この魔導書は、魔法のイメージを作る為のものだね。魔法とは何でも出来る奇跡なんだ。そして、その成功するイメージが明確な程、成功率は高くなり、消費される魔力も抑えられる」
ちなみに、この辺りの説明はアスクの方が上手いはず。けれど、アスクはそれは自分の役目じゃないと、やんわりと辞退してしまった。
確かに私がイノの師匠だしね。全てをアスクに頼っては、師匠としての立つ瀬がない。イノの教育は多少不慣れでも、師匠である私がやるべき事なんだ。
「例えばそうだね。手の中に水を生み出す魔法を使うとするだろう? 何も無い所から水を生み出すのは、凄く魔力を使うし大変なんだ。けれど、大気中に含まれる水分を集めると考える。そうすると、何も無い所から生み出すよりも、ぐっと発動が簡単で、魔力も少なくて済む。――水よ集まれ」
「――あっ……」
初めは白い霧が私の周りに渦を巻く。それがやがて手の中に集まり、小さな水の玉へと姿を変える。イノはその水球をキラキラした眼差しで見つめていた。
「こんな小さな水球でも、とても魔力を使ってしまった。広範囲から水を集める様にイメージしたからだね。けれど、次はこれならどうだろう?」
「えっ……?」
私が魔法を解除した事で、集まった水球は床へと落ちる。床のシミとなった水を、イノは驚きの目で見つめていた。
「――水よ集まれ」
同じフレーズではあるけれど、発動するイメージはまったくの別物。床に染み込んでいた水は、床を離れて私の手の中で水球へと戻る。
「今度は床の水を足元から集めただけだね。これは凄く少ない魔力で済むし、成功率もとても高くなる。何せ見える所に水があるんだ。すぐ足元から集めるだけなら、誰だって簡単にイメージ出来るだろうからね」
イノは私の手中の水球を見つめる。しかし、今度はキラキラした瞳では無かった。とても真剣な眼差しを向けていた。
そのイノの変化に私は戸惑う。これまでの上品で柔らかな笑みでは無い。その力強い黄金の瞳に、私は引き込まれる様な思いがした。
「お師匠様、先程は空気中から水を集めると仰っていました。空気の中には水が含まれているのでしょうか?」
「あ、ああ、そうだよ。熱いスープは湯気が出るだろう? あの白い煙が水の粒であり、目に見えない程に小さな粒が、普段から空気中には含まれているんだ」
これで伝わるかなと思いながら、私は出来るだけ優しくイノに伝えた。一応は小学生の学習範囲だし、賢い彼女ならいけると思うんだけどね。
けれど、イノの反応は私の想像を超えていた。彼女は目を見開いて、私にこう問いかけて来た。
「空には白い雲が浮かんでいます。そして、大きな雲からは雨が降ります。つまり、お師匠様……。――そういうこと、なのですね?」
「ああ、その通りなのだけど……。今の説明だけで、そこまでイメージ出来たのかい?」
先程、普通では無いと思ったばかりだ。けれど、この子はそんな次元じゃないかもしれない。
所謂、天才と言う奴じゃなかろうか? 一を聞いて、十を知るタイプだ。私の様な凡人が、弟子にして良い子じゃない気がするのだけれど……。
しかし、戸惑う私を他所に、イノは満面の笑みだった。楽しくて仕方が無いと、これまでで一番良い笑顔を見せている。
こんな風に子供らしく笑うのだな。そう思って見つめていると、セメレが青い顔でこう呟いた。
「この発想は、私の知る魔法ではありません……。もしや、エジプトの錬金術……?」
「エジプトの錬金術?」
アスクから錬金術も魔法の一つとは聞いている。けれど、セメレのこの反応は何なのだろう?
私が気になって口を開こうとした。けれど、そこにアスクの声が重なった。
「違うよ、王女様。ケンジのこれは錬金術とは別物だ。ケンジが言うには、これは科学魔法と言うらしいね」
「科学魔法……?」
科学は魔法と別物だけど、そういえば私はそれを否定していなかった。アスクは科学魔法として覚えてしまったらしい。
まあ、確かに私は錬金術を知らないし、科学を元にした説明をしている。そういう意味では、ある意味私だけのオリジナル魔法になるのかもしれないな。
私が一人でそう納得していると、セメレは探る様な眼差しでアスクに問い掛けた。
「それでは、神の神秘を解き明かし、神へ至ろうと言う意思は……?」
「そんなものは無いさ。見ればわかるだろう? あのケンジだよ?」
アスクの言葉で、セメレは私に視線を向ける。そして、ほっとした顔で頷いた。
「確かに、その通りですね。申し訳りません。少しばかり短慮でした……」
「ははは、問題無いよ。ケンジも僕も、ちっとも気にしていないからね」
もしかすると錬金術は物騒な魔法なのだろうか? 何故だかセメレが、もの凄く警戒心を見せていたからね……。
私とイノは何となく互いに見つめ合う。ただ、何と言って良いかわからず、私は誤魔化すよう笑う事しか出来なかった。
まあ、この話はこれで終わりにしておこうかな。今の私は護身用の魔法を覚え、ポーションを作る以外の目的なんて無いのだからね。




